もう大丈夫です
「私のおもてなしは、お気に召さなかったかしら?」
古い木で造られた家屋に、ハルたちは招かれていた。
ハルひとりでなく、グレゴリとアルヴィンも一緒なのが気になった。
この家屋に入って、ハルはまだひと言も喋っていなかった。
発言に気をつけると同時に、周囲の環境を観察する方に思考のほとんどを割いていた。
席について、琥珀色の紅茶を出されても、気分的にとても口をつけられない。
「もてなしに不満はない。だが、我々はまだ仕事中だ。先に納品を済ませたいのだが」
アルヴィンが最初に切り出した。
相手が相手なだけに、強行はできない。
「まあまあ。少しくらいいいじゃない。荷物は私の家の庭に置いてある限り盗まれることもないわ。ゆっくりくつろいで、旅の疲れを癒してくださいませ」
ガーネットの紅の瞳が、また怪しく煌めく。
「……何が、目的なんですか?」
我慢できなくなったハルが、とうとう切り出した。
「ちょっかいを出したいのなら、それこそ、後でもできるじゃないですか。今の状況だと、荷物が納品されないことで冒険者ギルドからも怪しまれますよ」
「怪しまれたから、何かしら? この屋敷に剣や槍を携えた兵士の群れが押し掛けてくるとでも?」
彼女はクスクスと笑う。
そうなっても構わないというふうな、適当な言葉だ。
自分の立場もよく理解している。
今ここで、一番強い発言力を持つのは彼女だ。
彼女のひと言で、ここはいつでも修羅場と化す可能性がある。
説得の手段に窮したハルを助けるためか、グレゴリが言う。
「何の用もないのなら、すぐにでも俺たちは仕事に戻りたい。それをわからないわけではないだろう?」
「あらまあ、せっかちなのね。時間はこんなにゆっくりと流れているのに」
「抽象的な言葉で煙に巻かないでもらいたい。早々に本当の目的を話してくれないか。それに答えるか否かは、こちらが判断する」
「どうして君に指図を――」
「黙れ!!」
グレゴリが聞いたことのないような大声を出して、窓ガラスがビリビリと震え、ハルは少し委縮した。
付き合いの長いハルは、彼が怒りのあまり大声を出したのではなく、ガーネットのだらだらとした話を止めるために声を発したことは分かるのだが、それでも驚いて身体が固まった。
「俺はただ、こうして時間を浪費させるだけの行為に不快感を抱いている。時間稼ぎが目的なら、何を待っている? 俺たちがここへ来ることを知っていて、町の入り口から誘導し、ここで待つことを強制している。この状況が俺たちにとって益になる可能性は限りなく低い。よって、これ以上の戯れには付き合わない」
「うーん。もしかしてあなた、私のことが嫌いなのかしら?」
「明言はしない。することによって発生するも、今は不要なものだ」
「ねえ、ハルちゃんはどう思う?」
「ハルちゃ……。私もグレゴリさんとほとんど同じ意見です。強い言葉を使うつもりはありませんけど、何か企んでいそうなのは分かるので」
「じゃあ、君たちにも利益のある話なら、少しは聞いてくれるかしらね?」
笑みを携えるガーネットに我慢の限界がきたのか、グレゴリは話を遮って首を振る。
「話なら誰かひとりが聞けばいい。俺は先に行くぞ」
立ち上がろうとしたグレゴリが、椅子から離れられない。
どうやらガーネットが何かしているらしく、彼女はクスクスと笑った。
「魔女の屋敷に入った時点で、あなたたちに拒否権はないのよ? 心配しないで。話はすぐ終わるから」
彼女がそう言うや否や、玄関の扉が激しく叩かれる。
しかし、ガーネットはそれがまるで聞こえないかのように振る舞う。
「偶然にも今、この町に魔女狩りの一隊が集結しているの。まあ、殺すだけなら簡単なのだけど、町の中だし、私も引っ越すのは面倒だし。どうにかしてほしいのよ」
「だったら、なぜここで時間稼ぎをする?」
「正当防衛のためよ。向こうから襲ってきたら多少手荒な真似をしても仕方がないじゃない?」
玄関が蹴破られそうな音が響いている。
もうあと何分も持たないだろう。
「その場合、俺たちがあなたを突き出す可能性を考えないのか?」
「そしたら全員死ぬだけよ? どうやって無関係を証明するつもりなのかしら? それくらいはわかるでしょう、魔女狩り志望の青年さん?」
グレゴリは眉をひそめる。
ここに来てそんなことを彼女に話しただろうか。
――やがて、玄関の扉が壊され、鉄の甲冑に身を包んだ騎士がなだれ込んできた。
その時、一番早く動いたのはアルヴィンだった。
騎士の死角に入り込み、最初のひとりの首を簡単に捻って殺してしまった。
「き、貴様!」
別の騎士が慌てて剣を抜く。
その時にはすでに、懐に入り込んだアルヴィンのナイフが、兜と鎧の隙間から、首を突き刺していた。
ハルは遅れてその状況を頭の中で整理する。
家屋の中だから、外にいくら兵士がいても、一気に入って来られないのだ。
相手がひとりかふたりなら、対人戦闘経験の豊富なアルヴィンなら難なく倒せる。
恐らく、アルヴィンもハルたちに手を汚させたくはないのだろう。
たったひとりでこの集団を倒すつもりなのだ。
ただ、相手も数が多い。
殺さずに制圧するのは不可能だ。
「わ、私も魔法で――」
援護しようとすると、無言で足元に投げナイフが突き刺さる。
邪魔をするなと、言葉を発することなく警告しているのだ。
「屋敷ごと破壊されることはあるか?」
アルヴィンが早口で問う。
「ありえないわね。できるならやっているから」
次に突撃してきた兵士を、アルヴィンは一瞬で即死させる。
そしてその死体を盾にして、外へ出る。
同時に、無数の矢が突き刺さるのが見えた。
死体の盾に隠れながら、アルヴィンは淡々と懐の投げナイフを放ち、一本も外すことなく、外にいる兵士を仕留めていっているようだった。
魔女狩りだから人間相手の戦闘は不慣れなのか、はたまた、アルヴィンが異常に強すぎるだけなのか。
ハルにはその判断はできないが、向こうも突然の反撃に戦意を喪失したのか、怪我人を連れて退いていく声が聞こえる。
「お前ら、今日は外に出るなよ。それと、この死体は外に出しておく。魔女狩りから弔いの権利を奪う行為の危険性は高い。名誉の戦死にさせてやれ」
「……魔女狩りって、こんなに手荒なことをする人たちなんですか?」
「向こうは屋敷の中に俺たちがいることを知らなかったんだろ。幸い、顔を見られたのは俺だけだ。盾と勘違いされるかもしれんが、まあ、どうでもいい。それより、石の魔女。お前こうなることがわかっていて俺たちをここに呼んだな」
「もちろん。この町で私にわからないことはないもの」
「自分でも簡単に始末できるはずだろ。なんでやらない」
「つまらないから。人間を殺しても、つまらない」
そう告げるガーネットの声色は、まるで氷のように冷たく、人の命に道端の石ころほどの価値も感じていないような様子だ。
「私はね、宝石にしか興味がないの。人間がどうなろうと心の底からどうでもいい」
「悪趣味だな。結局は高価なものにしか目がないだけか」
「黙りなさい。宝石を金銭的価値でしか判断できない人間には理解できないことよ」
「金銭的価値でしか……? 他に何がある?」
「見る目のない者と話すつもりはないわ。ハル、あなたはどう思う?」
「え、え?」
突然話を振られ、ハルは困惑する。
そもそも最近まで普通の女子高生だったハルに、宝石の真の価値など答えられようはずもない。
「えっと、高価なものであるということは置いておくとしたら、そうですね……。綺麗な、石、ですか……?」
さすがに変なことを言ってしまったか、と恐る恐るガーネットの表情を見る。
彼女は紅い綺麗な目を見開いて、興奮気味に言った。
「綺麗な石! その通りよ。宝石というのは何もこういう向こう側が透けて見えるガラスのようなものだけを言わない。私にとっては、黒い石も、白い石も、鉱石も、全てが宝石。宝物なの。だから、それを軽視する人間は許せない」
ガーネットが鋭い眼でアルヴィンを見る。
彼はやれやれといった様子で肩をすくめる。
「私は、石を粗雑に扱う人間に制裁を加えていた。そしたら、いつの間にか恨みを買ってしまっていたのだけど、私は悪くないわ。自分の中の正しさに従っただけ。魔女はそういうもの。正しさの証明のために、皆、強力な魔法を使える身体になった」
「反吐が出る。お前らみたいなのが、俺は一番嫌いだよ」
「好かれたくないもの。構わないわ」
どうやらアルヴィンとガーネットはとびきり相性が悪いようだ。
グレゴリはまだ、何も言わず、じっと腕を組んで成り行きを見守っている。
「魔女狩りも、自分たちの正しさを証明したいだけなんじゃないですか?」
ハルは何気なく聞いた。
「ハル。あなたもそろそろ分かったほうがいいわ。自分の正しさを証明するには他を黙らせる力がいるということ。そして、それを実行できるだけの精神力も必要なの。凝り固まったエゴなのだろうけど、強靭なエゴ無しに、目的は達成できない。魔女だろうと、そうでなかろうと、それは変わらない。不変の理」
言っていることが難しくて半分も分からなかったが、とにかく彼女が自分の我儘を押し通すために魔法を使っていることだけは理解できた。
そして、その魔法を使って他人を殺すことも厭わないことも知っている。
影の魔女シャドウのところで出会った結晶にされた人。
わざわざ他人の身体を作り変えて、操る魔法。
ハルにとって、それは嫌悪を感じることのひとつでもある。
人間を支配して、使い捨てる。
ガーネットの価値観では、人よりも石の方が大切であることは承知した。
それでも、そのうえでも、彼女のやっていることには、賛同できない。
「ガーネットさんは、これからどうするつもりですか? 魔女狩りは諦めないと思いますけど」
「そうねえ。やっぱり鬱陶しいから一掃してしまいましょう」
「……は?」
その瞬間、高濃度の魔力が部屋全体に満ちて、まるで石の中に閉じ込められたように、身体が動かせない。
悠々とアルヴィンに近寄るガーネット。
「この中ではあなたが適任みたいだから」
指先に小さな光る結晶が出現する。
それを、彼女はアルヴィンの胸元に押し当てる。
「――命令よ。あれらを殺してきなさい」
声が出せない。
アルヴィンから表情が消え、玄関からふらふらと出て行く。
「これで安心ね。あとは帰ってくるのを待ちましょう!」
ガーネットは嬉しそうに言う。
ハルは全く動くことができないまま、永遠にも感じるほど長い時間を待った。
グレゴリの方に顔を向けることもできない。
しばらくすると、血まみれのアルヴィンが帰ってきた。
出て行った時とは違って表情は暗く、白い仮面にも返り血がべっとりとついている。
「すごいわ! 結晶人へ転化せずに勝てたのね!」
「…………」
「逆らう気力も残っていないようね。いいことだわ」
「……このやり方で、今までに何人の人間を使った?」
「さあ? そんなことどうだっていいじゃない?」
「ああ、そうかもな――」
アルヴィンが倒れるようにして自然に屈み、その流れるような動きのまま、無防備なガーネットの胸元にナイフを突き刺す。
完璧な不意打ちだった。
しかし、皮膚を突き破ることはなく、ナイフは止まっていた。
「無理よ。私の皮膚の硬度はほとんど金剛石――簡単に言えば、竜と同じくらいなの。普通の武器じゃ傷ひとつつかないわ。でも、その気概は買ってあげる」
ガーネットはナイフを取り上げて、手の内で細かい結晶の粒に変える。
アルヴィンは舌打ちをして倒れ込んだ。
「さて、あなたたちに問題です。彼は本当に魔女狩りを殺してきたのでしょうか?」
質問の意図がわからない。
命令に違反――遂行できなかった人間は強制的に結晶人へ変えられる。
シャドウのところで見た石の魔女の呪いは、そういった理を感じる呪いだった。
だから、アルヴィンが人間のままでいるということは、魔女狩りを全滅させたということで間違いないのではないだろうか。
ハルが即答できないでいると、グレゴリが口を開く。
「していない」
「なぜ、そう思うのかしら?」
グレゴリは答えたくなさそうな顔をしていたが、ゆっくりと口を開く。
「結晶の力は、恐らく強力な欲を種火として力を発揮する。怒りや恐怖から発生する生存欲とでも呼べばいいのか、死にたくないという気持ちが強まることで身体が強化されるのだろう? 俺の考えでは命令に反することで発動する罰ではない。命令に反することで始末されるかもしれないという恐怖をエネルギーにして、発動する呪いだ」
「……おかしいわね。私はまだそこまで見せた覚えがないのだけど」
「それはこちらも同じセリフを返そう。お前のことは有名だ。調べようと思えば調べられる」
「魔女狩り志望だから、標的のことは勉強しているってわけ? 慎ましい努力ね」
「実際慎ましい。俺の努力など、他の勤勉な者たちに比べれば全く足りない。今もこうして、ただお前の思う通りにはなるまいと言葉を発しているが、行動を止められるだけの力を持たない」
「無力ね」
グレゴリは応えない。
無力であることは今の状況を見れば一目瞭然だからだ。
ハルも同じように思っている。
一歩でも動けたら、屋敷ごと破壊して逃げられる自信がある。
しかし、その一歩が、限りなく遠い。
ガーネットが咳払いをひとつする。
「――とはいえ、行動に制限をつけることくらいはできるのよ。ここでのことを話さないとか、友好的な態度を取らない、とか。この人は外でいったい何をしてきて、こんな格好になっているのかしら?」
ガーネットが乱暴にアルヴィンの肩を掴み、片手で持ち上げる。
血は、まだポタポタと垂れている。
真っ赤に染まった衣服を破り捨てると、胸の中央に浅い傷跡があった。
「これって――――」
ガーネットが言葉を発したのとほとんど同時だった。
気絶していたかのように振る舞っていたアルヴィンが、腹部にナイフを突きたてていた。
今度は柄まで突き刺さり、ガーネットがアルヴィンの身体を放す。
「あらあら?」
ガーネットは自分の傷に気を取られている。
ハルの身体が自由に動く。
グレゴリも同じかどうか確認する前に、ツタを召喚して、ガーネットを拘束した。
次の瞬間、グレゴリの長剣の刃がガーネットの首筋に当たり、弾き飛ばされる。
「硬い!」
グレゴリが歯噛みして、剣を構え直す。
「……おかしいわね。確かに気を失っていたはずなのだけれど」
「雨の魔女との事故のおかげで、俺は脳内物質を自由に制御できる。自分の脳を自分で制御できるようにしてあるのさ」
「でも、それだけじゃこのナイフの答えがわからないわ。いったいどこで手に入れたのかしら? この『魔女殺し』を」
「簡単だろ。お前ほどの魔女を相手にするための魔女狩りがいれば、魔法学校秘蔵の武器も用意しているはずだ」
「だとしても、あなたの手に、どうやって?」
「あの数相手にナイフを盗むのはしんどかったぜ。だがおかげでこうして、お前に一矢報いられた」
「結晶も自力で取ったの?」
「ああ。魔女狩り相手に身分を証明する唯一の方法だからな」
結晶を取り出すために、自分のナイフで自分の身体をえぐる。
想像を絶する苦しみに違いない。
ガーネットは、ハルとグレゴリのことを、まるでそこにいないかのごとく、全く無視していた。
口角が上がり、興奮気味にアルヴィンに話しかけていた。
「とりあえず、お前はこれで傷を癒すために変な呪いを使えないだろ。そんで、傷を治すにはまず魔女の力を封じるこのナイフを引き抜かないといけない。詰みだ」
「ねえ、私の盾にならない? あなた、とってもいいわ。素敵よ」
「死んでもごめんだ。俺はお前ら魔女の手先にはならない」
「私、あなたみたいに、死ぬことを恐れない人を見たの、初めてなの! 他の人はみんな、結晶化を怖がって、絶対に命令違反をしなかった! それを無理矢理、結晶の種を引き抜いて、私に傷を負わせるなんて! 信じられないわ!」
アルヴィンはうんざりした顔でガーネットを見ていた。
ガーネットの腹部からの出血は止まっていない。
やがて、ふらり、と床に倒れ込む。
手足は縛られていて、傷を治す魔法も使えない。
このまま時間が経てば彼女は死ぬだろう。
「ところで、魔女ってのは失血死するのか?」
アルヴィンはハルの方を見て聞く。
それはハルも知らない。
グレゴリの顔を見るも、彼も首を振った。
「チッ。おい、どうなんだ。お前はこのままだと死ぬのか」
アルヴィンが聞くと、床に倒れ込んでいるガーネットがニヤついた顔を上げて言う。
「死なないわ。ただ、ひどく眠くなる。起きることのできない眠りにつくという意味では、死と変わらないかもしれないわね。回復にはしばらく時間がかかるでしょう。たぶん、このナイフが抜かれるまで」
「そうか。それはよかった」
アルヴィンも床に座り込む。
彼の傷も決して浅くない。
「アルヴィンさん、私が治療します」
「ん? ああ。頼む」
「少し痛いですけど、大丈夫ですよね……?」
「痛い? 回復魔法が?」
ハルはアルヴィンの胸の傷に黒い杖を向ける。
意識を集中すると、彼の皮膚の表面に細い根が生えた。
「いってえ! おい! これ何してんだ!」
「ちょっと集中してるので黙ってください」
根は傷を左右から引っ張って、力づくで閉じる。
細くて小さな根っこ同士が絡まり合い、絶対に解けないよう、強く結びつく。
血は止まったが、アルヴィンは天井を仰いで、浅い呼吸を繰り返していた。
「終わりましたよ。もう大丈夫です」
「大丈夫、じゃ、ねえだろ……」
血は足りないかもしれないが、それくらいは寝ればなんとかなるだろう。
ハルはガーネットの方も見る。
彼女はもう動いておらず、静かに寝息を立てていた。




