暗殺なんてとても
「と、いうわけです。カイさ――イヴさん」
「……私はあなたのお守りを了承した覚えはございません」
中庭でグレゴリに稽古をつけるイヴの元へ、ハルは一直線に向かった。
彼女には目には見えないほどの大きさの花粉で印をつけてある。
全身をくまなく洗い流さない限りは、近くにいればすぐに見つけられるのだ。
イヴは学校の中庭でグレゴリに稽古をつけていた。
グレゴリも剣術らしきものは使っていたが、あくまで独学によるものであり、魔女と戦うには技術的に未熟であると判断されたらしい。
「魔法の基礎も知らない人間はまず学習塾にでも通ってください。魔力の流れが見えるというのは、筋力トレーニングのようなもの。コツでどうにかできるものではございません」
「イヴさんももちろん見えるんですよね?」
「当然です。でなければ魔女狩りにはなれません」
「目が見えるかどうかは、関係ないってことですね」
「……そうでございます、が」
イヴが眉をひそめている。
ハルにはひとつの秘策が思いついた。
「私が目隠しをして、魔力の流れを掴む訓練をすればいいということではないでしょうか?」
「いえ、違います。断じてそのようなことではございません。修行の一環で視覚を封じることもあると聞いたことはございますが、そうすれば手早く習得できるなどというものではございません」
「私は手早く習得しようとは思っていませんよ。ただ、イヴさんと同条件で練習すれば、教えやすくないですか?」
「勝手に話を進めているようですが、まだ教えるとは言ってございません」
「どうすれば教えてくれますか?」
一向に引き下がらないハルに、イヴは少し考える様子を見せて、言った。
「――私も元は流浪の剣士。切る相手に不足し冒険者となり、魔女狩りとなった身。あなたが私を打ち負かすことができたなら、その際は教鞭を振るうと致しましょう」
「本当ですか!?」
「ただし、あの時と同じであるとはゆめゆめ思わぬよう」
空気がぴりと張り詰める。
それくらい、ハルもよくわかっている。
あの時は室内で障害物も多く、ハルに有利な条件が整っていた。
この広い庭なら、彼女の強さも十分に発揮できることだろう。
反射神経と運動神経でどれだけついていけるだろうか。
「あなたも武器を構えてはいかがでしょうか」
「いや……。私は、これで」
ハルは両手を適当な高さに構える。
武器を使わないのではない。
使えないのだ。
花の魔女の植物魔法、火の魔女の火魔法、影の魔女の宵闇。
そのどれもが魔女由来のもので、魔女狩りの総本山たる魔法学校の中で使うことの危険度は考えるまでもない。
「――言い訳にはならないことを承知の上でございますか?」
「はい、言い訳はしません。武器は使いません」
集中力が身体に満ちる。
今にも始まりそうになった時、グレゴリが割って入る。
「ふたりとも、まさかここで殺し合うつもりか?」
「無論。それこそ剣士の道でございます」
「師匠、意気込みは分かるが、あんたはもう一介の剣士じゃない。私闘はまだしも殺しはまずい。俺が審判をしよう。明らかに決着がついたら、そこで止める。異論は?」
グレゴリがハルを見る。
人を殺すという選択肢を持たないハルに気を使っているのだと思い、ハルは頷いた。
「私も構いません」
「師匠は?」
「私には関係のない話。あれほどの屈辱を与えられ、命を賭けずに引き下がれるほど大人でもない」
「だが、師匠は大人だから火の魔女に負けた時に引き下がれたのではないか? 先のことを考えられる人間なのだから、その感覚は大切にした方がいい」
グレゴリに嗜められて少し落ち着いたのか、彼女は小さくため息をついた。
「……仕方ありませんね。確かに、熱くなりすぎていました。殺しは無しで了承いたします」
「ちなみに、殺し以外は何でもありだ。流石にそのつもりだろう?」
「無論。勝敗以外のルールは不要。少なくとも、そこまでの縛りの必要性を、彼女に感じません」
「俺も同意見だ。少女は強いぞ」
「それも分かっていること。審判をやる気があるなら、試合開始の合図くらい頼めますね?」
「構わない。では、少女と師匠は、距離をとってくれ」
言われた通り、ハルはイヴと一直線上に距離をとる。
どうやら彼女は気配で完全に人の位置を理解しているらしく、迷いなく、グレゴリを挟んでハルと同じだけの距離を空けた。
「じゃあ、用意はいいか? 模擬試合、開始!」
――――イヴは本当に本気でハルと戦うつもりはない。
というか、勝てるとは思っていない。
至って冷静に相手との実力差は把握している。
そもそも、すでに振り抜かれた剣を指先で掴んで止めるような化け物を相手に剣で勝てるはずもない。
――だとしても。
無条件で言うことを聞いていては、立つ瀬がない。
実のところ、すでに彼女から格下だと思われていてもおかしくない。
それでも勝負を受けると言ったのだ。
戦わずとも結果が分かっているだろうに。
この場でグレゴリも納得させておくつもりなのだろう。
自分の方が実力が上だと仲間に教えたいのはそれほどおかしな顕示欲ではない。
怒りはない。
ただ、そう簡単に力の差を分からせてやるものかという気持ちがイヴの中には満ちていた。
仕込み杖を姿勢低く構え、イヴは動かなかった。
ハルには武器がない。
近寄ってこちらの攻撃を一度凌がなくては、その手は身体まで届かない。
「えっと、もう、始まっているんですよね?」
ハルが喋りながら近寄って来る。
足音はかなり静かだ。
以前の彼女とも違う。
彼女もまた、野外こそが本領を発揮できる環境だったということだろう。
しかし、どう攻めるつもりなのだろう。
剣を躱し、掴んで落とすつもりだろうか。
素手で殴りつけるような愚行を起こすようなら、殴った方の腕は次の瞬間に切り飛ばせる自信がある。
そうこうしているうちに、彼女との間合いが、一歩ずつ縮んでいく。
やがて、剣の間合いの一歩先で、彼女は立ち止まった。
「イヴさんって儚い雰囲気がありますけど、誰よりも血の匂いがします。近寄るの、怖いんですよ」
話しかけられても戦闘中に会話はしない。
イヴは特に、目が見えないのだから、耳を澄ませていなくてはならない。
彼女が話しかけていることで位置は分かるが、細かい動作を読み取りにくくなっている。
普段なら、相手の魔力の流れを視る。
しかし、ハルは魔力適性が低すぎるのか、魔力が大気のそれとほぼ同等しかない。
だから、読めないまではなくても、読みにくい。
次の瞬間、と表現するのが正しいのかイヴにはわからない。
気がついたら、ハルは消えていた。
イヴは周囲の全てを把握できるほどに感覚を鋭く鍛えた。
だから、その感知網に引っかからない人間など見たことがなかった。
ロープのようなものが滑り込んできて、仕込み杖の柄を握っていた腕を絡めとられる。
反射的に、杖の方で周囲を一周薙ぎ払った。
何にも触れられず、何かが跳んだ気配もない。
(――一手、間違えたか)
周囲と上にいないのなら、つまりは下――地面ぎりぎりにハルが這いつくばっていたのだろう。
振り抜いた腕も絡めとられ、やがては身体をぐるぐるとロープで巻かれる。
それも、素人の巻き方ではなく、関節を抑えるように、力の入らない体勢に縛られてしまった。
「……武器はないという言葉が嘘であったことは咎めません。敵の言葉を信用した私の油断です。しかし、捕縛術など誰に習ったのでございますか?」
「冒険者ギルドの教官に教わりました。まあ、今まで役に立つことがなかったのでうまくいくか不安だったんですけど、なんとか」
彼女は照れ臭そうに笑う。
「私相手に、そんな不安な武器を……?」
「あっ、ちゃんと練習したんですよ。ただ、イヴさん相手だと一度でも切られたらおしまいなので不安だっただけです」
相手が手ぶらだと思ったのは、刃物や鈍器を持っていなかったからだ。
縄を主力にしている人間などそうはいない。
完全なる油断だ。
「とにかく、これで私の勝利ですよね?」
「……いくつか、疑問があります」
「その前に縄を解きますね」
ハルが指先で簡単に縄を引きちぎる。
そういえば、彼女は筋力の値も高かったことを思い出す。
きっとこんなふうに縛られても力づくで引きちぎれるだろう。
「私の感知範囲から逃れるその術は、どこで身に着けたのでございますか? そう簡単にできることではございませんよ」
「あっ、えっと、私には友達がいて、その友達の手伝いで、色んなところに潜入したり、姿を隠したりすることが多かったので、なんとなく、相手がどの方向を警戒しているかわかるんです」
「まるで暗殺者ですね」
「暗殺なんてとても! でも、やろうと思ったらできるんですかね」
「無理でしょうね。少量でも殺気というものは出るものですから。そのための訓練を受けていなければ、そう簡単には為せないことでしょう」
「それはよかったです。すごく才能があると言われても困るところでした」
縄を解いてもらって分かる。
今、ハルがその気なら自分が死んでいたことが。
「ところで、どうして今回は私の剣をつままなかったのでございますか? そうすればもっと楽に勝てたはず……」
「えっ、無理ですよ。あの時は始点と終点が明確だったからできただけです。こんなふうに対峙して、どの方向からでも剣が飛んで来る状況で、あんなことはできません」
「なるほど。腑には落ちませんが、理解しました。ただの身体能力差ではなかったということでございますか。頭脳ですら負けていたとなると、どうしようもなく、私の敗北を認めなければならないようでございますね」
イヴは肩を落とす。
人間相手にこれほど不覚をとるなど、久しぶりの経験だ。
それも、戦う敵がいなくなったと思ってからのことだ。
これまでに積み上げた誇りやプライドにヒビが入る音すら聞こえる。
「グレゴリ、あなたから何か気がつくことはありましたか?」
イヴが問うと、彼は不思議そうな顔をしていた。
「俺は少女と共に冒険者の訓練と試験を受けたし、パーティも組んでいる。こういう戦い方ができる人間だと知っている。今更驚くことはない」
「……そうですか。知らなかったのは私だけだと」
「気を落とすな。あれは俺から見ても異常だ。恐らくは生き方そのものだろう」
「生き方そのもの……」
「何か過去にあったのだろう。お前も似たようなものではないのか?」
「そう言われると、そうかもしれませんね。私も病気で視力を失いました。それに値する何かを、彼女も背負っているのでございましょう」
比べるとしたら、そういうことなのだろう。
イヴも今更彼女に過去のことを問おうとは思わない。
今の彼女は少なくとも楽しそうだ。
ならば、それでいいではないか。
「イヴさん、約束、守ってもらえますよね」
「ええ、約束した通り、ハルに魔力を視る修行をつけてさしあげます。しかし、簡単ではございませんよ?」
「望むところです!」
やる気は十分にあるようだ。
その様子に、イヴは自然と微笑んでいた。




