まださよならを言ってないのに
予想外だったと言う他ない。
いや、予想以上だったと言うべきか。
バジルはジタと共にドラゴンの方へ走っていた。
魔力の感知範囲は最小限だったが、ジタとほとんど同じタイミングで感知を完全に止めた。
本能的に悪意のある魔力の波動が迫り来るのを感じたのだ。
豊富な戦闘経験から、竜の魔力に対する特性を瞬時に把握した。
「赤いな」
「ああ」
ふたりの会話はそれだけだった。
赤い鱗を持つ巨大な飛竜が空を舞っている。
一度は街に迫った竜がなぜか方向を変えて飛び立ち、追っているうちに街からはだいぶ離れていた。
ここならどれだけ暴れても被害は出ない。
「今日も『タンク』をするのか?」
ジタが揶揄うように言う。
「今はパーティじゃないだろ。説明がいるか?」
「だったら、どっちから行く?」
「当然俺からだ。リーダーだからな」
「パーティじゃないんじゃなかったのか?」
バジルは笑みを浮かべて剣を抜く。
バジルもジタも、冒険者になるよりも昔からの付き合いだ。
ふたりは地元で有名な不良だった。
ふたり組でありながら、絶対に同時にはかかってこない。
相手が誰でも何人でも、必ずひとりずつでしか戦わない。
理由は簡単だ。
バジルもジタに負けず劣らず、戦いが好きだった。
「さーて、ドラゴンってのは、どんなもんだ?」
人間相手用の盾は不要だと判断し、取り外してその辺に放る。
次の瞬間、竜は空から灼熱のブレスを吐いた。
バジルは避けなかった。
その代わり、剣を大きく振りかぶり、竜のブレスを真っ二つに切り裂いた。
竜もさぞかし驚いたに違いない。
火炎を切る人間を見たのは初めてだろう。
「石像魔物の大弓より軽い攻撃だな! そんなもん効かねえよ! 降りてこい!」
バジルの挑発に応じたかのように、竜は一度高く舞い上がったあと、地面目がけて急降下した。
爆風を前にしても、バジルは一切たじろがない。
砂埃の中から、丸太よりも太い尻尾が薙ぎ払われる。
それをバジルは反射的に斬り飛ばした。
「硬いがそれだけだな。悪いが俺は、鋼鉄でも斬れるぞ」
空中を回転しながら血を撒き散らす竜の尾は、まるで生き物のようにのたうち回っている。
「なんで動くんだよ」
バジルは未だに動く尻尾をさらに半分に斬って遠くへ蹴り飛ばした。
まだ動くのなら再生能力があるかもしれない。
竜はまた空へ飛び立とうと翼を大きく広げようとしていた。
「的がデカくなったな!」
バジルは木の幹を蹴って素早く竜の翼へ飛び乗る。
「片方なくなったら飛べないだろ!」
バジルの剣は翼の根元を斬りつける。
しかし今度はさっきの尻尾とは違って刃が通らなかった。
「なっ────」
竜が羽ばたくと同時にバジルは吹き飛ばされる。
両手で頭を守るようにして地面に転がりながら、理由を考える。
胴体に近い方が硬度が高いのだろうか。
しかし、しなやかな動きを必要とする翼であの硬度だと体がへし折れてしまうはずだ。
そう考えるとすぐに答えは出た。
(魔力による身体強化か!)
身体能力を強化する魔法を剥がす方法ならいくらでもある。
しかし、攻撃を含む、外から魔力を遮断する竜の特殊な性質のせいで、対策もすぐには思いつかない。
よく凡人は複雑な魔法を使いこなしたがるが、実際にはシンプルな魔法ほど厄介だ。
それも硬さと強さは全てに勝る。
「交代するかー?」
ジタが遠くから言う。
「ふざけんな! やっと面白くなってきたところだろ!」
バジルは懐からナイフを取り出した。
植物由来の猛毒を調合して塗った特殊なナイフだ。
これを刺せば死なないまでもしばらくは激痛で動けないだろう。
飛び立とうとする竜の足へ鉤爪付きのロープの輪を投げて捕まえ、木へ結びつける。
さすがの竜も木を引き抜くほどの力で飛び立つことはできずに、大きくよろけた。
これ幸いとばかりにバジルは竜の足元へ潜り込む。
本来なら巨体を持つ相手の下に潜り込むのは自殺行為だが、今回は目的がある。
背中を硬質化させている生き物は腹部がとにかく柔らかい。
身体を丸めることができるように、全身を硬い鱗では覆っていないのだ。
しかし、この竜の腹部の柔らかさはおそらく鋼と同等であろう。
鋼と鋼の間、関節の僅かな隙間。
バジルは正確に、最も柔らかい部分にナイフを突き立てる。
竜は悲鳴をあげて暴れる。
潰されないように脱出したバジルは少し離れて様子を伺っていた。
このまま弱ってくれたら首を刎ね落として終わりだ。
苦しみ悶える竜の目は、バジルを真っ直ぐに睨んでいた。
憎しみの炎を募らせ、明確に敵だと認識した顔をしている。
魔力の高まりで空気がビリビリと震え、次の瞬間、バジルへ通常のブレスを絞ったような強力な熱光線が放たれた。
(こんなもんどうにかなるわけねえだろ!)
発射の直後、バジルは直感的に回避行動を選択していた。
しかし、たった一歩跳んだくらいではその破壊範囲からは脱出できない。
爆発の衝撃が迫る前に、剣を地面に突き刺して刀身を盾に身体を守る。
そのあとは、よく覚えていない。
気がつくと、目の前に、泣いているマグノリアの顔があった。
「ヒール! ヒール! ヒール!」
マグノリアは必死だった。
倒れたバジルの体の左半分は炭化していて、もうどんな魔法を使っても再生できない。
「俺は……」
「喋らないで!」
バジルは手足を少しだけ動かすと自分の体がどうなっているのかおおよそ理解したのか、力無くため息をつく。
「……もういい。魔力が切れるぞ」
「切れてもいい! バジルさんが死ぬより!」
「出血も痛みも感じない。魔力の貯蔵から考えるとこのままでもまだ数分は死なないだろう。それより竜はどうなった?」
ドラゴンはジタが戦っていた。
シュネーがその余波がこちらへ来ないように魔法で守ってくれている。
「まだ戦闘中です。ジタさんでも互角だなんて……」
「なんだよ、俺の方が弱いってか?」
「そ、そんなこと────」
バジルがボロボロの体のまま起き上がろうとする。
マグノリアは驚いてつい手を出しかけるが、ぐっとこらえた。
もう彼は長くない。
好きに行動させてあげたいと思った。
彼はゆっくりと体を起こすとシュネーの方をちらりと見て、さらにその先の竜とジタへ視線を向けた。
「せっかく弱らせたのに、まだやってんのか」
「……善戦してます。でも、剣が全く効いてません」
「だろうな。俺の勘だと表皮の上に魔力の層があるような感じだった。魔法が効かないって言われてるのもそのせいだろ」
「どうすれば倒せそうですか?」
「体の中央に近いほど魔力の硬度が高い。心臓を抜き取れば無力化できる」
「心臓を抜き取られたら死ぬんじゃないですか!?」
「あの馬鹿みたいな魔力量はわかるだろ。俺とは違ってそれだけじゃ死なないはずだ」
彼はそう言って笑う。
「こんな時にそんな冗談言わないでください!」
「真面目だよ。便宜上心臓って呼んでいるだけで魔力源のことだからな」
「わかってます!」
言い合いをしているとシュネーがこちらに少しだけ顔を向けた。
「もっと簡潔に説明してくれない!? アレはどうにかできるの!? できないの!?」
喋っている間にも、石や木の破片、衝撃がこちらへ向かってくるのをシュネーが水や土の魔法で防いでいる。
「……できる。マグノリア次第だけど、やるよな?」
「わ、私?」
「俺はもう動けないからな。お前がやるしかない。それにジタもお前なら水差しても文句言わないだろ」
バジルが半身を失い、シュネーが防御に専念しなければならない相手の懐に潜り込む。
想像しただけで体が震える。
「大丈夫だ。あの化け物の体力も無限じゃない。もうだいぶ弱ってる」
「だいぶ弱ってるって言ったって……」
「俺が生きてる間に勝ったところを見せてくれよ」
「むぐ……」
そう言われると弱い。
「どうすればいいんですか?」
「あいつに触れて最大火力で回復魔法をかけろ」
「……へ?」
「説明聞く時間あるか?」
「わ、わかりました」
ひとまずは言われるがまま、赤いドラゴンを見る。
ジタの表情に余裕がないところなど初めて見る。
信じられない速さでの噛みつきや体当たり、広範囲のブレスを彼が躱しているところを見るに、マグノリアが当たれば一撃で全身の骨が砕けるだろう。
「身体能力の向上はどれくらいでいけると思いますか?」
「もちろん最初から全力全開だ。メガネは預かってやる」
マグノリアは不満を隠さずにメガネを外してバジルに渡す。
全身を魔力で強化すると、眼の筋肉も強化されるため、メガネなどの器具は不要となる。
全身にゆっくりと魔力を満たし、流れをイメージする。
視力が悪かったおかげで、ちゃんと身体能力が向上していることがわかるのは幸いだ。
景色がはっきりと見え始めてから、大きく深呼吸をする。
「よし、行きます。シュネーさん、一瞬だけ防御幕を開けられますか?」
「いいわよ。次の防御を合図に開くわ。絶対死なないでね」
「はい!」
大岩が飛んできて、シュネーの張った水流の魔法に弾かれる。
その瞬間、マグノリアは走り始めた。
マグノリアの全速力はせいぜい野兎程度だ。
しかし、その分小回りが利く。
ジタとの戦闘で飛んでくる障害物を器用に躱しながら、剣戟の最中へ潜り込む。
ジタはすぐにマグノリアに気がついたようだが、視線を向ける余裕すらないのか、何も反応しなかった。
彼が注意をひいてくれていたおかげか、一秒にも満たない時間ではあったが、ドラゴンもマグノリアに気がついていなかった。
触れる場所を選ぶ時間はない。
最も近くにあった尾の断面へ手を当てて、全力で回復魔法を使った。
「────ラストヒーリング」
持ちうる魔力の全てと引き換えに対象を治療する魔法。
詠唱も溜めもない。
放つと同時にマグノリアは魔力切れで気絶する。
絶対に使わないとバジルと約束していた魔法だ。
それは、不思議な感覚だった。
いつもなら治療する時の傷の治る感触が魔力を通して伝わる。
しかし、今伝わってきたのは、剥がれ落ちる分厚い魔力の皮だ。
気絶するまでのわずかな意識の時間で、バジルの狙いを理解した。
ドラゴンは脱皮をする生き物だ。
回復魔法で代謝を上げて、無理矢理表皮を剥がしたのだ。
そして脱皮直後の表皮は特別に柔らかい。
マグノリアが倒れ込むよりも早く、ジタが竜の胴体へ手を突っ込み、心臓を引き摺り出していた。
「やるな、マグノリア!」
身体能力の強化が切れたマグノリアに見えたのは剣の一閃と降り注ぐ血の雨だった。
やがて微睡み、深い眠りの闇へと落ちていく。
(まださよならを言ってないのに)
起きた時にはもうバジルはいないだろう。
あの傷を見た時に覚悟はしたが、実感が徐々に湧いてきて、心を不安の影が包む。
そんな心情に影響されることもないまま、マグノリア完全に意識を失った。




