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花の魔術師に誘われて  作者: 樹(いつき)
第五章 Something Great
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やれるか

ハルはスピカを見てすぐに死にかけていることは理解していた。

血はほとんど止まっているが、顔は土気色をしているし、傷が赤黒い穴として残ったままになっている。

もはや流れ出る血すらないのだ。


頭はずっとうな垂れたままで、視線はどこにも向いていない。

意識の混濁が激しいのだろう。

きっと立っていることすら辛いはずだ。


「スピカさん、やめてください。このままじゃあなたが死んでしまいます」

「魔女は、死なない。死なせてもらえない。わかるでしょう? あなたには……」


スピカから向けられた手の平から何かを感じ取って咄嗟にハルは這いつくばるようにして屈む。


「あなたの願いも、叶えてあげる」

「無理ですよ。わかっていますよね?」

「そんなことはないわ。スピカは、願いを叶えるための魔女。不可能は、ない」


スピカの周囲に妙な揺らぎが生まれたと思ったら、見覚えのある道具が現れた。

ピンクの手帳型ケースに収められた長方形の電子機器。


「私のスマホ!」

「スピカには、これが何かわからない。でも、あなたの心は、これを欲しがった」


受け取りたい衝動に駆られる。

しかし、魔女は無償での施しはしない。

マグノリアから口頭での取引をしないように口酸っぱく言われている。


「……それを受け取ると、どうなりますか?」

「どうもならないわ。スピカは、もうずっと、人から願いの代償を受け取ることをやめている」

「じゃあ、どうやって魔法を使っているんですか」

「スピカの記憶を、少しずつ支払っているの。何百年も生きているから、使えるだけの記憶を持っている。でも、もうすぐ尽きる。あなたの顔は思い出せるのに、どこで会ったのか、名前も、思い出せない」

「……本当に、限界じゃないですか。もうやめましょうよ」


嘘を言っているようには見えない儚い表情で、スピカは頭を振る。


「スピカが願いを叶えることを辞めることは、スピカがスピカでなくなるということ。それはできない。たとえ、相手が誰でも、どんな内容でも、困っている人がいたら助ける」

「魔女にならなくたってできたことじゃないですか! どうして魔女なんかに!」

「魔女にならないと手に入らない力があるのよ。これだって、そう。スピカの思い出をたくさん使って作ったこれ、受け取ってくれる?」


スピカはスマホをハルに差し出すが、ハルは頑なに受け取らなかった。


「いらないの?」

「いりますけど、スピカさんからはもらえません」

「理由を教えてもらえる?」

「……そこまで聞いても、信用できないからですよ。願いを叶える魔法のことは本当かもしれませんけど、それを受け取ることで別の契約が発生するかもしれません。だから、スピカさんからは受け取りません」

「そう、あなた、賢いわね。残念だけど、これはなかったことにするわ」


スマホは光になって空にのぼっていった。

惜しいことをしたが、間違っているとは思っていない。

代償に使った思い出は彼女に戻ったのだろうか。


「そこの黒い子も、願ってみる?」


グレゴリは一定の距離をとったまま、スピカには近づかなかった。


「俺の願いは俺自身が叶える。お前の助けはいらない」

「そう……。でも、聞いてもいいかしら――」


グレゴリの心を読もうとしたのであろうスピカは、首を傾げた。


「あなたの心、何かに守られている? その鎧のせい? スピカよりも強い力ね」

「自慢の鎧だ。そして、これはお前を狩る剣だ」


グレゴリの竜狩りの剣が巨大な斧へと姿を変える。

臨戦態勢であることの証拠だ。


「あれ、みんな、どうしたの? ここはどこかしら? スピカ、お家に帰りたいのだけど」


ハルも影の短刀『宵闇』を抜いて構える。

すでにイヴと三人でスピカを囲うようにして位置を移動している。


「スピカさん、帰りませんか? もう思うように動けないでしょう?」

「どうして? スピカはここに来たくて来たのよ。どうしてここにいるのかわからないけれど、自分で決めたことなのよ」

「それでも――」

「あなた、スピカの邪魔をするの? だったら、殺すわ」


光が発せられる直前、ハルは空中に張り巡らされた根っこが見えた。

いつもの魔法とは違う、そこにあってないような、一瞬だけの虚ろな幻だ。


ハルは自分に絡みつこうとしていた細い根を避けて跳ぶ。

それまでいたところが、地面ごと丸く消滅した。


その様子を見てイヴがふっと笑う。


「視えているようでございますね」


喋るや否や、イヴの剣がスピカの左足を切りつける。

スピカは全く避ける素振りは見せず、ただイヴの方を見た。

それだけで、イヴは素早くスピカの背後へ回った。


「スピカ、あなたの魔法は確かに強力でございますが、我々もまだ、食らいつくだけの気概を持ってございますよ」


注意がイヴへ向いた瞬間に、今度はグレゴリが大斧をスピカへ振り下ろす。

しかし、スピカへ到達することなく、空中で止められていた。


「戦うのは嫌い。スピカみたいな魔女は、魔法を使えば使うほど弱っていくから。でも、邪魔はもっと嫌い。あなたたちのこと、嫌いかも」

「だったらどうする? 大人しくバラバラにされてくれるか?」

「嫌よ!」


グレゴリを斧ごと弾き飛ばす。


「スピカの好きにさせて! ちょっとくらいいじゃない! ちょっとくらい……。何をしたかったんだっけ……」


スピカの記憶のストックが完全に切れかけているのだろう。

残してあるのは自分自身のことくらいだろうか。

また、ハルたちを初めて見るような目できょろきょろと見始めた。


「防御するたびに記憶を失うのなら、このままならあと二回といったところでございますか」


イヴがスピカからの見えない魔法を避けて言う。


「いや、時間が経てば経つほど、新しい記憶が増えて向こうの魔法を使える回数が増えていくのだろう? ここは畳みかけるべきだ」


グレゴリの言葉にイヴは笑みを浮かべる。


「私としたことが知らず知らずのうちに守りに入っていたようでございますね。私とグレゴリで彼女の魔法を引きつけます。その隙にハルさんは彼女の首を絞めあげてください」

「え……」


ハルが少し躊躇うと、イヴが頭を振る。

反応を見て任せられないと判断したのだろう。


「――いえ、やはりとどめは私がやります。ふたりで隙を作ってください」


グレゴリと視線を合わせる。

彼となら連携を取りやすい。

しかし時間は稼げても、淡々と冷静に魔女を殺すのは、まだハルには難しい。


「少女、やれるか?」


やれるか、というのは魔法を避けられるかということだろう。


「まだ安定していませんが、気にかけないでください」

「承知」


グレゴリは斧を構えて突進する。

彼も片手で止められることをわかっている。

だが、魔法を同時にふたつ使っているところはまだ見ていない。


ハルは反対側からナイフを投げる。

身体を痺れさせる毒が塗ってある。


薬はマグノリアに習ったもので、人間ならば即死、魔女にも効く強いものだ。


イヴとの戦闘を見ていた限り、スピカは傷を気にしていない。

グレゴリの攻撃を止めているのは、木っ端みじんに吹き飛ぶのを防ぐためだ。

ナイフ程度を警戒しているはずがない。


ハルの予想は当たり、麻痺毒のナイフは、三本ともスピカの脇腹に突き刺さった。

彼女は眉ひとつ動かさず、脇腹を見ることすらしない。


グレゴリを放り投げたあと、膝から崩れ落ちた。


「え……」


ナイフが原因だと分かっていても毒の有無までは判別できないだろう。

スピカに毒物の知識があれば別だが、記憶を燃料としている以上、普段必要のない知識や経験がその脳内に残ることは決してない。


すかさず、イヴがスピカの首をはね飛ばそうとする。

次の瞬間、イヴの剣がボロボロに錆びて、スピカの首筋に当たると粉になって散った。


「これをされたくなかった、でしょ?」

「またこちらの心を――」

「スピカの両手は空いてる。次はスピカの番だよ」


イヴの腹部に手の平を押し当てると、同時に彼女は吐血した。


「内臓、壊しちゃった。人間さんは、内臓を壊したら、死んじゃうんだよね?」

「この、程度で!」


イヴは懐から短剣を取り出そうとするが、ハルがそれを止めて、地中から伸ばしたツルでイヴを拾い上げてこちらに引き寄せた。


「あっ、ずるだ! あなたそれ使わないって考えてたのに!」

「人命第一です! イヴさん! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫に見えるなら、大丈夫なのでしょうね……」


さすがに内臓の処置はハルにもできない。

外側からではどこをどう壊されたのかもわからない。


グレゴリが必死に時間を稼いでいる。

スピカがこちらを向かないように考えて立ち回っているのがわかる。


「早く医者に!」

「ふふ、みんな、避難は完了したのでございましょう?」

「あっ……」

「良いのです。私も剣士の端くれ。安らかに眠りたいとは思ってございません。ただ、一矢報いねば、死んでも、死にきれない」


イヴはハルの手から離れて立ち上がる。

歩くのも走るのも、もう彼女には難しいようだ。


「……私を、あれの元まで飛ばせますか?」

「飛ばすって、本当に投げるわけじゃないですよね?」

「いえ、投げるのでございます。あとは、なんとかします。先程のナイフは見事でございました」


イヴがまた血を吐く。

もう数分ももたないだろう。


「ああもう、イヴさん死なないで!」

「終わりは誰にでも訪れるものでございますよ」


ハルは弓状の太いツタを生み出し、矢じりになる部分にイヴを絡ませる。


「行きますよ。スピカさんのところで消えるようにしてますけど、止まれませんからね」

「構いません」


何か作戦があるのだろう。

せめてその手伝いはしてあげたい。


ハルは彼女を乗せた矢を引いて、放った。


初めて、スピカが驚いた表情を見せた。

しかしその時にはもう遅い。

凄まじい速さで迫ったイヴの身体は体当たりのように、彼女の背中にぶつかる。

吹き飛びこそしなかったものの、イヴもスピカも地面に転がって起き上がる素振りを見せなかった。


ハルが駆け寄ると、スピカは眠ったような表情のまま動けなくなっていた。


「いったい、何を……」


よく見ると、背中に白い破片が刺さっている。

それは、あの時、火の魔女バーンのところでハルがへし折った魔女殺しの剣の、折れた柄の部分だ。

少しだけ残った刃がスピカの背骨に食い込んで、そのせいで完全に動けなくなったようだ。


イヴの様子も見ると、か細い呼吸をしているが、身体に力は入っていなかった。


「イヴさん! 起きてください!」

「……起きてございますよ。でも、もう、終わりです。自分の身体でございますから、分かります」

「そんなこと言わないでください! 私が治癒魔法を使える人を探してきます!」


立ち上がろうとするハルの腕をイヴが掴む。

握力もほとんどないその手が何を意味しているのか、ハルはすぐに察した。


「いいのです。戦いの結果死ぬことは、私にとって理想。それも、魔女に勝ったのですから、これ以上の死に方はございません」

「……最後に何か言い残すことはありますか?」

「考えがまとまりません。ああ、そうです。忘れていたことが……」


イヴは首元から金色の冒険者プレートを取り出す。


「これがあれば、ふたりとも金の冒険者の試験を受けることが可能でございます。こんなときで、ごめんなさい。あとで、渡そうと思っていたのでございますが……」


プレートを受け取ると、彼女の手が力なくだらりと地面に落ちた。


「あなたたちなら、金の冒険者の試験で、得られるものがあるはずです。そしてできれば、何も失わずに済むよう、祈っています」

「……大丈夫です。きっと、合格してみせます。私も、グレゴリさんも」


イヴは微笑を浮かべて、やがて、細かった呼吸も止まり、生も止まった。

ハルは彼女の遺体の前で両手を合わせて祈ったあと、グレゴリの方を見る。


「スピカは動いていない。完全に死んだのか?」

「──いえ、魔女は外傷では死なないはずです。でも人体の構造は人間と同じなので、きっと脊髄の損傷で全身が麻痺しているのではないでしょうか」

「この白い破片でか」

「これ、私が壊した魔女殺しの剣の破片です。これを急所へ刺すために、イヴさんはあんな無茶をしたんです」

「なるほど……。しかし、彼女を弔うのは後だな。まずはこのスピカを安全なところに隔離しなければ」

「でも、私たちだけじゃ……」


魔女の処置に関して知識も経験もない。

まごついていると、背後から声がした。


「倒せたのか」

「ヘルメスさん!? 避難は!?」


ヘルメスは興味深そうにスピカを眺めている。

その後ろからアルヴィンがついてきていた。


「この爺さんは避難できねえ。学校と一体化しているからな。だから俺が残った。守るだけなら俺以上の適任もいないだろ」

「確かに、石の魔女の魔法なら守れますね」

「皮肉か?」

「いえ、正当な評価ですよ」


ヘルメスはひと通りスピカを観察したあと、ハルの方へと来た。


「お前には礼をしなければな。検体は多い方がいい。ここ何日かで新しい道具を作った」


ヘルメスが取り出したのは、茶色の編み上げブーツだ。


「魔力の上を歩けるブーツだ。履いてみろ」


受け取って履いてみると、最初は明らかに大きなサイズだったブーツが、足に合わせて縮んだ。


「魔力の上を歩いてみろ」

「あの、そのことなんですが……」

「魔力が視えないのか?」

「さっき少しだけ視えたんですけど、今はもう……」


そうしていると、スピカを背負ったアルヴィンが助け船を出す。


「視えるようになる条件があるんだろ。魔力適性Dだからな。安定はしねえよ」

「なるほどな。アルヴィン、お前なんかやれ」

「はいはい」


アルヴィンがハルを軽く睨んだ。

すると、その周囲からまた細い根がいくつも伸びているのが視えるようになった。


「これですか……」

「何が視えてるか知らんが、条件は敵意だな。歩いてみろよ」


どう考えても体重を支えられるほど太くない根の上に足をかけると、しっかりと上に立つことができた。


「わっ、わっ」

「そのまま行けるところまで歩け。今視えているものが消えることはない」

「は、はい」


空中を橋のように渡ってアルヴィンの元へとたどり着く。


「すごい靴ですね!」

「使い方はお前次第だ。そのかわり星の魔女は貰っていくぞ」

「え……」

「研究に使うからな。まだ我々が魔女に勝てたという確信がない。次に備える必要がある」


ヘルメスはそう言うと、アルヴィンを連れて工房へ戻ろうとする。


「ちょ、ちょっと。待ってくださいよ。研究って、ひどいことをするつもりじゃないんですか?」

「少し血を抜いたりするだけだ。問題ない」

「でも、人体実験なんて……」


アルヴィンの方を見ると、彼が短いため息をついて言った。


「ここにはガーネットもいる。身体をバラバラにするようなことは俺がさせない」

「ガーネットさんもいるんですか? あの、無事、なんでしょうか」

「あれを無事と言えるのかどうか、主観によるな。ただ今回の一件が収まれば一応は自由になれる契約になっている。魔法は封じられるが、生きることは許可されている」


言い回しに違和感があったが、ひとまず無事だったことに安堵した。


「それは良かった。私も心配だったんです」

「お前は自分の心配をしていろ」

「はい……。あの、イヴさんの身体はどうしたら……」

「それもこっちで処分をする。だいたいお前がここにいるのを誰かに見られたらまずいって自覚はないのか?」

「どうしてですか?」


「……魔女が来て、全員が避難したはずなのに、どうしてここに部外者がいるんだって言ってるんだ」

「あっ、たしかに、そうですね。イヴさんのお墓参りには必ず来ます。グレゴリさん、ここは一度引きましょう」

「……俺は一応関係者だが」

「あっ」


目の前でイヴが死んだことが、自分でも思っている以上に衝撃だったのだろう。

判断能力が落ちているのを実感した。


「大丈夫か? 俺は帰路に付き添っても構わないが」

「すみません、大丈夫です。すぐに退散します。落ち着いたらまた来ます」


立ち去ろうとすると、足の力が抜けて、ぺたんと座り込んでしまった。

グレゴリに手を引っ張ってもらってなんとか立ち上がるが、ふらふらと足元がおぼつかない。


「限界か」

「は、はは。どうしてかな。今までだって、これくらいのこと、あったのに」

「親しい人間が死ぬのと、知らない人間が死ぬのでは違うのだろう。休んだ方がいい」

「そんな、このままじゃ迷惑を────」


言葉の途中でグレゴリがハルの腹を打った。

衝撃で意識が薄れていく。


「……お前、無茶苦茶をするな」

「こうでもしなければ少女は動かん」


意識を失う前、そんな会話が聞こえた気がした。


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