わからない
火の魔女バーンは、定住できる場所を探していた。
かつて砂の魔女に滅ぼされた果てしない砂漠を歩き、人の住んでいる町を転々としていた。
バーンは独りでの生活と町での生活を百年ほどの周期で変えている。
本当は町に住み続けた方が便利なのだが、大昔にひとつの町に住み続けたせいで、勝手に後ろ盾にされて、いらぬ争いを生んだことがあったのが、ずっと気にかかっていた。
――こんな砂漠の中に町があるとはバーンも思っていない。
だがもしもこんなに厳しい環境で暮している人間がいるとしたら、きっと生活に困っているはずだ。
少し手助けをすれば、そこに住みやすくなる。
魔力が力であるこの世界は、ただでさえ、魔女は嫌厭されている。
このような砂漠を作り出したのも魔女で、助けたのも魔女となれば、マッチポンプを疑われるのも無理はない。
そこで信用を得るためには、現地の人間の悩みをいくつか解決してやる必要がある。
これまでにも色々と行った。
井戸を掘ったり、逸り病を治療したり、飢餓を解決したり。
魔法を使えばそれほど難しいことはなかった。
人を助けたことで、感謝されるのも悪くはない。
しかし、それでも死にかけた人を助けることはなかった。
魔女であるせいで、命を助けると、どうしても魔女の盾の契約が発生してしまうからだ。
バーンは何も考えず、ひたすらに砂漠を歩く。
この砂の海には、自分の足跡のほか、何もない。
時折吹く突風が、その足跡すらも消していく。
何もないというのも、風情がある。
バーンはその滅びの景色を楽しんでいた。
何ヶ月か何年か、どれほど彷徨い歩いたころだろうか。
ふと、人間のような生き物の魔力の気配を感じた。
こんなところに人がいるとは思えないが、興味本位で位置を探る。
生命力に反応する火の玉を前方に浮かばせて、方角を示させる。
そちらに向かって歩いていくと、子供がひとり倒れていた。
「――生きてんのか?」
足さきでつつくと、子供はうめき声をあげた。
死にかけの人間を助けるつもりはない。
だが、周囲を見回して、この子供がどこから来たのか考えた。
他の人間どころか、馬車の車輪の跡すらもない。
つまり、この子供は捨てられたのだとわかる。
大方、口減らしだろう。
この辺りの町は食糧に乏しいため、こういうことは珍しくない。
「おい、ガキ。生きたいか?」
子供は返事をしなかった。
唇は渇き、頬は痩せこけ、肌は日に焼けて赤く腫れあがっている。
だが、それにも関わらず、その目には溢れんばかりの生命力があった。
「少しだけ魔力を分けてやろう。どの方向に町があるのかはあたしも知らないが、勝手に歩け」
魔女の魔力は生命力の代わりとしても使える。
町まで導いてやることは簡単だ。
しかしそれをすると、命を助けたことが確定してしまい、盾の契約が発生する。
だから、この子供が自分の力で助からねばならない。
子供から目を離して歩き始めると、ゆっくりと、その後ろをついてき始めた。
バーンは苦々しい表情をする。
これでは助けてしまったことになってしまう。
「あたしと同じ距離を歩けると思っているのか? あたしはまだ何十日でもこのまま歩き続ける。他所に行け」
子供は首を振る。
気持ちはわかるが、バーンは嘘を言っていなかった。
とてもではないが、死にかけの子供がついてこられるような距離ではない。
「いいか? このままなら絶対に死ぬ。違う方向なら、低い確率かもしれないが、助かるかもしれない。どっちを選ぶ?」
「……私は」
擦れた声で子供は言う。
「生きたくない」
「は?」
「死ぬために、ここにきた」
「何言ってんだ?」
「私は、村のために、自分から、ここに捨ててもらった」
口減らしの犠牲に立候補したのだろう。
たまにいる輩だ。
その村にも居場所がなく、帰るところのない子供だろう。
「だから、助かっちゃ、いけない」
「はあ……」
変なやつに魔力を与えてしまった、とバーンは頭を掻く。
「お前は確実に死ぬために、あたしについてくるつもりか?」
子供は頷く。
無視してもいいが、背後で行き倒れられてはさすがに後味が悪い。
そのままずるずると、バーンは子供を連れて歩いた。
本人にはバレないよう、微量の魔力を与えながら。
もしもこれで契約書が現れたら、もう仕方がないと諦めることに決めた。
二十五日歩き続け、小さな集落にたどり着く。
これでようやくお役御免だと思い、子供に先に行くよう目配せをする。
「さっさと行け。あたしは別のところに行く」
「私も、ついていく」
「あのな、あたしもお守りはごめんなんだよ。死にたきゃ他所に行きな」
「死にたいけど、死ねなかった」
「それは――」
説明しそうになるのを、ぐっとこらえる。
「とにかく、お前がどこで死のうがあたしは知らない。だけど、目に見える範囲で死ぬのはやめてくれ。気分が悪い」
説得を聞かない子供を相手にしながら、バーンは盾の契約書が出現しないことに安堵していた。
この子供は本当に生きる気がないのだ。
(いや、どうしたらいいのかわからないのか)
生きることも選べず、死ぬことも選べない。
自分の意思もなく、目の前にあるものについていくだけしかできない。
「死ぬのは、苦しかった」
「……だろうね」
どうしたものか、と頭を悩ませる。
そこの集落に預けたいが、急に現れた人間をひとり養えるだけの蓄えがある村はこの辺りにはない。
子供か老人を捨てなければ、今暮らしている人間が飢えて死ぬ土地なのだ。
全ては砂の魔女カースが原因だ。
この景色も境遇も、カースがいなければ起こらなかった。
気の毒で可哀想だとは思うが、魔女は人間を無条件に助けてやることができない。
だから、自力でなんとかしてもらわなければならないのだ。
そう考えて、ひとつの案を思いつく。
魔女は人間を悪い状況から救うことはできない。
しかし、最初から悪い状況にならない町を作ってはどうだろうか。
町が先にあるのではなく、魔女が先にあれば、助けることにはならないのではないだろうか。
「ガキ、名前は?」
子供は首を振る。
名前もない子供なのだ。
「だったら、あたしがつけてやる。そうだな。ファリスってのはどうだ?」
ファリスはきょとんとしている。
救うとは何も、怪我を治したり、敵を倒したりすることだけではない。
居場所のない人間に居場所を与えてやることもまた救いとなってしまう。
救われたと思われてもいけないというのは、なかなかに難しいものだ。
「これでお前とあたしとの間にはもう切っても切れない関係ができた。これから先、勝手に死ぬことはあたしが許さないからな」
「……どういう意味?」
バーンは頭をぽりぽりと掻く。
救われたことが理解できなければ魔女の盾にはならない。
「そのうちわかればいいか……。お前はこの砂漠であたしが拾った。どうせ死ぬ命なら、もらっても構わないだろ?」
「……いいけど」
「『けど』ってなんだ」
「私が死なないと、他の人が助からない」
「死ぬことと助かることに直接的な関係はない。お前の役目は住処を出た時点で終わっている」
「……むずかしい」
「あとで分かればいい。まずは歩くぞ。お前はあたしの魔力で飲まず食わずでも一年は生きられる。人が住むに適した地域までは休まないからな」
バーンが歩き始めると、後ろからファリスがとてとてとついてくる。
「ねえ」
「なんだ?」
「名前、聞いてない」
「ああ、あたしはバーン。火の魔女バーンだ。よろしくな」
「私は、ファリス。よろしくな」
「そこは真似しなくていい」
それから、ふたりは日を数えることを忘れるほどに歩いて砂漠を抜けた。
道中では人間の死体をたくさん見た。
争いで死んだものではなく、骨折箇所のない綺麗な白骨死体だった。
生贄というものはいつになっても人間の生活の風習に根深く残っている。
何かを差し出せば何かを得られるという考えが蔓延している。
それは間違っていない。
しかし、根拠と仕組みの理解は必要で、闇雲に供物をささげても、誰も助けてはくれない。
砂漠を抜けた先は、草木の生えていない荒野だった。
水場や生き物の潤沢な地域まではまだ遠いだろう。
しかし、バーンにはひとつ分かることがあった。
――この地域には、手つかずの燃料が眠っている。
石炭かガスか、とにかく可燃性の燃料だ。
これを使えば、町を作って発展させられる。
まずはここに水と食糧を通す道を作らなければ町にはならない。
人は砂漠からかき集める。
幸いにも時間はたくさんにある。
ファリスが盾としての修行を始められるくらいまでには、ある程度土台を固められるはずだ。
準備が整ったらファリスを育てる。
砂の魔女カースに対抗できるかどうかはファリスの資質次第だ。
近い将来、何らかの形で接触するような予感がしている。
避けて歩く方が賢いが、この世には避けられないものもある。
それに、いい加減砂の魔女をこらしめなければならないと思っている。
そのためには強い人間と他の魔女との協力が不可欠だ。
マグノリアや星の魔女スピカは協力するかもしれないが、他の連中は人間を助けることに全く興味がないし、砂の魔女とやり合う理由もない。
かろうじて、ガーネットとシャドウのふたりの企みがうまくいって、伝説の竜を復活させられたら、少しだけ戦力になるだろうかといったところだ。
「――少し先の事まで考えすぎたな。まずは目の前のことからやっていくか。ファリス、お前の役目はあたしについてくることだ。色んな人間を見て学べ。そうしていれば、そのうち自分の在り方も見えてくる」
「わかった」
「本当にわかっているか?」
「わからない」
「……だろうな」
バーンは苦笑する。
何も急ぐことはない。
いずれわかればいい。
生きていくということも、救われたということも。




