お体に気をつけて
「――何があったんだ?」
たまたま外を散歩していただけであろうヘルメスが、イヴに話しかける。
イヴが見たことのない男に剣技を教えている隣で、目隠しをしたハルが地面に座っている。
これだけを見ると意味がまるでわからないだろう。
「あの小娘は何をしているんだ?」
「修行をつけてくれと頼まれましたので、引き受けることにいたしました」
「知り合いだったのか?」
「まあ、一度会っただけですが……」
ヘルメスは興味がなかったのか、ふうんと適当に返事をして自分の部屋へと帰っていく。
ハルがやっているのは、視覚に頼らない魔力感知。
イヴは通常時よりも魔力の流れを分かりやすくし、掴み取りやすくしている。
これはグレゴリ相手の修行にもなることだ。
グレゴリの動きには繊細さが足りない。
魔女狩りの席に座るのならば、魔力の流れから相手の動きを予測して、未来の太刀筋をすでに置いておくくらいのことはしてもらいたいものだと思っている。
だから、ふたりのために、常に魔力を垂れ流しながら剣を振っている。
これは周囲を通りかかった学生の興味を引くようなことだが、イヴの鍛錬の邪魔をすると修行に参加させられることを皆が知っているため、誰もができるだけ視界に入れないようにして足早に歩き去って行く。
物影で覗こうとちょっと立ち止まっただけでも、そもそも視力のないイヴには分かってしまうのだ。
訓練を始めて十日が経った。
ふたりは学校の適当なところで寝泊まりしているらしく、そのことについては特別話題に出すこともなかった。
イヴがふたりの訓練の様子を見守っていると、ふと、ヘルメスの視線を感じた。
「――ずっと見ていらしたのですか?」
ベンチに座っていたヘルメスのとなりに、イヴは座った。
「……まあ、な」
「そろそろ日が落ちますよ。気温も下がります。工房へ戻られた方がよろしいかと」
「ふん、どうせ俺がどんな病気になっても生き永らえさせようとするくせに」
「工房にいれば、その面倒な手順も省けますよ」
「あんな埃くさいところにずっといられるか! 魔女狩りが出払っている今、俺にできることは何もない」
「生きていていただけるだけで、十分ですよ」
「生かされているのは、生きていると言えるのかね」
「命がある限り、生きていると言えます」
「……ふん。お前も俺と同じ年月を生きればそんな戯言も言えなくなる。俺はただの工房の機能の一部に過ぎない。魔物と同じだ。知識を固めて武器を作るだけの存在に、生を実感する機会はそうそうない」
「すみません。私には、そこまでわかりそうにもありません」
「いや、いい。ジジイの戯言だ。さて、お前の言う通り、工房に戻るとするか。医務室に縛りつけられても面倒だ」
「そうしてください。お体に気を付けて」
イヴを残して、ヘルメスが去って行く。
彼がすっかりいなくなるまで見送り、イヴはグレゴリたちに声をかけた。
「今日の鍛錬は終了します。各自、柔軟体操のあと、解散してください」
「ありがとうございました!」
一礼と共に、ふたりの声が響く。
イヴは思わず吹き出してしまった。
ふたりとも、やる気があって教えがいがある。
今までここまでちゃんとついてくる人に出会ったことがなかった。
(いや、私が人と向き合っていなかっただけですね)
武力で無理矢理従わせたことは何度もあるが、向こうから教えてくれと言われたことはなかった。
完全に引退して、冒険者たちの教官になるのも悪くない。
金のプレートの冒険者の末路は、ほとんどが死か隠居だ。
元々、組織に所属するのが苦手な人間たちであり、後進を育てることを考える冒険者は少ない。
立候補すれば、それこそ泣いて喜ばれる。
夜が更け始め、夕闇と夜空の境目が、徐々に空を歩んで行く。
その郷愁すら覚える風景に、人影が浮かんでいたことに気がついたのは、偶然だった。




