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花の魔術師に誘われて  作者: 樹(いつき)
第三章 MAD MACHINE
24/84

そこで何をしている?

ガーネットはその魔法で人を閉じた意識の中に閉じ込めることができる。

大抵の人間はガーネットに支配されたという先入観のせいでそこが夢の中であることにすら気がつけない。


極稀に、そこがガーネットの作り出した異空間ではなく自身の深層意識であると勘付く者がいる。

そしてさらにそれを自在にコントロールできる者となるとさらに少ない。

しかし、完全にゼロではなかった。


その全員が、自分の夢の内容を操作し、ガーネットに反撃を仕掛けてどうにか打ち勝とうとする。

しかしそれは、ガーネットにとって外の世界での戦闘と変わらない。

夢の中でも魔法は使えるのだ。

反撃を仕掛けた者は、意識の世界で長く苦しむことになる。


だから、ハルもその例から漏れることはないと思っていた。

油断ではなく、経験則に基づいた確信めいたものだった。


そのはずが、最初に目に入ったのは、見たことのない材質の灰色の狭い椅子だ。

箱の中に椅子があり、その箱は高速で前方へ向けて進んでいる。

前にはふたりの人間が座っており、それぞれ椅子に自分を縛りつけている。

ガーネットはその後ろの座席に座っており、前のふたりと同じくベルトで縛りつけられている。


箱には窓があり、外の景色は灰色の壁が延々と並んでおり、よく見えない。

ここは間違いなくハルの意識だ。

記憶を元に作られた世界だから、よく覚えていないところは作られていない。


隣の席に、少女が座っていた。

年は五、六歳だろうか。

見覚えはあるが、魔力をまるで感じない。


(違うわ。この空間そのものに魔力がない!)


魔法を使えば簡単にこんな鉄の箱は壊してしまえる。

普段なら無意識にでもやっていただろうが、今はそれができていない。


想像で魔力の存在を消したのかと考えた矢先、箱が急停止して目の前にある背もたれへ打ちつけられた。


「何よ!?」


前方から別の鉄の箱が横転しながら迫って来る。

その大きさはこれの二倍から三倍だろうか。

椅子に拘束されているせいで逃げられない。

わけのわからないまま、凄まじい衝撃でガーネットの乗っていた箱が吹き飛ぶ。


――衝撃、破片が飛び散る音、咄嗟に目を閉じ、上下が逆さまになっていることを感じながらゆっくりと目を開く。

潰され、首のへし折れた男女の死体が視界に飛び込んできた。


「な、なんなのよ……。何よこれ!」


死体など見慣れているガーネットも魔法が使えないことに焦燥感を覚え、すぐにここを脱出しようともがく。

その時、隣から声がした。


「私の両親です。即死だったそうです」


ひっくり返った座席にうずくまった少女が言う。

額を切ったらしく血を流しており、腕が折れていてうまく動けないようだ。


「だ、誰……?」

「ハルですよ。他にいないでしょう?」

「これは何よ! ここから出しなさい!」

「説明はあとでしますよ。まずはここから脱出しないと、この後、この車は爆発します」

「爆発?」

「ガソリンが漏れているんです。さっき横転したバスから出火して、引火するんです。シートベルトを外しますね」


幼いハルがガーネットの腰辺りのベルトを触ると、簡単に拘束具は外れた。


「実際は数十秒の出来事だったんですけどね。私はこれをまだ、一時間にも二時間にも感じるんです」


ハルはぽつぽつと語りながら、割れたガラスの上を這って外へ出た。

その後を追ってガーネットも脱出する。


外に出て見ると確かに辺りから油の臭いがする。

爆発するというのは嘘ではなさそうだ。


「このあとのことは私もよく覚えていません。場面が飛びますよ」


空間にノイズが走り、白黒の風景がいくつもガーネットの視界を通り過ぎていく。

人間たちの顔はどれも黒く塗りつぶされており、それがまた奇妙な恐怖を掻きたてる。

声は聞こえないはずなのに、彼らがどうしてお前だけが生き残ったのかと問い詰めてくる。

一度だけではなく、ガーネットの意識に直接、ひとつひとつが幾千幾万の声にもなって、防ぎようもなく浴びせられる。

耳を塞いで目を閉じても、それは遮ることができなかった。


これはハルだけの記憶ではない。

ガーネット自身の記憶からの声も混じっている。

ハルの境遇に似ているものが自分の中にあり、それを引き出されている。


「……貴様、私によくもこんな真似を」


くらくらとする頭を抑えながら、ハルを睨む。


「私がやったのではありません。事実の再確認でしょう?」

「この声はお前にも聞こえているはずよ! なぜ平気にしていられるの!?」

「私は毎晩、これを繰り返していました。十年間毎晩ですから、だいたい三千五百回ってことになりますね」

「気がふれたか!」


ガーネットの声を無視するように、ハルは顔を別の方へ向ける。

いつの間にか、彼女の身体は少し成長しており、三つほど歳をとっていた。


「私は両親が死んだあと、親戚の家に引き取られました。でも、少し変わった家庭だったんです」


今度は木造建築の大広間が出現した。

前には巨大な金色の像があり、その前で頭を丸めた僧侶が祈りを捧げている。

ハルはその後ろで、容姿の区別のつかない大人たちに囲まれながら、僧侶たちと同じように黙って祈りを捧げていた。


「何をしているの? 死者の弔い?」

「違います。私に悪いものが憑いているということになって、それを祓うために色々とさせられているところです」

「両親の死は、お前が引き寄せたものなの?」

「そうかもしれませんし、違うかもしれません。しかし、結果が出なかったので、私には悪いものが憑いているということになり、地下の座敷牢にしばらく閉じ込められることになりました」

「憑いているという証拠がないのに、どうしてそうなるのよ」

「憑いていないという証拠もありませんよね?」


ハルは表情を崩すことなく淡々と言う。

そんなもの、証明できるはずがない。

ガーネットはその間もずっと魔法での抵抗を試みていた。

だが、全く、この状況に流されること以外、できることがない。


「説明が遅れましたね。私の世界には魔力がありません。なので、ここでは魔法は使えません。ガーネットさんも、無力な一般人でしかないんです」

「こんな屈辱……!」

「そう。屈辱ですよね。私の意思はありませんでしたし、そもそも、私はあの日に死んだと思っていました。だからここにいた私は、私であって私でない。ただの子供だったんです」

「こんな映像を見せ続けて、私に同情させるつもりなのでしょう? でも無理よ。あなたより辛い人生を歩んできた人間はたくさんいる。私だって、あなたに負けず劣らずの環境で生きてきた」

「分かっていますよ。こんなことでガーネットさんをどうにかしようとは思っていません」

「引っかかる言い方ね。まるでまだこれから先に何かあるみたい……」


暗く冷たい座敷牢からハルが出ることを許されたのは、黒服の男たちが現れたからだ。


「詳しくは知らないのですが、児童相談所とかの方々らしいです。私が虐待を受けているということで助けにきた、と後から聞きました」


ガーネットは呆れて思わずため息をつく。

結局は救いの手があったのではないか。

そうでなくては今の彼女もここにはいなかったことだろう。


「このあと、私は誰でもなく、居場所もなく、方々を転々とすることになります。遠縁の親戚でさえ、私を腫れものとして扱いました。やっと落ち着いたのは六回目の引っ越しだったことを覚えています」

「居場所を見つけられたのね」

「いえ、私のことを無視してくれる環境に出会ったのです。そこでようやく、私は生きることを許されました」

「許す? 誰もあなたを殺そうとはしていなかった」

「いない方がいいとは思っていても、手を下す勇気がなかっただけですよ。日本の法律と道徳観でそれをできる人はほとんどいません。子供を放置することも罪となるため、皆が私に保護と世話を約束しながらも、自然と死ぬことを望んでいました」


そう聞いて、ガーネットは流石に唇を噛みしめる。

もしも自分が同じ立場だったら、毒殺でも暗殺でも行って姿をくらまし、自立する道を選ぶだろう。


しかし、これまでに得た世界の情報からそれができないことはわかる。

まず、力のない子供が大人を殺すことは簡単ではない。

そのうえ、この世界では子供がひとりで路上生活することがあまりにも不可能である。

人間は全て等しく保護されるべき存在であるという前提があるせいで、保護されていない人間に対して他の人間全ての目が監視の目となる。


頭が良ければ良いほど、先のことが容易に予測できる。

その結果、自殺が最も簡単に楽になる道であり、誰も憎んでいない彼女にとって、生きていること自体が耐え難い苦痛であったに違いない。


場面は夕暮れの公園へと変わっていた。

子供たちは母親に連れられて家路につく。

ハルだけは、誰も迎えに来ず、ブランコを小さくきいきいと鳴らしていた。


「なぜ?」


ガーネットは呟く。


「なぜ、そうまでして生きているの」

「それは、うまく言えません。自分はいつでも終わらせられる手段を持っているからと思っていたからかもしれません」

「死ぬ気があるなら、もっと早く終わらせられていたはずよ」

「終わらせた先に、何があるのでしょうか。私の道は、どの分岐で曲がっても、道が残されていなかった。暗闇ではなく、はっきりと、道が途切れていた。可能性が、なかった」

「……言いたいことはわからなくもないわ。でも――」

「ああしていれば。こうしていれば。何度も考えました。でも、私には何も選べなかった。そこまでして生きていたくなかった。でも、死にたくもなかった。死ぬことを考えると、両親の顔が浮かぶんです。ふたりを犠牲にして救われたこの命は、いったい誰なのかと。もうここに私はすでにいないんです。私の身体は私のものではないんですよ」

「自殺も殺人だと考えていたわけね」

「そうです。それも、大好きな両親の愛した娘を、私が手にかけたくなかった」


今までに見たことのないタイプの人間だった。

大抵は憎しみを胸に抱き、それを活力に生きている。

それか、全てを諦めて死を選ぶ。

彼女の環境を目の当たりにして、選択肢を選ぶことができなかったことは理解できた。

しかし、同情させるには、まだ全く足りない。

物語として、彼女を主人公とするならば興味のある内容ではあったが、それ以上のことはなかった。


夕暮れの公園で、ガーネットは公園のブランコを漕ぎ続けるハルを眺める。

そこまで、何も違和感はなかった。

ブランコというものを知らないのに、その名称を知っていることに、疑問を抱くことができなかった。


「それで、あなたは私に何をさせたいのかしら? まだわからないのだけど」

「もう、終わりましたよ。あなたはこの世界で、誰でもありません。前の世界なら石の魔女ガーネットですけど、この世界では、名無しの普通の人間。あなたを知っている人は誰もいないし、こちらも誰も知らない。それって――」


嫌な予感がして、ガーネットは無意識に後ずさる。


「私じゃないですか?」


その言葉を引き金に、夕暮れの公園が溶けるようにして消えた。

気がついた時には、暗闇の校舎にいた。

手足が自分のものと違っている。

黒い長袖を見ればわかるが、これはハルの着ていたものと同じだ。

急いでトイレへ向かって、洗面台で顔を見ると、ハルのものへと変わっていた。


「そんな……」


いくら夢への認識を多少操作できたくらいで、ここまでのことはできるはずがない。


「違う。逆なのだわ」


ガーネットを自分に投影させるため、それまでのストーリーを語った。

少しでも共感を得るために。

今までに歩んだ道筋を知り、性格の根拠を理解できてしまった。

だから、ガーネットにはハルの感性のトレースが可能となってしまった。


「他人を自分に重ねさせるなんて……」


人格そのものが、まるで作り物の人形。

普通なら理解不能な理屈が、今までの説明のせいで理解できてしまう。


(それに、ここはどこなの? 校舎だってことはわかるけれど……)


刷り込まれた知識のおかげで、ここが学び舎であることはわかる。

しかし、夜にこの階段の踊り場にひとりで立っている理由はわからない。


(夢の世界で、私を試そうって言うの? バカげてるわ)


まずは脱出のため、下へ向かう。

窓から景色は見えるが、外へは出られないようだ。

試しに強く叩いてみたが、壊すこともできない。

おそらくガーネットが閉じ込めたやり方を真似たのだろう。


「小賢しいわね。建物の内にこれだけの支配力を割いているのなら、外へ出られたら私の勝ちなのでしょう? この石の魔女にそれくらいのことができないはずがないわ」


声に出してしまったのは、無意識のうちに少なからず恐怖を覚えていたからだろうか。

窓から射し込む月明かりだけが頼りの薄暗い廊下を進んでいく。

一階までは何事もなく辿りつけた。

あとは玄関を探すだけだ。


そう思った時、曲がり角の先で何かが這いずる音が聞こえた。

ガーネットは素早く近くの教室へ入って身を隠す。

罠があることくらい予測していた。

問題は何があるのか、だ。


――思わず、声をあげそうになった。

黒くて常に変化し続けている不定形の粘ついた生き物が、うめき声をあげながら、ゆっくりと廊下を這いずっているではないか。

普段なら魔法で一蹴できる相手だが、今は魔力がない。

戦う気ならあるが、身体が震えて力が入らない。

これは恐らく、ハルが普段から感じていた恐怖そのものだ。


アレに捕まってはいけない。

本能がそう告げている。


(とんだ悪夢だわ! ここから出たら絶対に殺してやる)


化け物が通り過ぎたことを感じ、扉を少し開いて廊下を確認する。

暗闇が広く、視界は悪い。

音を頼りに進むしかなさそうだ。


身を屈め、壁に手をつきながら慎重に歩みを進めていると、手の平に柔らかい感触がした。


「……は?」


壁には無数の目玉があった。

そのうちのひとつを、ガーネットが潰したのだ。

呆気にとられていると、廊下にいくつもの口が現れて、一斉に金切り声をあげた。


耳を塞いで何が起こっているのかと頭を働かせていると、先程ここを通り過ぎたはずの化け物が正面から這い寄ってきていた。

あの目玉はこいつの罠だったのだ。

こちらを見つけたようで、細くて短いたくさんの手をばたつかせながら、不気味にガーネットへ向かってくる。


「ちょ、ちょっと待って!?」


即座に振り向き、必死に走った。

さっき降りてきた階段を駆け上がり、一気に三階まで行って身を潜めていると、化け物が二階で留まっている様子が聞こえてきた。

とりあえずはこれで逃げ切れたようだが、さっきよりも出口から離れてしまった。


普段から走ることが少ないせいか、息が苦しい。

次に追われたら逃げ切れるかわからない。


自分の中の魔法に関する知識であれに対抗できる手段が思いつかない。

そもそもこの世界には魔力が存在しないのに、どうしてあのような化け物だけが存在しているのだろうか。


考え方を変えてみれば何かわかるかもしれないが、今そこに割けるだけの余裕がない。

物音ひとつ聞き逃せない状況で熟考などできるはずがないのだ。


その場から動けないでいると、階段に一番近い教室の扉が開く音がした。

目を硬く閉じ、声をひそめて見つからないことを祈っていると、それはまるで知っていたかのようにガーネットの前に立つ。


「そこで何をしている?」


声をかけられたが、顔を見るのが怖く、下を向いたままで目を開く。

足元は普通の人間のようだった。


「……田島ハル。教室へ入れ。アレがまたそのうち上に来る」


その声は穏やかで淡々としていた。

顔を上げると、眼鏡をした少女が、ガーネットを見下ろしていた。


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