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花の魔術師に誘われて  作者: 樹(いつき)
第三章 MAD MACHINE
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世界はもっと自由だ

招かれて入った教室の中の壁にはびっしりと呪文が書き込まれていた。

見たことのない文字だが、これがこの教室をあの化け物から守っているのだろう。


「まったく、君はなぜここにいるんだ? 帰ったはずだろう?」

「……あなたは誰?」

「む。ハルではないのか」


彼女は意外そうに口を尖らせて言う。


「事情は知らないが、君はハルの身体をしている他の誰かかい? 不便だからお互い名乗るとしよう。私は有栖川ツミキ。ハルの友人だ。君は?」

「……ガーネット。石の魔女よ」


そう言われて、ツミキは少し考える素振りをして、答えた。


「魔女か。いったいどこで、と考えても答えは出ないだろうが……。君はハルの意識でも乗っ取ろうとしたのだろう? そしてこの空間へ飛ばされた」

「飛ばすも何も、ここは夢の中で、異世界ではないわ」

「魔女と名乗る割には知見が狭いね。夢も世界だよ」


鼻で笑われて、ガーネットは苛立ちを覚えた。

それを感じ取ったのか、彼女はすぐに表情を引き締め直す。


「すまない。今のは私の悪癖だ。君に説明の必要性を感じたから答えよう。ここは曖昧な世界だ。夢と現の狭間。私たちの世界と重なり合っている世界。私は今、化け物の退治を頼まれてここにいる」

「アレを倒せるの?」


魔物とも違う、恐怖が物理的な存在になったような不穏な化け物。

ガーネットからすると、とても殺せる対象であるようには思えなかった。


「まあ、どんな相手でも準備次第だ。それよりも、この世界では外と時間がズレる。君は恐らく、遠いところから来たのではないかな? 未来か、異なる世界か……。どこでも構わないが、ハルがここに君を送り込んだのは、私にどうにかして欲しいからだろう。そうなると、君はハルの敵対者だ。私に君を助ける道理もなくなる」

「そんな! アレに食われろとでも言うの!?」

「何もそこまでは言っていない」


彼女はくすくすと笑う。

ガーネットは気が気ではない。

何があってもここから放り出されるわけにはいかない。


「なぜハルと敵対した? 主張の食い違いかな?」

「それは……あの子が私のものにならないから」


自分のものにならないなら壊してしまいたい。

その言葉に嘘はない。


「それは無理な話だ。彼女の身体は彼女のものだ。誰のものでもない」

「この世界の何者でもないって言ったのはあの子自身なのに?」

「それは過去の話だ。もう彼女は立派に田島ハルをやっている。君が何をしても揺らがないよ」

「私のものにしたいのだけれど」

「君もなかなか強情だね。まあ、私が決めることでもないし、主張するのは自由だよ。さて、君はこれからどうする? 元の世界に帰りたいのなら手伝うが」

「……どうして?」

「どうして、とは?」

「どうして手伝ってくれるのかってことよ」


ツミキは眼鏡を上げ直して指を三本立てる。


「理由は三つある。まず、穏便にハルに身体を返してやってほしい。意識の中じゃ勝ち目がないことくらいは君もわかるだろう? ふたつ目は、私も君ではなく仕事に集中したい。最後に、救われたいと思っているのは君自身だろう?」

「私が、救われたい?」


全くピンと来ない言葉にガーネットは眉をひそめた。


「そうだ。実のところ、君は自分の性格に行動を制限されているんじゃないか? 他人の所持品に拘りすぎる部分などは、君にとっても不利益になることがあるはずだ。しかし、わかっていてもやめられないのだろう?」


言われてみれば思い当たる節はたくさんある。

しかし全て魔法でねじ伏せられる問題ばかりだった。


「だから何よ。私の性格が求めたことなら、それは私にとって正しいことでしょう?」

「君だけにとってはな。だが、そこについてまわる不利益を精算することができていない」

「できていないなんて決めつけは早計ではなくて?」

「いや、君がハルと敵対しているのがその証拠になるんだよ。私にとってはね」

「何よそれ」


このツミキという小娘はよっぽどハルのことを信用しているのだろう。

彼女が人と相対するにはそれなりの理由があると考えているに違いない。

こちらから襲っても自力で解決するだけの能力があるとも思っているということだ。

ハルはガーネットたちの世界では弱小な人間のうちのひとりに過ぎないというのに。


「君は遠からず自らの罪を精算させられるだろう。ハルは怨恨を糧にするタイプではないからそこまでやらないだろうが、そういうやつもいるはずだ」

「私に罪なんてないわ。それより、助けてくれるなら早くしてちょうだい。向こうに戻ってあなたの小賢しいお友達を処分してあげる」


やけに落ち着いている彼女を揺さぶろうと少し脅しを混ぜてみた。

しかし彼女はそれすら一笑に付した。


「それもまた君の自由だ。しかしその結果誰にどう恨まれるかは計算しておいた方がいいだろうな。ハルは敵味方の区別がないやつだから、個人的にハルを気に入っている、ファンのような者もいるだろう」

「それはどうだか」


ガーネットは吐き捨てるように言う。

そう言われると自分もそこに当てはまる気がして、それを認めたくないプライドがある。


「ハルを殺したければやればいい。できなかったからここにいると私は思うがね」

「友人なんて言っておいて冷たいことを言うのね」

「できないと知っているからさ。ハルを殺せる人間なんていないよ」

「根拠をお聞きしても?」

「そういう星の元に生まれたという他ないかな。彼女は死の淵までは行くが、落ちることはない。断言するよ」

「へえ。俄然突き落としてあげたくなったわね」

「元気が出てきたようで何よりだ。さて、そろそろ休憩は終わろう。本題に戻るが、君がハルに身体を返すと約束するのなら、身の安全は保証しよう」


ガーネットはため息をつく。

その条件を提示してくることはわかっていた。

しかし簡単に魔法を解くことは魔女としての威厳に関わる。


「嫌だと言ったら?」

「私は何もしない。それだけだ」

「でもこの身体はハルのものでしょう? 私がここで化け物に殺されると不都合が生じるのではなくて? そうでなければ交換条件など提示してこないはずでしょう」

「そうだな。ハルと同化している君が死ぬとハルの精神にも少なからず影響が出るだろう。だが、それでもハルは全てを失わない。君がただ消えるだけだ」

「どうしてそう言い切れるの?」

「ハルは自分で自分を形成しているからさ。一部が欠けても修復できる。よく心の傷は治らないと言うが、ハルはもうそれを乗り越えている」

「……あはたたち、人間として少しおかしいわよ」

「自覚しているよ。ズレているからこそ、惹かれあったのかもしれない」


精神構造が根本的に異なる生命体だとガーネットは認識を改めた。

魂の変化を恐れない人間などいないはずだ。

だからこそ、人は死を恐れ、生に執着するのだから。


「……今だけあなたの口車に乗ってあげるわ。魔法を解いて身体を返すことを約束する」

「分かった。じゃあ、始めようか」


ツミキは教室の扉を開けて無警戒に廊下へ出る。

その後ろをガーネットは慌てて追いかけた。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの?」

「ん? ああ、問題ない。徘徊しているものはただの怨念の塊だ。出会ったところで大した脅威にはならない」

「でも食われるってさっき……」

「私からは言っていないが、君はそう感じたのだろう? 掴まってもただくびり殺されるだけだ」

「同じことじゃない!」

「いいや、違う。説明は省くが『食う』などの目的を持てるだけの知能がないやつは厄介ではない。アレは動いているものを追いかけているだけだ。岩が崖上から転がってくるようなものだと思えばいい」


確かに知性は欠片も感じなかったが、だから大丈夫と言うには根拠に乏しい。


「それにアレは私の仕事の相手ではない。所詮ただの灰汁だからな。造作もなく無力化できる」

「魔力もないのに何を言っているの?」


階段を降りながら会話を続ける。

本当に見つかることを恐れていない立ち振る舞いで、いざとなったら自分を囮にするつもりこもしれないとガーネットは周囲を警戒していた。


「魔力というものは私の世界ではフィクションだ。ここには存在しない。だが、恐らくは君たちの世界にはないものがここにはある」

「ないもの?」

「物理法則のようなものだ。万物に適用され、等しく効力を発揮する」


一階まで降りると、無数の目玉が廊下からこちらを見ていた。

まだ階段の下だが、ここから踏み出す勇気がガーネットにはない。


「さて、さっさとアレを祓ってしまおう」


ツミキは悠然と廊下へ進み、目玉をひとつ踏み潰した。

果実の潰れるような嫌な音がして、その直後に金切り声が響く。


「これは鳴子だ。五月蝿いが害はない」

「でもアイツが!」

「誘き寄せるために鳴らしたのだから来てもらわなくては困る」


バタバタと不愉快な足音が廊下の奥の暗闇から聞こえ始めた。


「私はただルールを使うだけだ。特殊な能力などひとつもない。君はその魔力というものを暴力にしか使っていないようだが、きっと他の使い道もあるはずだ」

「話してる場合なの!?」


姿が見え始める。

不定形の黒い塊と無数の手足。

よく見れば確かに口はないが、それでもあの大きさは十分に脅威だ。


「帰ったらよく考えてほしい。君が勿体ないことをしていると私は感じている。世界はもっと自由だ。支配が全てではない」


化け物がツミキに触れようとした瞬間、身体が一瞬にして霧となって辺りに散った。


「土剋水。土の怪異であることは見たらわかったから、利用させてもらった」

「殺したの?」

「いや、性質を変化させて散らせただけだ。核もないし、もう一度形を作るには早くても数十年かかるだろう」


彼女の言葉の真偽は確かめられない。

そもそも彼女が用意した化け物かもしれないと疑い始めていたが、それも確かめられないため、ガーネットは当初の予定通り、まずは元の世界に戻ることに決めた。


「私はもう安全だと思っていいのかしら」

「いや全く。今すぐに玄関から出て後ろを振り向かずに校門から出れば帰れる。そうでなければ、もっと恐ろしい目に遭うことになる。今度は庇う余裕はない。だからハルも一度帰しているのだよ」


アレで終わりではないということか。

ガーネットは急いで玄関へ向かう。

彼女と話すことはもうない。

あの教室で行っていた謎の儀式めいた呪文の数々は、まだこの後に必要なものだったのだ。


ガーネットは全速力で走った。

巨大なガラス戸の玄関から外へ出て、夜闇に覆われた敷地内を真っ直ぐに駆ける。

その途中、耳元で声が聞こえた。


「────ここから逃げたら全てを失う」


それは紛れもなく自分の声。

しかし、自分から発せられたものではない。

欲求を刺激し、踏み留まらせるつもりだ。


さっきツミキが言っていたことを思い出す。

知性のある化け物ほど危険。

話しかけてくるということは、誘惑するだけの知性と目的を持っているということ。


この世界でガーネットは無力だ。

ただ逃げることしかできない。

しかし、ガーネットとしての自我──プライドが足を止めさせた。


「全てを、失う……」


自分は奪う側の存在だ。

魔女は人間からその全てを奪う権利と力がある。

その自分が、何も得ることなく、失うことだけは許されない。


自分の中にあるふたつの心がせめぎ合っているのを感じる。

ツミキと出会ったことで芽生えたわずかな心境の変化に、まだ心がついていけていない。


「おーい! 走れー!」


遠くから声が聞こえる。

彼女は確かにガーネットを助けようとしてくれている。

それは『得た』と言えるのだろうか。

『得る』とは、自分が命令して初めて成立することではないのだろうか。


「止まって、振り返るの。そしてあいつを殺せ。ただの人間だから、首を折れば死ぬ」


その言葉で、ガーネットは覚悟を決めた。

抗いようのない拒絶反応で冷や汗と悪寒が止まらないが、それでも自分の言葉と行動で動かなければ、それは石の魔女ガーネットではない。


「お生憎さま。私は私の選択でこの命を得た。ここにいても持ち帰られるものは他にないの」

「この世界を牛耳ることも可能よ?」

「ここに宝石はないわ。ただの暗闇よ」


ガーネットは一歩を踏み出す。

体がどんどん軽くなる。

校門を走り抜けると、まるで羽根のようになり、やがては光のなかへ意識が消える。


これは夢の檻が壊れ、目覚める合図だ。

ガーネットは絶対に有利なはずだった世界で、謎の少女ツミキに敗北したことを認めざるを得なかった。





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