理解していただけて
「────おい、生きてるか」
頬をペシペシと叩かれて、マグノリアは目を覚ました。
久しぶりに開いた目にバーンの顔が写り、一瞬状況を理解できずにぼーっとしていた。
「約束通り、三日経ったぞ」
「え……。もう、ですか」
「その様子だと退屈しなかったみたいだな」
バーンが悪戯に笑う。
マグノリアは燭台に置いたはずの火球を見る。
すでに魔力を使い果たしたのか、小石ほどの大きさに萎んでいた。
「で、あたしの幻覚空間はどうだった?」
「ええ、まあ、できることはやりました」
魔力を研ぎ澄ませたおかげで、バーンの作り出した火球に自分の魔力を吸われていたことがわかって距離をとれたため、半日で死ぬこともなく、三日間生き残ることができた。
「魔力の練りも三日前とは別人だな。魔術師として半人前くらいにはなったんじゃないか?」
「なんとなく、世界が広がって見えます」
あれだけの大きさしかなかったただの洞窟が、いくらでも無限に広がっているかのような情報量を持っている。
今なら岩肌の表面を流れる微弱な魔力すら感じられる。
「結局、バーンさんは私にこれをさせたかったのですか?」
「まあ、シュネーからの頼みだったからな」
「シュネーさんからの?」
「お前を鍛えることと匿うことだ」
「匿う……?」
いまいちピンとこない言葉にマグノリアは首を傾げる。
何から匿うと言うのだろう。
「そんな、私、別に誰にも狙われていませんよ」
「お前らの仲間がドラゴン殺しただろ。竜神教のシャドウがめちゃくちゃキレてたぞ。そんで、まあ、その、なんだ」
歯切れ悪く、バーンが言う。
「シュネーは死んだ。竜神教の暗殺者に殺された」
「は、はあ!? なんでそんな、シュネーさんが!?」
動揺でふらつき、転びかけたところをバーンが支える。
「落ち着け。あいつはそこまで予想していた。本気であの竜神教の暗殺者集団の標的になったら逃げきれないと覚悟して、お前をあたしのところに預けたんだ」
「でも、だって、それじゃシュネーさんが!」
「お前、あいつが仲間が死んでどう思ったか、少しでも考えたか? 死んだバジルってやつはリーダーだったんだろ? お前よりもあのバジルが死ぬわけがないと信じてたのはあいつの方なんじゃないか?」
バジルのことで大切な支えを失ったのはシュネーも同じなのだ。
バジルに夢を託していたから、彼が死んで全てを失った。
それでもせめて腐らずに、マグノリアは助けようと思ったのだろう。
だから、信用できるバーンのところへ金の冒険者の試験を受けさせるためと銘打って送り込んだのだ。
「お前がやるべきことは復讐じゃないのはわかるよな?」
「まずは金の冒険者になること……。でも、今更なっても……」
「今更じゃねえ。金の冒険者にだけ与えられる特権がある。あれを使えば何でもひとつだけ望みが叶う」
「え、それって……」
「残念だが、お前が思っているようなことはさすがにできない。死んだ人間を生き返らせることはな。詳しくは説明できないが、あくまで新しく何かを手に入れるだけだ。失ったものを取り返すためのものじゃない。あとは自分で考えろ。お前はあたしの選考基準を満たしたし、受けたきゃいつでも受けさせてやる」
「だったら、すぐ、受けさせてください」
「威勢はいいが、お前今自分がどういう状態かわかってるか?」
「へ……?」
興奮が冷めてくると、体中の力が一気に抜けた。
本当は体力などとうの昔に尽きていて、なけなしの魔力で補っていただけだ。
気を失いこそしなかったものの、頭から地面に倒れかかったが、パーンが引き寄せて肩を貸した。
「まあ、よくあることだ。地味だけど結構ハードな特訓だからな。死ななかっただけ偉いぜ?」
バーンはいとも簡単にマグノリアを肩に担ぎ、歩き始めた。
どこへ連れて行かれても、もうマグノリアに抵抗する力はない。
外へ出ると洞窟の中では感じることのなかったそよ風が頬を撫でる。
そうしているうちに、マグノリアは猛烈な眠気に襲われ始めた。
当然ながら、体が限界を超えていたのだ。
「──おつかれ」
バーンの言葉が耳に入るかどうかの瀬戸際で、意識が途切れた。
ギルドの馬車を降ろされ、最低限の説明を受けた。
マグノリアはあれから二日休んで、冒険者ギルドに金の試験を受けるための申請を出して、その翌日には試験の洞窟まで連れてこられていた。
一般的な生還率は三割と聞いている。
「マグノリアさまはおひとりでの参加ですのですが、心の準備はよろしいですか?」
「はい。不安ですけど、覚悟はしてきました」
自分の普段使っている黒壇の杖を、引率してくれたギルドの受付嬢に渡す。
ここへは道具の持ち込みが禁止だ。
中で魔法は使えない。
深呼吸をして、洞窟の入り口に手をかける。
中から冷たい風が吹き出てくる。
向こう側に出口があることの証拠だが、先の見えない暗闇の中を進むのは勇気がいる。
「最初にも説明しましたが、この洞窟は中央へ向かうに連れて緩やかに降っていきます。帰りは少し登るので足元には十分ご注意ください」
「ありがとうございます。では、いってきます」
足を一歩踏み入れる。
くぐり抜けた先で帰りの馬車は待っている。
ここに助けてくれる人はいない。
進んでいくうちに、ここがなぜ試験や試練と呼ばれるのかすぐに理解した。
体中の魔力を洞窟全体に吸われている。
バーンの火球の魔法はこれを元にして作られたものなのだろう。
無策で受けていたら途中で力尽きていただろう。
マグノリアは魔力の流れを極力止めて、自分の体力だけで前に進む。
人間は必ず無意識に体を魔力で強化している。
それを完全に止めると相応の負担が体を襲う。
まるで体の重さが倍になったようだ。
鉛のようになった足を、泥の中を進むようにして、少しずつ前に進み続ける。
やがて、辺りに霧が立ち込め始めた。
幻覚作用のあるものであることは想像に難くない。
しかし、それもすでに対策をしている。
マグノリアは洞窟に入ってすぐに体の感覚のほとんどを遮断していた。
辛うじて前が見える程度の視力と足が地面についているという感覚だけを残して、不要な触覚や痛覚、聴覚嗅覚は全て一度麻痺させた。
極端な話だが、意識さえあれば問題ない。
濃霧の中にバジルのような姿がぼんやりと浮かんでいた。
幻覚が脳に直接作用するものであった場合、感覚遮断はあまり役に立たない。
しかし、入ってくる情報を最低限にしておくことで、意識の中へ入ってくるのを防ぐことができる。
マグノリアの集中力はただ足裏にのみ向けられている。
まやかしや誘惑は効かない。
その状態を維持し続けることは簡単ではなかった。
マグノリアが時間の感覚すら失ったころ、開けた場所に出た。
周囲には草花が生い茂り、空には月と星が出ている。
洞窟の中にこんな場所があるはずもなく、明らかに幻覚だが、悪意は感じなかった。
「おめでとうございます」
見かけたことのあるギルドの受付嬢がそこにいた。
「レヴィさん、ですか」
「ええ。マグノリアさまは見事、金の冒険者としての試験に合格致しました」
「まだ抜けてませんよ。これも罠ですか?」
「いいえ、いいえ。ここが抜けた先なのですよ。誘惑や痛みへの対策は狂人的で、私も幾人もの挑戦者を見てきましたが、ここまで動じない方は久しぶりです。少し驚きました」
彼女は黒い革手袋でわざとらしく拍手をする。
あまり嬉しくないのはなぜだろうか。
達成感も何もない。
「さて、お疲れでしょうから単刀直入に参りましょう。マグノリアさまの望みは何ですか?」
「私の望みは……」
考えてこなかったわけではない。
しかし、いざ口に出そうとすると躊躇ってしまう。
勇気を振り絞り、答える。
「この世界に新しい理の追加を」
「……なるほど。そうきましたか」
「不可能とは言いませんよね? 物質でないといけないというルールは聞いていませんし」
レヴィが困惑しているところなど初めて見る。
彼女は少し考える素振りを見せ、口を開いた。
「結論から言えば、可能です。理の追加は世界そのものを書き換えることになります。私の一存で決められることではないのですが、恐らくは許可が降りるでしょう」
意味深な言い方だが、今はどうでもいいことだ。
「人間の上位存在を作る。そのための誓約と力を私は考えてきました」
「……私にはあなたの脳内を覗けないので結果からしか判断ができませんが、問題のないものであればすぐに変化が起こるはずです」
「あくまで『受付嬢』なんですね」
「理解していただけて幸いです」
マグノリアは考えた。
人間は弱い。
だから、竜とは別の、人間として少しだけ上位の存在を作りたい。
しかしそれらによる統治は望まない。
あくまで自分のためだけに、力を欲せる者だけにそういうものを与える。
自分に限定しないのは、もしも暴走した時に止めてくれる人にいてほしいからだ。
マグノリアはそれらを魔術師からの派生で『魔女』と呼称した。
優れた魔法使いの才能があり、強い願いを持つ女性の魔術師だけがたどり着ける席を十三。
誓約として、人間の集落への攻撃の禁止、魔女同士の直接対決の禁止、四大元素の魔法の禁止。
そして、最も大切なもの。
不老不死の肉体と無尽蔵な魔力を持つ代わり、心臓という弱点を全ての魔女が持つ。
しかし、信頼関係のある人間の協力者がいる場合、少量であれば魔力の譲渡や心臓の貸与を認めるものとする。
それ以外はあとでルールを追加できるよう、余白を残している。
追加できるのはあくまで禁止事項のみだ。
それも誓約の内とした。
そして生まれた分厚いルールブックを手にした瞬間、マグノリアは変異した。
見た目には変わらない。
人間の皮膚をしているし、感触も同じだ。
しかし、中に血は通っていないのがわかる。
血液ではない液体が体を巡っている。
草花を通して膨大な量の情報が頭に流れ込んでくる。
選別されていない無意味で無価値な情報の洪水を、負担なく処理できる。
できてしまう。
自分が植物を司る魔女にになったことを自覚した。
「人でなくなった感想はどうですか?」
「……あなたのことが、今はよくわかります」
レヴィも恐らくは、今の自分に近い存在だ。
理屈はわからないが、感覚的にそう思える。
「そうですか。目的は果たせましたか?」
「これからです。これは手段ですから」
人外の力を手に入れるのは、ジタと対等に渡り合うための手段。
本当はもう戦う必要などないのかもしれないが、そのままにしておくのは禍根が残る。
バジルを失った喪失感を晴らすには、その鬱憤を思い切り発散するしかない。
レヴィと別れ、洞窟をさらに奥へと進んだ。
もうこの程度の構造なら何も影響を受けない。
自分がどれだけ変わってしまったか、早くも実感していた。
出口で帰りの馬車に乗り込む。
何の感慨も持てないのは、体が作り変わってしまったからだろうか。
ともかく、マグノリアは達成感もないまま、翌日にはグラスネスの町へと帰り着いていた。




