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妄想散録  作者: 下歩(旧アルク)
アダムたちの暗躍
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3.どうして痴情は縺れたのか? (前編)

井出曰く、成宮の不機嫌は痴情のもつれが原因のようだ。

ではなぜ成宮を取り巻く痴情は縺れてしまったのか?

 彼女の名誉のためにまずは断言しておきたい。


 成宮は「孤高の人」である、と。


 僕は成宮と敵対していたわけであるが彼女の人格をさげすんだりはせず、むしろ同居人として誇らしくさえ思っていた。狂暴で取っつきにくい面もあるが、彼女の陸上競技に青春を捧げる覚悟や他人をかえりみず我が道を突き進むスタンスを好ましく思い、足癖の悪さを憎む反面で評価もしていたわけだ。


 孤高の人であれば痴情がもつれるはずがないというのは軽率な考えである。確かに僕も恋だの愛だのといった浮かれたものと、孤高の成宮とは無縁であると誤解していた。


 一匹狼は誇り高き生き物であるが、この世に男と女がある以上、人類皆いつか理不尽な恋の奈落におちる宿命となっている。たとえ孤高の成宮でも恋の万有引力には抗えない。一度ときめいたが最後、人は恋をして、恋をすれば痴情が縺れることだってあるのだ。成宮はただ不運であったに過ぎない。


 これから述べるのは、すべて井出から伝え聞いた成宮に関する事柄である。井出は下郎だが、こと提供してくれる情報の信憑性しんぴょうせいにおいては信用してもよかろう。井出はプライドがないので人の懐に入るのが上手く、然るべき場所に潜入して内部の人間のみ把握している情報を容易に聞きだすことができる。情報収集は彼の十八番なのだ。


 某日、井出は練習中の陸上部に溶け込み、成宮の秘密を聞きだすのに成功した。


 とある陸上部員たちによって語られた暴露話に登場する渦中の人物は、おもに二人いる。成宮と、それから深山みやまという男である。この愛憎劇には他にも陸上部員が登場するが、脇役なのでわざわざ覚える必要はなく、今後彼ら彼女らの名前が出てくるとも限らない。大事なのは成宮と深山だけである。


 まず成宮について。


 成宮といえば小さくてぶっきら棒、本気を出せば熊でも倒せると真しやかにささやかれるすさまじい威力の蹴りを体得している。護身術として成宮に蹴りの神髄しんずいを教えたのは大家さんである。正当防衛の名のもとに、おもに井出が蹴り技の餌食となっているが、気に食わない相手を誰かれ構わず蹴っているのかというとそうではなさそうだ。それなりの関係を築いていなければ滅多に足は出さない。成宮にとって蹴りとはスキンシップの一環であり、飼い猫でいうところの甘噛みに相当する。カリカリに拍車がかかるまでは、人の尻を歪めるような容赦ようしゃない蹴り技はしてこなかった。以前の成宮の蹴りは「半日痛みが残る」、その程度の細やかなバイオレンスだった。井出も成宮に蹴られて満更でもない顔をしていたのだから、二人の関係は比較的良好だったと言えよう。


 成宮の脚力は日々のトレーニングによって培われた。もちろん空手道場の特訓に打ち込んでいるのではなく、過酷な走り込みによってメキメキ脚力を上げていったのだ。ちんちくりんだからと侮るなかれ。成宮小百合さゆりは将来を有望視されている女子中長距離界のホープなのである。同じ大学内に彼女に匹敵する走者はおらず、陸上部の絶対的エースなのだ。そんなすごい選手がなぜ妖怪屋敷と見紛みまがうボロい下宿屋に住んでいるのかというと、これは僕の憶測にすぎないが、和気藹々わきあいあいとした寮生活を嫌ってのことだろう。仲良し地獄が予想される寮生活を回避して、かといって裕福な家庭ではなかったので結局は片喰荘に落ち着いた。おそらくそんなところであろう。


 次に深山について。


 この男の噂は僕もかねがね耳にしていた。大学構内で見かけたことも何度かある。


 深山も成宮と同様に中長距離走の選手であり、学年は成宮のひとつ先輩、四年生である。日本の深山。世界に通用する中長距離界の救世主。何だか仰々しい肩書きを背負っているが、そんな日本国民のかがみととれる人物が僕や井出と同じ大学にいるのだから、大学とはまこと闇鍋のようなところだ。深山は目鼻立ちの整った俗にいう美男であり、したがって井出が嫌いなタイプの人間である。異次元の住人なので僕は嫉妬すらしていない。ただ長生きはしそうにないと思っている。井出のような輩にねたまれる人生はきっと苦労が多かろう。法界悋気ほうかいりんきの青白く不健全な炎に焼かれる人生など、僕は御免である。


 深山さん、深山君、深山先輩。目を閉じると黄色い声援が波濤はとうの如く押し寄せてくる。深山の女子人気は富士山を凌駕りょうがするほど高く、まさにワールドクラス。当たり前のように存在する『深山ファンクラブ』には金髪碧眼ナイスバディの留学生も加入しているようで、彼の人気ぶりに周囲の男子たちは一目置かざるを得ない。モテない益荒男衆ますらおしゅうは「アイドルと比べたら劣る」などと、常日頃から目の敵としている画面の向こう側のイケメンたちを図々しく引き合いに出し、彼の美貌を痛烈に批判しているが、ひがんだところでおこぼれにはあずかれない。優れた能力と際立った美貌を両立させた者だけが搾取さくしゅを許される、それが大学のおきてである。僕の恋人いない歴が日ごと更新されていくのも、すべて過度にモテる深山のような美男たちのせいであるが、むやみに僻んで醜態しゅうたいをさらすような真似はしない。僕は紳士であるからいつの日か男を見る目がある女子に愛される日が来るだろう。そうに決まっているのだ。


 ともあれ。成宮と深山、同種目の競技で頂点を目指し、切磋琢磨せっさたくまして才能を伸ばし合う二人の姿を想像すると、なるほど一般的な尺度で見れば、これはお似合いだと言う他ない。


 ならばなぜ、痴情は縺れてしまったのか。


 一言にまとめると、人気者にはスキャンダルが付き物であり、スキャンダルになるからこそ人気者たり得るのだ。


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