なんでお前がここにいる
船頭の漕ぐ櫂の音だけが水煙の中に響く。
まだ日が昇る前に、ハルは湖を渡る船を予約していた。
少し金額を多めに払い、事情を喋らないことと他言しないことを約束させている。
今回は仕事ではないため、冒険者ギルドの仲介は頼めなかった。
彼が信頼できる船頭であるかどうかは賭けだった。
魔法学校のある島ガーディナは、高い塀で囲われた、いわゆる要塞型の島だ。
周囲を琵琶湖よりも大きな湖で囲われているが、艦船が入り込めるような海ではないため、外から攻め込めにくい形になっている。
桟橋についたら、ハルは外套で顔を覆ったまま、お金を払って会釈をして町へ入る。
早朝ということもあり、人影はない。
観光であれば二、三日滞在したいくらいに綺麗な町だが、そんなに気楽なことはできないし、時間もない。
今回の目的は潜入と情報収集。
可能な限り痕跡を残さず、手早く済ませて脱出しなくてはならない。
町の地図はあらかじめ頭に入れてある。
路地を通って、足早に学校へ向かう。
学校は二十四時間解放されているらしく、鍵はかけられていないと聞いている。
全て受付嬢のレヴィから聞いた情報で、今回はそれを土台に計画を練った。
灰色の石で作られた校舎は、朝日が反射すると白く輝いて見える。
(銀色のお城みたい――)
見惚れていた自分の頬を叩き、やるべきことを思い出す。
まずは外套を脱いで、畳んで荷物の中にしまう。
服装はいつもの制服だが、またマグノリアに手を加えてもらって、周囲の人間と同じように見えるように魔法の繊維を編み込んでいる。
自己修復能力と洗浄能力と擬態能力。
これでこの制服には三つの魔法がかけられていることになる。
いよいよ原型を留めなくなってきた気がする。
足早にハルは魔女狩りたちの寮へと向かった。
今ほとんどの魔女狩りは『狩り』に出かけている。
寮からは人の気配がないに等しかった。
本来ならここへの侵入は慎重を期すことなのだが、今も残っているのは最低限の人員だけだ。
埃ひとつない窓を見るに、設備の維持のための清掃係が残っているのだろうと感じる。
ハルは堂々と歩いていた。
こういう時は変にこそこそするよりも自信を持って行った方がいいことを知っている。
見かけた人が身内だと感じるくらい、堂々と。
しばらく進み、廊下の曲がり角で一度止まる。
足音が聞こえた。
体重は五十キロくらいの女性の歩き方だ。
ひとりのようだが、どうも違和感があって、ハルは身を潜めることにして柱と壁を利用して登り、クモのように天井の角に張りつく。
怪しい誰かが通り過ぎるのを待とうとして、その人物が視界に入った時、心拍数が跳ねあがった。
見覚えのある白いワンピースと茶色のブーツ。
閉じた両目と、木製の杖。
白くて短い髪。
見つからないよう祈っていると、彼女はこつこつと廊下を杖で叩きながらハルの下を通りすぎていく。
(良かった、見つからなかっ――――)
次の瞬間、ハルの方へ向かって小石が飛んできた。
ハルは顔めがけて飛んできたそれを、少し動いて躱す。
当たらなければ、何もいないだろうと判断するに違いないと考えたのだが、それは違った。
「ただのネズミかと思いましたが、違いますね」
彼女にしてみれば、身動きのとれない場所にいて、避けられるはずのない攻撃だったのだろう。
ハルは観念して廊下に降りる。
「お久しぶり、というには早い再会でございましたね」
「えーっと……」
「私は音の反射で物の場所を細かく把握できます。視覚のある者から逃れられる場所へ逃げても無駄でございますよ」
「あはは、そうですか。いや、そこまでとは」
「それで、何用でございますか? 回答によってはここで始末しなければなりませんが」
「それは無理ですよね? だって今、武器持ってないじゃないですか」
仕込み杖でもなく、投擲するナイフのようなものもない。
今は完全にただの木の杖だけしか持っていないのが、その様子からわかる。
「……あなたは、私にない『眼』を持っていますね」
「そんな大したものではありませんよ」
「人の攻撃をこれだけ避けておいて、それを謙遜ととれるほど、私も大人ではございませんよ?」
カイは笑みを浮かべていたが、若干の苛立ちも感じる。
「えっと、カイさん。私と会ったことは内密にしてもらうことはできますか?」
「できないことはありませんよ。何を探しているのか知りませんが、ここをいくら探ったところで分かることはありません。ただの宿舎なのですから」
「私が探しているのは、砂の魔女さんの情報です。魔女狩りさんたちのことではありません」
「嘘ではなさそうですね。しかし、協力する義理はございません」
「そうなると、ここであなたを気絶させないといけないんですけど……」
「丸腰の相手を?」
「丸腰でも口はついてるじゃないですか」
「物騒な人ですね」
「もう手段を選んでる場合じゃなくなってきたので、仕方ないですよ」
ハルはカイを捕えるために構える。
今はどうしてもここで捕まるわけにはいかないし、手段は選べない。
戦いになるかと思ったが、意外にもカイは両手を上げて降参のポーズをとった。
「悪いのですけれど、私も今はあなたと事を構える気はございません。魔女狩りの席から外され、後任の育成で忙しいので。お互い、会わなかったことにいたしましょう」
「えっ、カイさんはもう魔女狩りじゃないんですか?」
「そうです。ちなみにですが、カイという名は魔女狩りの名です。私の本名はイヴと申します。これからはそうお呼びください。でなければ、後任の『カイ』とややこしくなってしまいますので」
「カイさんって名前じゃなかったんですか!?」
イヴと名乗った彼女は、以前よりも明るく見えた。
少なからず魔女狩りの肩書きが重荷になっていたのだろう。
「ところで、私がどうしてこの廊下を歩いていて、あなたと長々と雑談していたか、わかりますか?」
「へ?」
「時間稼ぎですよ。後任の育成で忙しいと言ったではございませんか。つまり、この寮には魔女狩りがひとり残っているのですよ」
背後を振り返ると、見覚えのある顔があった。
「グレゴリさん!?」
向こうも驚いた表情をしていたが、すぐに困惑へと変わる。
「少女、なぜここにいる?」
「そっちこそなんで――」
問いかけて、理解する。
「目標が叶ったんですね」
「話が早くて助かる」
この場で一番驚いていたのはイヴだった。
「ふたりはお互いのことをよくご存知だったので?」
「グレゴリさんが魔女狩りになりたいのは知っていました。しばらく出かけると言っていたので休暇かと思っていたのですが、この件だったのですね」
「ああ、そこの盲目の剣士のおかげでな。今は魔女に関する知識や魔法に対抗するための技術を学んでいるところだ」
「そうなんですか。あっ、じゃあもう一緒に依頼を受けたりはできないんですね……」
少し寂しいが、彼の夢が叶ったことをまずは祝福したい気持ちがある。
「俺が死ななければ、いずれは冒険者に戻る。それを待てばいい」
「でも、グレゴリさんがカイ――イヴさんの後任なら、担当は火の魔女さんですよね。しばらくは難しいんじゃないですか?」
「む、どうして少女が火の魔女との話を知っている」
「あっ、それは、えっと」
ハルが口ごもっていると、イヴが代わりに答えた。
「話しても大丈夫です。彼女は一部始終を知っています」
「なるほどそういうことか。しかし、なぜこんなところにいるのかの説明にはならないな」
「砂の魔女について調べているんです。ここが一番早いかと思って」
「砂の魔女は俺たちの管轄じゃないからわからないな。悪いが手伝えない」
「その気持ちだけで十分です。私は私と会ったことを秘密にしてもらえたらそれだけで大丈夫です。あとはなんとかするので。ありがとうございます」
「がんばれよ」
「はい! グレゴリさんも、がんばってください」
ハルがイヴの方を振り向く。
彼女は眉間にシワを寄せて、不思議そうな顔をしていた。
「……それでいいのでございますか?」
「何がです?」
「……いや、いいです。私がおかしいのかもしれません」
明らかに混乱している様子だったが、ハルとグレゴリがすれ違って、グレゴリはイヴと共に外へ向かって行ったため、ひとまずは安心した。
魔女狩りには担当の魔女がいることは知っている。
早い話、今回の潜入では、砂の魔女の担当を探して、部屋を物色させてもらいたいのだ。
その目的は案外すんなりと果たせそうだった。
大広間に入ると、大きく書かれた魔女狩りの名前と、その下に狩る魔女の名前が記されていたのだ。
(お報せじゃないよね。士気高揚のため?)
何にせよ、名前が分かるだけでありがたい。
砂の魔女と名前が繋がっているのは、魔女狩り五位のファイという人間だ。
名前を見ただけでは男か女かわからない。
カイがそうだったように、ファイというのもコードネームだろう。
ハルは杖を取り出して、植物にファイの名前の匂いを覚えさせる。
名前はただの文字とは違う。
日本では呪いの類でもよく用いられるように、コードネームであったとしても、本人を指すものであれば、眼には見えない縁のような繋がりがある。
細い蔦を指輪のように巻きつけて探知魔法の『ヘビの舌』を最小限のサイズで機能させる。
魔法の示す方向へ歩いていくと、五つの個室が並ぶ廊下があった。
そのうちのひとつを開くと、高級そうな木製家具の並ぶ部屋だった。
丁寧な意匠に、細かな金の装飾。
持ち主の性格を表しているかのように、全ての家具が同じようなデザインで揃えられていた。
(たぶん、男の人だ)
この部屋にドレッサーがなかったことで、ハルはなんとなくそう考える。
きちんと整理整頓された部屋には、メモ紙ひとつ置かれていない。
引き出しやチェストの中は完全に空っぽだ。
ここまで来ると逆に怪しい。
まるでここにいた痕跡を消そうとしたようにも見える。
魔法を使って探したが、髪の毛の一本も落ちておらず、ハルは腕を組んで唸る。
来てしまえばなんとかなると思ったが、思った以上に次の手がかりが見つからない。
全部の家具をひっくり返すつもりで部屋中を探っていると、杖の盾の裏に一枚の紙が貼ってあった。
『砂の魔女カースについて、ここに記す――――』。
(そっか。後任のためのメモだ)
とすると、このファイという人間は、痕跡を消そうとしたのではなく、生きて戻らないつもりでここを出たのだろう。
この情報だけが後に引き継がれたらいいという覚悟を感じる。
紙の内容に目を通すと、カースの外見の特徴、カースが触れたもの全てを砂に変える魔法を使うことと、そのためには空気を用いた防御魔法が必要なことが書いてある。
書いてあることは当然魔法に長けた魔女狩りが読んで実行することであり、植物の魔法しか使えないハルが真似するのは難しそうで、何より魔女狩りは専用の武器を持っている。
魔力を無効にする武器が前提にあっての情報であり、これをそのままハルが使うことはできない。
(だったら、同じ武器を作ればいいんじゃ?)
仕組みが分かればバーンに頼んで作ってもらうことも可能なのではないだろうか。
そうと決まれば、とハルは図書館へ向かう。
いつの間にか校舎内は学生で溢れていた。
おかげで制服の迷彩が効力を発揮し、誰にも疑われることなく図書館へと侵入する。
見上げるほどに高い本棚が所せましと並んでおり、外の光は一切入って来ない造りになっていて、妙に埃っぽい。
朝早くから図書館に来ている生徒は少ないが、全くいないわけではないようだった。
怪しまれないよう、目当ての情報がありそうな棚を探す。
本棚の並びはきちんとジャンルで分けられており、初めて訪れたハルでもどこに何があるのか分かるようになっていた。
魔女に関する資料はすぐに見つかった。
古ぼけた表紙の辞書のような分厚い本が何冊もある。
見た目が一番新しいものだけを抜きとって、ぱらぱらとページを適当にめくる。
見慣れない情報がいくつも書き綴ってあり、著者の想像や推測もかなりの量が含まれているように思う。
これが書かれたころにはまだ魔女ごとの個人情報は解明されていなかったようだ。
『――優秀な魔術師が悪魔と契約することで魔女となる。』
ただその一点が、ハルは気にかかった。
ハルも魔女になる方法は知らない。
皆がどういった経緯で魔女になっていたとしても、別に関係ないからと、聞こうとも思っていなかった。
魔女がもっと上位の存在と契約している存在であり、契約内容を変える力を持っていないのは本当なのだろう。
でなければ、カースだけ契約を打ち切って魔女から追い出せばいいからだ。
『執行者』の項目で、ハルは手を止める。
魔女が三回のペナルティを受けることで現れる処刑人。
その容姿や数は様々で、その時により異なる。
手には魔女を殺す剣と魔女を縛る鎖を持ち、冷酷無比に処刑を行う。
魔女狩りの武器をどこかで見たことがあると思ったのは、これだ。
もはや白と言う他ない輝く銀色の剣。
あれと同じものを人の手で作ることができるようになったのなら、それは想像以上に、魔女相手の必殺武器として有効に機能しているに違いない。
しかし、大量生産はできていないのだろうということが、魔女狩りの人数から分かる。
そのうちの一本を折ってしまったことが、やけに申し訳なく感じる。
あの剣はこの学校の中で作っているのだろうか。
地図には工房や鍛冶場のような場所はなかったはずだ。
魔法的な製造過程であるなら、想像しているよりも小規模なスペースでできるのかもしれない。
他の本を調べてみても概ね同じような内容だった。
執行者の存在はかなり古くから知られていたようだ。
本を読むふりをしつつ、次に行くところを頭の中で考える。
もうじき授業が始まる時間になる。
教室に人が集まっている時間に外をうろつくのはリスクがある。
(なるべく誰にも話しかけられたくないなあ……)
そう考えていたのもつかの間、背後から声をかけられた。
「――おい」
「は、はい? 読書中なんですけど?」
声を荒げないよう、恐々としながら振り返ると、見覚えのある半分の仮面をつけた男――――アルヴィンが立っていた。
「なんでお前がここにいるんだ」
「え、お、お化け……?」
「バカ、生きてるわ」
アルヴィンに怪我は無さそうだし、何より姿を隠していない。
勝手に死んだものだと思っていた。
「ガーネットさんの魔力ってまだ切れていないんですか?」
「見たら分かるだろ。いやそれより、お前が何でここにいるのかが知りたい」
「私は、魔女に対抗する手段を調べに来たんですよ。あっ、忍び込んでいるので、内緒ですよ」
「見つかったら殺されるぞ」
「だから早く帰りたいんですよ。アルヴィンさん、魔女狩りの装備をどこで作っているか知ってますか?」
「魔女狩りの装備ィ?」
アルヴィンは首を傾げ、しばらく考えていたが、やがて思い当たったのか、納得したような顔をした。
「魔女殺しの武器のことか。執行者から着想を得て作られたっていう」
「詳しいですね」
「まあ、その協力に来たからな」
「……えっと、どういう意味ですか?」
「魔女を殺すための研究の手伝いに来たんだよ」
「ガーネットさんを裏切るんですか?」
アルヴィンはため息をつく。
「ガーネットは今、この学校の地下に幽閉されている。魔女が脅威でなくなったら解放してもらう約束だ」
「まだ生きているんですね」
「生きていると言えるのかどうか……。俺のことはいいんだよ。お前のとこにももう魔女狩りが来たのか?」
「いえ、まだ。火の魔女さんのところでイヴさんに会いました」
「ああ、それであいつが後釜になったのか」
「グレゴリさんとも会ったんですか?」
「いや、会っていない。あいつも俺に用事ないだろ。たぶん気がついているだろうがな」
「そんなもんですか」
「そんなもんだ」
ハルが言うのも何だが、彼らもなかなかにさばさばとしている。
「……魔女殺しの武器は確かにこの学校で作っているが、ひとつ作るのに一年近くかかるぞ。お前が順番待ちしている間に魔女を狩り終わるだろうな」
「本当にあの武器で砂の魔女さんを倒せると思いますか?」
「含みのある言い方だな。はっきり言っておくが、砂の魔女は強い。人間じゃ無理だろうな」
「じゃあ、どうして手伝いなんか――」
「できるかどうかは重要じゃねえ。俺は俺の目的のために手を貸しているだけだ」
「ガーネットさんを殺せる武器ができあがれば逃がしてもらえるという保証もないのに、ですか」
「向こうの手に落ちた時点でこれ以外に方法がねえ。俺は魔女狩りの成功を祈ってるわけじゃねえし、時間稼ぎでも何でもいい」
「死んでもいいってことですか」
「そうなるな。そもそも命が惜しいやつが魔女狩りなんてやるかよ。魔女が強いのは誰より知ってるはずだろ」
「……みんな、生きるために戦っているんですよ。アルヴィンさんと同じです」
「そうかい。それでも俺の答えは変わらねえよ。邪魔したな。せいぜいがんばれ」
「どこに行くんですか?」
「仕事だ」
「私も連れて行ってください」
「嫌だよ。お前邪魔するだろ」
「邪魔しません! あの武器を作っている人を教えてくれたら後は自分でなんとかします」
「それが邪魔以外の何だって言うんだよ……」
「お願いします! アルヴィンさんのことは秘密にするんで!」
「立場逆じゃねえのか。……お前無視してもどうせ勝手についてくるんだろ。ただ、俺が邪魔だと思ったら叩き出す」
「構いません。ありがとうございます」
思わぬところで心強い味方を得られた。
「そういえば、アルヴィンさんはどうして図書館へ?」
「借りた本を返しに来ただけだ」
「あっ、待って、待って」
さっさと歩いていくアルヴィンを追って、ハルは図書館を後にした。




