温度
ねえそんな悲しい顔するならここにいてよ
扉に手を添えて振り返る
「じゃあね」
私たちの別れを惜しむように
ゆっくりと扉は閉まった
がらんとした部屋
その中にあなたのかけらを探す
どこにもいないことをずっと見てきた
あなたの残骸までも一緒に片付けをしたの
それでも、鼻水をすすりながら
目を赤らめ、鼻を赤らめ
肩をしゃくらせながら探す
もうあなたはどこにもいないの
探すのに疲れた私は
足を内股にぺたりと、畳に着ける
上を向きながら目を閉じ
喉を動物の様に唸らせる
紡錘形の端から流れる涙とともに
関節がなくなってしまったように
腕はだらんとぶら下がる
あまりに近くにいたせいで
窮屈になって
距離が分からなくなって
何も見えなくなった
目と目を合わせるだけで微笑んでいたときは
二度と訪れない
最後に合わせた俯きがちな目は
微笑むことを嫌っているように思えた
あなたが出て行ってしまって
すぐに扉に手をのばしたけれど
手首を捻って、扉を押す勇気はなかった
いつかあなたの胸を泣きじゃくりながら叩いたように
今は力なく扉を叩くのが精一杯だった
足下のジャリジャリとした感触
私の足下にはもう22.5センチの靴しかない
足の裏が少しひんやりしていて
そこで初めてあなたの気持ちを理解できた気がした
そう、これがあなたの今の気持ち
扉におでこを当てて
思いの熱を和らげる
悲しそうな顔をするくらいなら
扉を開けずにいてほしかった
けれど、きっとあの顔は社交辞令
最後ぐらいはと、華を持たせたかったのだろう
気付かないうち、激しくずれていた温度
私が感じていた温もりは何だったのだろうか
寝返りを打ててしまう
黒い枕が皺を作り、涙がより黒く色づけていく
あなたが台所に立っていない朝が来た
パチパチとフライパンの上ではしゃいでいる目玉焼き
それを自慢げに見せて喜ぶあなたの笑顔
それを一人でするには重たすぎる
フライパンはゆらゆらと揺れる
思い出がいたずらに面白がっている
君のせいだよと言われている気がした
俯いて悲しそうな顔と
泣きじゃくって動けない体と
真っ赤な顔と
歩き始めた体
幾度となく見てきたはずの光景なのに
なぜだが初めて見ているような気持ちになって
その二人の間にはもう運命の赤い糸なんてすっかりなくなっていて、
空っぽの薬指には少し赤くへこんでいる場所がある
私にはあってあなたにはなかった
別れを惜しむのはどうやら私だけだった
薬指をさすりながら
あなたが消えた今を感じる
玄関ののぞき穴から差し込んでくる光を
鬱陶しいと目を覆う
そうして気づく
もう何度目だろうか
気が付けば玄関を見ているのは