できるさ
ハルの夢の世界がガラスのように砕け、昼間の町に戻っていた。
屋敷の中ではなく、町の中央にある広場にハルは立っていた。
見える範囲に他の人間はおらず、ただこちらを鬼のような表情で睨みつけるガーネットがいるだけだ。
「私は負けたわけじゃない!」
開口一番に彼女は言う。
何が起こったのか、ハルは把握していない。
だが、ツミキが何か手を貸してくれたのはわかる。
「えっと、ごめんなさい。でも、素直に出してもらえそうになかったので」
「だからって、私を異空間に送り込むなんて!」
「それはお互い様ですよね? ところで何をしようとしていたんですか? 見たところ、私たちは町に入った時点であなたの魔法にかけられていたみたいですけど」
ガーネットは睨みつけるだけで、何も言い返してこなかった。
背後に何かを感じて身を屈めると、首のあったところをナイフが通過していった。
「へたくそ! きちんと当てなさい!」
「いや、まさか避けられるとは。覚醒直後で立ってんのがそもそも変なんだよ」
ナイフを投げたのは、アルヴィンだった。
ハルは目の端で彼の姿を確認しつつ、話しかける。
「アルヴィンさんは無事だったんですね」
「無事っていうか、逆になんでお前ら生きてんだよ」
隣りを見て、グレゴリが膝をついているのだけ確認する。
まだ目が覚めたばかりで真っ直ぐ立っていられないのだろう。
「悪夢からの脱出は得意ですので。それよりこの状況、アルヴィンさんは裏切ったってことでいいですか?」
「裏切ったも何も、お前らがなかなか死なないから、ここまで来ちまったんだろ」
「ああ、じゃあ、やっぱりそういうことでいいんですね」
アルヴィンが小さくため息をついて、ガーネットの前までだるそうに歩き、こちらに向き直る。
「ここまで来たからには自己紹介するか。石の魔女の盾、アルヴィン。今回の件は全て俺の仕込み。要するに、お前らの敵だ」
それを聞いても、ハルはあまり驚かなかった。
ずっと引っかかっていたことの答えだったからだ。
「アルヴィンさん、レインさんに殺されかけたあと、ガーネットさんに助けられたんですね?」
「……そういうことだ。じゃあ、説明はいらねえな」
「はい。私はどうやってあそこから回復したのか、ずっと不思議だったんです。回復魔法でどうにかなる怪我じゃなかった。その仮面の下、もしかして結晶化してるんじゃないですか?」
そう言うと、アルヴィンは苦笑して、仮面を外す。
そこにあったのは溶けた顔ではなく、ダイヤモンドのような、顔の形をした綺麗な宝石だった。
「なんでも分かってんだな。恥ずかしいぜ」
「内臓もだいぶ結晶で補ってますよね?」
「そこまで分かっているなら、俺が石の魔女を殺されると困ることくらい、わかるよな?」
「まあ……。でも、私も死にたくないので」
ハルは小刀を構える。
「精一杯抵抗しますよ」
「上等」
まだ動けないグレゴリを置いて、ハルは一歩踏み出した。
────あの日。
降り注ぐ雨の中、アルヴィンは朦朧する意識で、ただ、自分の死を受け入れていた。
いや、もしかしたら、すでに死んでいたのかもしれない。
そもそも魔女なんて関わるべきじゃなかった。
人間相手に天才的な戦闘センスを見せつけ続けているうちに、魔女にもそれが通用すると、己の力を過信しすぎた。
雨の魔女の降らせる身体を溶かす液体は、すでに修復不可能なまでにアルヴィンの身体を破壊している。
これは最上位の治癒魔法だって治せないだろう。
そうしていると、途中で、雨がやんだ。
誰かが自分の上に覆いかぶさっているようだが、もう目もよく見えない。
「――助けてさしあげましょうか?」
一度は死を受け入れていた。
しかし、目の前に、救済の手が微かにでも見えていたら、それを掴まずにはいられないのが人間だ。
アルヴィンはどうしようもなく人間だった。
動かない手を、必死にその影に向けて伸ばした。
生きたいという意思が伝わったのか、アルヴィンの意識はそこで途切れ、次に目を覚ました時には知らない町の屋敷だった。
溶けていたはずの顔を、そっと触る。
ごつごつとした、岩のような感触はするが、痛みや血が出ているようなは感じない。
目の前にいる紅いローブを着た女性が魔女であることはすぐに分かった。
魔法学校に通っていたことのあるアルヴィンは他人の魔力の流れを感じ取れる。
彼女は魔力の流れが常人とはまるで違う。
普通の人がそよ風のような魔力だとすれば、まるで台風だ。
荒れ狂う魔力のその中で、彼女は優雅に紅茶を口にしていた。
心が屈するのを感じた。
どんなに隙をついても、彼女を殺せる画が思い浮かばない。
気がついた時には、跪いていた。
その様子を見て、彼女は優しく、アルヴィンの頭を撫でた。
アルヴィンはもうどうしようもないほどに魔女の盾だった。
契約はスムーズに済んだ。
契約を結ばないことが死と同義であることを聞いて、断る選択肢がなかった。
まず何をするのか聞いたところ、竜の鱗を集めろと命じられた。
竜の鱗は、かつて竜狩りがほとんど滅ぼした竜の一部だ。
鱗と名がついているものの、その身体の欠片の一部は全てそう呼ぶ。
竜の鱗を管理しているのは、古い竜狩りの一族であろうことは思い浮かぶが、まだ彼らが生きているのか、アルヴィンも知らない。
竜の鱗の足取りを追っていると、竜狩りは既に滅び、そして鱗は各地に散っていることを知った。
時には盗み、時には奪い、時には殺し。
あらゆる手段で竜の鱗を集めた。
その行為そのものに疑問を持つこともなかったのは、そのころにはすっかり魔女の盾としての使命に意思のほとんどを支配されていたからだろう。
ある日、いつもと同じく集めた竜の鱗を魔女に渡しに戻ると、彼女は明らかに苛ついていた。
「どうした?」
「邪魔が出た」
「邪魔?」
「私が鱗を育てていることは分かっているわよね?」
「ああ、魔物に埋め込んで竜を再生するための力を蓄えているんだろ? 再生自体は他の魔女がやっているって言ってたじゃねえか」
「私たちが竜の再生を行っているのはあくまで砂の魔女に対抗するための力を得るため。私と影の魔女との同盟の間に、不逞な輩どもが入り込んでいるようね」
彼女の苛つきで、周囲の空間に、宝石の光の屈折のようなヒビが入っている。
激情で漏れ出した魔力が空間に干渉しているのだ。
「鱗の横取りか?」
「いえ、あれは人間が手にしてもどうにもならないもの。しかし、奪われては面倒な品物でもあるわ。行方がわからなくなっては困るでしょう?」
「たしかにそうだが。しかし、すでに魔物に植え付けてしまっているものは、影の魔女の領分だ。俺たちが手出しはできない」
「そうね。だから、その邪魔者たちをどうにかして消しなさい」
「もし、影の魔女の手下になっていてもか?」
「なっていても。私たちが存ずることではありません」
「ふうん……」
「まさか、できないとは言わないわよね?」
「できるさ。一回死んでるんだぜ。怖いもんなんかねえよ」
アルヴィンが、その邪魔者が、かつて自分がちょっかいを出した花の魔女の盾であることを知ったのはその後だった。
最初は尻込みをした。
変に関わったせいで、雨の魔女に目をつけられてしまったのだから。
しかし、今はこちらにも魔女がついている。
それに、いくつも策を講じれば、直接手をくだすよりも確実に消せるに違いない。
アルヴィンはまず彼女のことを調べた。
何やら同期の銀の冒険者と共にパーティを組んで魔物を狩り続けているようだった。
――と、いうことは。
そのうち対人戦の指南を必要とするはずだ。
アルヴィンは元々、冒険者ギルドでは名の知れた傭兵だ。
対人戦術のスペシャリスト。
怪我を理由に、冒険者は引退して教官として働けないかギルドに持ちかけると、すぐに許可が下りた。
あとはひたすらに依頼を待った。
やがて、彼女たちはアルヴィンの目論見通りこちらを頼ってきた。
まずは本気で技術を教え、信頼を得る。
野盗の手配、魔物の手配、そして環境と目的地までの山道。
こちらの信用を損ねない程度に、アクシデントが仕込みだとバレない程度に、手を貸しながらも事故に遭わせ続ける。
しかし、彼女――否、彼女たちは、アルヴィンの想像以上に強かった。
ずっと魔物と戦っていたからだろうか。
とにかくふたりとも、勘がすごくいい。
経験の少なさを、野生の勘と持ち前のフィジカルで補えている。
こういう相手が、アルヴィンは苦手だ。
どれだけ頭を使っても、ナイフでクマは倒せない。
早々に始末することを諦め、町まで連れてきた。
石の魔女ガーネットに任せれば、このような手合いはすぐに術に嵌まる。
魔法への耐性がほとんどないからだ。
屋敷に案内し、ゆっくりとふたりの意識をガーネットの魔法が蝕んでいく。
魔女狩りの幻覚を見せることもできた。
その過程で少しの無茶も必要だったが、アルヴィンへ触れることで、ガーネットの呪いは完成する。
無生物へ触れた者へ、結晶化の呪いをかける魔法。
アルヴィンの結晶部分は、その呪いに満ちている。
安易に触れれば、通常なら結晶化を免れない。
結晶化した人間が捕らわれるのは、夢と呼ばれる結晶の世界。
それこそが『意思』の魔女でもある、ガーネットの禁域。
人の意識を宝石の中に閉じ込められた光のごとく、内側から外に出さない。
そしてその内側では、永遠に何も起こらない。
破壊や死などの変化のない世界。
物が増えることも減ることもない夢の世界だ。
普通の人間が意識の世界から出て来られることはまずない。
ガーネットを先頭に、結晶人と化したふたりを連れ、収容所へ向かっていた。
結晶人はガーネットの言うことしか聞かないし、思考する能力もないため、口頭での指示もできない。
厄介な人間を閉じ込めておくための牢のような場所を、町の外れに作ってある。
そこへ向かっている途中だった。
ガーネットが、突然うずくまった。
何が起こったのかと、アルヴィンが身構えていると、ハルを覆っていた結晶が剥がれ、地面に散らばった。
(嘘だろ!? 自力で脱出したのか!?)
驚きと同時に、アルヴィンは首を狙ってナイフを放っていた。
不意打ちでなければ、彼女の命を狙うことが難しいことを、よく理解していたからだ。
しかしそれは、簡単に避けられた。
彼女の戦闘態勢のスイッチはすでに入れられていたのだ。
(グレゴリの方も、解けかけている……)
アルヴィンは様子を見ながら彼女たちのとなりを通り過ぎ、様子を確認して、ガーネットの前に立つ。
グレゴリはまだしばらく動けないようだ。
ハルだけしか戦えないうちに潰す必要がある。
アルヴィンはナイフを構える。
勝てるかどうかじゃない。
生き残るには、勝つしかないのだ。




