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妄想散録  作者: 下歩(旧アルク)
物語の序 片喰荘の住人たち
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4.反・成宮

執筆の参考にするため片喰荘の住人から面白い実体験を聞く。

サハラ嬢が行動を起こした翌日……。

 片喰荘かたばみそうの住人たちとはそれなりに良好な関係を築き合っている。僕は井出を救いのない阿呆あほだと信じて疑わないが、不思議と彼のことを嫌っておらず、むしろ屈辱ではあるが井出とは馬が合うようで気づけばよく行動を共にしている。サハラ嬢は敬愛の対象であるし、格安の寝床と美味い料理を提供してくれる大家さんは口数こそ少ないが、僕は大家さんに筋肉由来の包容力を感じて止まない。比嘉先輩はクールな生き様の先達だ。もう一年以上放浪の旅から帰ってこない稀代(きだい)の自由人とも仲良くやっていた。


 ただ一人、女子学生である成宮なりみやとの関係性はこの頃険悪にかたむいている。


 成宮は全身からあふれでる不機嫌を隠そうとせず、いつでもツンと毬栗いがぐりのようにとがっており、特に最近はその態度が顕著になっている。大学生活で良からぬことがあったのだと察して彼女を励まそうと行動したが迂闊うかつであった。怒れる成宮を刺激してしまった僕と、ついでに井出は、彼女が振るう鬼神の如く強烈な脚力の餌食となり、尻がへこんだ。


 いったい僕が何をしたと言うのだ。成宮をとがめるとその刺々とげとげしい態度が余計かたくなになり、彼女の不機嫌は熱気球のように膨張した。「アンタには関係ない」というのが彼女の言い分である。関係ないのであれば何故なにゆえ僕は暴力の餌食となったのか。


 僕は如何いかなる暴力にも屈したりしない。いわれのない暴力を受ければ穏便かつ精神的にやり返す。そして燃えたぎる復讐心をむやみにあおり立てたのが井出であった。


「女子だからって遠慮するな。あいつは狂暴で一人で立ち向かうには危険すぎる。俺たち二人で協力してあの冷血鬼女を打ち負かし、更生させてやろう」


 そうして僕たちは反成宮の同盟を結んだ。


 椎茸しいたけかぐわしすぎる味噌汁を飲んだ夜の翌日に、僕は珍しく爽快な朝を迎えた。味噌汁に滋養強壮の素でも入っていたのか、この日ばかりは朝起きるのが苦ではなかった。居間に行くと井出が朝食を食べている最中で、僕たちは顔を合わせるなり深くうなずき合った。


 時刻は七時半。成宮は朝が早いのでこの時間帯はもう片喰荘にいないはずだ。


 成宮の一日は年頃の乙女と思えないほどストイックなものである。規則正しく早朝五時に起床し外に飛び出すと、多摩川の堤防をジョギングしてから一度帰宅、シャワーで汗を流して朝食を摂ると休むことなくアルバイトに出かけ、大学の講義が入っていない日中はほどんどアルバイトか陸上部の練習をして夜を迎える。夜の間だけ娯楽に熱中するのだが、最近は陸上競技の大会が控えているのか知らないが夜中に帰宅することも多い。僕のような自堕落に過ごす学生が模範とすべき立派な生活を送っているが、かといって成宮の暴力と冷淡な態度が正当化されるわけではない。


 僕と井出はぶりのあら汁をすすりながら、このあと決行する予定の反成宮運動について仔細に話し合うことにした。


「市場で働いている成宮を冷かしに行くんだよな」


 最近の成宮は僕と井出を毛嫌いしている。さらに悪く言えば生理的に嫌っているわけで、そんな生理的に嫌いな相手が働いているところに押しかけてくれば、地味に精神的負荷がかかるはずだ。そうやって細やかな精神攻撃を執拗しつように繰り返し、成宮を後悔させて反省を促す。


 ところが井出には新たな作戦があるようで、不気味に顔を歪めて予定の変更をささやいた。


「そんなお子様の悪戯いたずらをやったって、あの鬼女が負けを認めるとは思えないね。だから俺は考えた。相手より自分の方が格上の存在だと見せつけてやるのが効果覿面てきめんなのさ」


 言うや否や脇に置いてあった紙袋から金色に輝く糸の束を取りだした。


「なんだそれ」


「何に見える?」


「カツラに見えるな」


「そう、カツラだ」


 井出はカツラを被ると肩をすぼめてたおやかな女性を演じる。ウインクするのが奇妙に様になっていて、背筋に薄ら寒さを感じた。


「俺はこれから化粧して女になる。女になったらお前の彼女になってやる。成宮がせせこましく日銭を稼いでいるところに、突然絶世の美女を侍らせた知人の男が現れたらどうなると思う? 侮っていた男が美女といちゃこらしていたら、奴は顔面蒼白さ」


 耳の奥でちらちらする妄言に耐え兼ねて、僕は眉間みけんを押さえた。


「井出のクセに、よくそんな根拠のない自信を持てるよな」


「ははっ、お前の目は節穴だな」


 そう言って、井出は目にかかっている金髪をなまめかしい所作で耳まで掻き上げる。


「俺の七変化を甘く見てくれるなよ。二年の夏にポニーテールの快闊かいかつな女子が講義室に紛れているのをよく見かけただろ。その女に阿呆な男どもは見惚みとれていて、お前も例外ではなかった」


 言葉の続きを予想して、僕は絶句した。「あれは俺だ」と井出が笑い、記憶の中にある美少女のまばゆい笑顔がすぐそこの下郎のものと取って代わる。


 それから井出は声色を巧みに変化させて、まるでアニメやゲームに登場する清楚せいそなヒロインのような口調でしゃべりだした。


「女装には時間がかかるから、しばらく待っていてくれないかな。もし上手にできたら今日一日私とデートしてほしい。約束してくれると嬉しいな」


 僕は微動だにせず未だ絶句している。これは成宮への復讐か、はたまた僕のために用意されたマゾヒスティックな新体験か。井出は長い金髪を被ったままのキモチワルイ外見で、「あら」と、実に可愛らしい驚きの声を上げた。


「今日は裏声の調子がいいみたい。きっと椎茸のおかげよね」


 このエイリアンの如き珍生物が劇的に変化する未来を脳裏に思い描き、僕は空腹で生気を失った深海魚のように、絶望を胸に抱きながら沈黙するのだった。

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