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花の魔術師に誘われて  作者: 樹(いつき)
第一章 まだらの空
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終わりさね

初仕事の二日目。

町の周辺は豪雨となっていた。

昨日見た雨雲がまだ残っているのだろう。


落とし物探しをするのに、これほど悪い状況もない。

大きな葉っぱの傘をさしたところで何も見えないが、とりあえずギルド会館までたどり着いて、休憩スペースの椅子に座る。


びしょぬれの冒険者たちが中央にある焚き火の傍で服を乾かしながら温めあっている。

濡れた身体でずっといると、想像以上に体力を奪われることをよく知っているのだろう。

温まった者は席を空けて、他の者に譲る。


こういう場での連帯感は心地が良い。

ハルは湯に松の葉を入れた簡易的なお茶を口にして身体の内側から温まり、ほっとひと息つく。


今日はどうしたものだろうか。

この悪天候がどれほど続くかわからないが、すぐには止みそうにない。


「すみません、個室って使えますか?」


ハルは受付の女性に聞く。


「ええ、空いているお部屋がございます」

「ちょっと依頼の内容をまとめたいので使わせてください」

「どうぞ、あちらの部屋です」


ハルは会館二階の一室に向かう。

昨日一日中歩いて次はどこを探そうかだいたいの目星はつけたが、地図を見ながらもう一度考えたくなったのだ。


昨日探し歩いたのは、だいたい五キロほどの道のりだ。

途中にはいくつか路地もあり、できればそれもひとつずつ見て回りたい。

地図上では近くに川が流れているが、歩いている時は見かけなかった。

少し低いところにあるのだろうか。


考えを整理していると、扉がノックされる。


「はーい」


扉を開くと、受付の女性が申し訳なさそうに立っていた。


「すみません。あの、雨の魔女さんがどうしても、と……」

「おはよう! 今日は生憎の雨で残念だったね!」


彼女の後ろから、レインが顔を覗かせる。

ハルは女性に礼を言って、レインを部屋の中に招き入れた。


「……何してるんですか?」

「何って、手伝いだよ」

「仕事やめるって言ってたじゃないですか」

「仕事はしないよ。だってあんなに歩いて探すなんて思わなかったんだもの」


ハルが訝しんでいると、レインは小さな手をパタパタと動かす。


「だから町全部にボクの魔法で雨を降らせたんだ。この雨を伝って、探したいものは探せるよ」

「昨日魔法は使えないって言ってませんでしたか?」

「魔法の雨を町全てに降らせることはできないよ? これは偶然の雨だよ。ボクは普通の雨に自分の魔力を乗せただけ。魔法で降らせたわけじゃない」

「私には違いがわかりません」


ハルが頑なに姿勢を崩そうとしないところを見て、レインはクスクスと笑う。


「今日は警戒心が強いね。どうしたの?」

「昨日あんなふうに別れたら、少しくらい疑いますよ」


もう二度と会わないのではないかと思っていた。

それが何の躊躇いもなく、まるで何事もなかったかのようにこうして近づいてくる。

普段は能天気なハルでも、さすがに警戒する。


「杖を見つけてくれる気になったんですか?」

「うん。っていうか、最初から見つけるつもりだったよ。やり方がボクのと違っただけで」

「では、明日には見つけられると思っていてもいいんですか?」

「明日っていうか、今日? 雨が上がったら、町の外に来て」


彼女はそれだけ言うと、ひらひらと手を振って、部屋から出て行った。

一体、何をしようとしているのだろう。

怪しいが、まだ少し、彼女を信じる心が残っている。

だから、言われた通りにしようと決めた。


夕方になり、雨があがる。

ハルは雨水に浸された道を歩いて、町の外へ出た。

雲はすっかり薄くなり、地平線へと落ちていく夕暮れが綺麗だ。


「やあ、たぶんこれだろう?」


太陽を背にして立つレインが手にしている白い杖はたしかに聞いていたものと特徴が似ている。


「そのようですね。私が返します」

「ダメだよ。これはボクのだよ」

「はい?」


よく分からない言葉にハルが瞼を瞬かせる。


「ボクが見つけたんだから、ボクのだろう?」

「いえ、それは落とし物で、依頼人に返すものではありませんか?」

「そうだとしても、だよ」


レインは杖を振り上げる。

すると、彼女の真上にだけ黒い雲が集まり始めた。


「納得がいかなかったんだ。どうしてマグノリアが先に見つけたってだけで、君みたいなのを盾にできるのかって」

「言っている意味がわかりません。杖を返してください」

「これはボクのだ!」


同時に落雷が走り、杖に直撃する。

粉々に砕け、大小様々な破片となって、その場に散った。


「何を……」

「ボクのものだから、ボクが壊してもいいんだ。君もそうだよ。マグノリアなんかにあげるのはもったいない」


レインの目の結膜が黒く染まっていき、雨がしとしとと降り始めた。

普通の雨とは全く違う肌感覚と湿度がある。

これが魔法で降らせる雨なのか。


「……その目、どうなってるんですか」

「魔女の力を使うと黒くなるんだよ。瞳は金色に輝く」


彼女の言う通り、すぐに瞳が小さく金色のものへと変わった。

雨が強くなり、すっかり銀の幕になってしまうと、彼女の表情も見えなくなる。


ハルは慣れない状況に、どうしたらいいのか必死に考える。

彼女はたぶん、杖を粉々にしたようにハルを殺すつもりだ。

そういう雰囲気――――殺気は隠していない。


だったら、逃げよう。

さすがに喧嘩をするつもりはないし、殺し合いなんてもっと嫌だ。


町に魔法の雨は降らせられないと言った彼女の言葉を信じるなら、あの中は安全地帯ということになる。

ハルが町へ向かって走り出すと、周囲の景色すらわからなくなるほどの強い雨が降り注いだ。


「――逃がさないよ」

「っ!?」


耳元でささやかれて、飛び退く。

声の主の姿はなく、視界はただただ雨のカーテンに覆われている。

そして咄嗟に動いたせいで、方向が完全にわからなくなった。


激しい雨音に紛れて、レインの甲高い笑い声がこだまする。


ハルは考える。

さっきの落雷のようなことをされると防ぎようがないが、できることをやっていくしかない。

自分の足元から、周囲に向かって細かい蔦を伸ばす。

まだ人を捕まえられるほどの大きなものは出せない。

しかし、踏んだら感知できるくらいのことならできる。

そしたら捕まえて――――。


直後、何かが近寄って、蔦の罠を踏んだ。

ハルは反射的に跳びかかる。


腰辺りをめがけて抱き付いた瞬間、それがレインでないことはすぐにわかった。


背丈は成人男性ほどで、がっしりとしている。

誰か巻き込まれたのか、と心配する。

顔を見上げると、その人間はギルド会館でハルに絡んできた男の内のひとりだった。


顔は激しく焼けただれており、髪の毛が右半分しか残っていない。

重度の火傷を負ったかのような皮膚の溶け方だ。


ハルの脳裏に嫌な考えが浮かぶ。

もしも雨の魔女が『酸性雨』を自在に降らせることができたなら。


「君にできるのって、その程度?」


小馬鹿にするような声が背後から聞こえた。

振り返るよりも早く、何かがハルの身体を殴り飛ばす。


「がはっ!」


雨の中をハルは転がる。

レインの拳の感触ではなかった。

そこには雨があるだけで何もいないのに、確かに巨大な何かがいる。

『それ』が近づいてくると、その分だけ雨の音が変わる。


「なにこれ……」


高さ三メートルくらいのところで雨が弾かれている。

弾かれて、流れる水滴の形で、人型の見えない何かがそこにいることがわかる。


「『雨男レインマン』だよ。君はこれを打破できるかな?」


さっきの打撃から考えると、人間と同等か、それ以上の力がある。

今のハルが正面から打ち砕くのは不可能だ。

何しろ、攻撃する方法をひとつも持っていない。


(無事に帰れたら魔法と一緒に剣も覚えよう……)


状況とは裏腹に、頭の中は透き通っていた。

レインが本気になったらすぐに殺されるだろう。

だから、こちらを侮っている内に何か考えなければならない。


向こうの武器はこの雨と落雷。

雨に当たっているものを把握できる能力もある。

小細工は意味がない。

それに、さっきのように別の人間を囮に使ってくるかもしれない。


絶対に許されないことだが、怒りの感情は判断を狂わせ、鈍らせる。

冷静にできることを考える。


雨男は歩み寄っている。

ハルは自分の背後に一本の細い蔦を伸ばす。

一定の距離を進んだところで蔦が一気に萎れた。

後退すると濃度の高い酸性雨に晒されるようになっている。


つまり、前に進むしかない。

雨男の動きは、ハルに比べると鈍い。

攻撃を掻い潜ることは不可能ではないはずだ。


そう思った瞬間に、ハルは駆け出していた。

雨男の股下に滑り込む時に、左手で地面へ、右手で雨男の足へ蔦を生やす。

細い蔦も、寄り合わさればロープになる。


蔦を片手に握ったまま、ハルは雨男の膝に足をかけ、一気に肩まで駆け上がる。

腕を振り回し始めたところで飛び降り、さらに蔦を身体に絡ませていく。

素早く何周か繰り返したところで、雨男は完全に身動きがとれなくなった。


「レイン! どこですか!」


ハルが叫ぶと、目の前の僅かな空間だけ雨が弱まった。


「君、すごいね。そんな弱い魔法で雨男を捕縛してしまうなんて。やっぱりボクのところに来てほしいな。マグノリアの盾なんて面白くないよ。やめようよ」

「嫌です。もうはっきりとわかりました。私はあなたのその自分勝手なところが嫌いです!」

「自分勝手、か。そりゃそうだよ。だってボクは魔女なんだからね。ボクのものにならないなら、死んでよ」


レインの懐から、何かが発射される気配がした。

雨が操れるのだから、水も操れるのかもしれない。

ハルも反応しきれず、死んだと思った。

その時、ハルの前に、黄金の花弁が浮かんでいた。


「やれやれ。早速死にかけているじゃないかい」

「マグノリアさん!」


空中に浮かぶ黄金の花びらは、その場で漂い、ただマグノリアの声を発していた。

よく見ると、ハルの胸元にさしてあった花が金色に輝いて、その花びらを撒いているのだとわかる。


「レイン、そこまでにしておきな。儂もこの娘がお前の『雨男』にやられるようなら助けるつもりはなかったけど、見事に制してみせたからね。まだお守りが必要な未熟な盾は助けることもあるさね」

「ババアはおとなしく森の奥に引きこもっていなよ! ボクは君が落ち込むところが見たいんだからさあ!」

「口ではどう言っても、今こうして儂が出てきた意味を、わかっていないわけではあるまい? 魔女同士の争いはルールに抵触する」

「構わないさ! ボクの受けているペナルティの数はまだひとつだ! 三つになるまでには、まだあと二回の契約違反が許されている!」

「……バカだねえ。そんなものはもっと大事なことに使いな」

「他人の幸せを邪魔することが一番大事なんだよ!」


レインが指先を空に向ける。


「これはさっきの!」


空が唸り、稲光が走る。

爆発音を覚悟したハルの耳には大きなため息がひとつ聞こえ、何も起こらなかった。

そして、目の前に、鹿の頭骨を被った黒いマントの魔女がいた。


「やれやれ。引き際を誤ったね」

「なんで、雷が落ちてこない!?」

「いくら魔法と言ってもその性質までは変えられない。雷は儂が天まで届く巨大な木を生やしたから、そっちに落ちたのだろうさ。この豪雨に囲まれていたら音も聞こえないのだろう。そして――」


マグノリアが喋っている途中で、レインが左腕を抑えて苦しみだした。


「今の攻撃に対するペナルティが刻まれたね。あと一度だ。どうするかね? 儂はお前が尻尾を巻いて逃げ帰っても追うつもりはないよ」

「ふざけんな! ボクは何がなんでもお前を殺してやる! たとえ相打ちになったって!」


レインは空を仰ぐ。

ハルは彼女が雨の性質を変化させようとしているのがわかった。


「マグノリアさ――――」

「大丈夫。お前はそこでじっとしていな。何しろ大きかったからね。育つのにも時間がかかったのさね」


予想していた酸性雨は降ってこなかった。

それどころか、雨が上がり、周囲は夜のような暗闇に包まれていた。

ひとつ違ったのは、空にあったものが、月も星もない完全な暗闇だったことだ。


「……何で」

「巨大な木を生やしたと言っただろう。それが空を覆ったのさ」

「え、あ……」


レインが狼狽える。

マグノリアの生やした木への攻撃も、魔女のルールに抵触するのだということは、さっきの落雷が証明している。

だから、これでマグノリアの言うペナルティが三回目になるのだろう。

それが何を意味するのかは、ハルにはわからない。


「終わりさね。雨の魔女レイン。お前はこれから罰を受ける。あまり見たくないものだけど、儂の盾には魔女が最後どうなるのかしっかりと見せておかないといけないからね。悪いが、見学させてもらうよ」

「ふざけるなあ!」


レインが吠えて掴みかかろうとしたところで、彼女の身体が、銀色の鎖で覆われた。


「ハル、これが契約違反を犯した魔女の末路。来るよ。『執行者』が」


レインの周囲にはいつの間にか、頭巾を被った人たちが立っていた。

その姿は陽炎のようにぼんやりとしていて、人数がよくわからない。

銀の鎖が彼らに繋がっていることが、抵抗できないことを暗に示している。


レインの足元がせり上がり、古ぼけた木の台が出現した。


「ちょ、ちょっと待ってよ! ボクは嵌められたんだ! こんなの不当だよ!」


レインはふたりの執行者たちからうつ伏せにされながらも、必死に口を動かす。


「執行者に言葉は通じないよ。彼らはただ人の形をしているだけの、世界の理にすぎないのだからね」


レインの頭の横に、ひと際大きな執行者が立つ。

彼だけは服装が違い、全身が白い布に覆われており、手には銀色の長剣が握られている。


「マグノリアさん、もしかしてこれって」

「斬首だよ」

「そんな……!」


止めようとしたハルの手を、マグノリアが握る。

決して強く握ってはいないのだが、なぜだか力が入らず振りほどけない。


「最後まで見届けるんだ。お前が関わっているものが何なのか、嫌でもわかるだろう」


レインはもう、哀れというほかにないほど、必死に懇願していた。

耳を塞ぎたくなるような、救いを求める声、言葉。

助けて、助けてと何度も聞こえる。


ハルは目をそむけたくなるのを必死にこらえ、マグノリアの指示通り、成り行きを見守った。

助けられるなら助けたい。

しかし、これは彼女の行動の積み重ねによる結果だ。

ここで割って入れるほどの身勝手さを、ハルは持っていない。


彼女の訴えも虚しく、無情にも、執行者の刃は降り下ろされる。

あっさりと、レインの首は、台の下にあったバケツに落ちる。


その瞬間、鐘の音が辺りに響いた。

そして、音が消えていくのと同じく、彼らの姿も溶けるように消えていった。


全てが消えたあと、レインの遺体はなく、ただ雨に濡れた地面だけがそこには残っていた。



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