特捜刑事「相方」
俺の名前は、杉下左京。
警視庁特別捜査班の班長だ。
肩書きは長いが、要するに「雑用係」である。
もう長く犯罪捜査に加わった事がない。
何故なら、大失態をやらかしたからなのだ。
その大失態はいつの日かお話することもあろう。
そんな暇な特捜班には、たった一名だけ部下がいる。
彼の名前は亀島馨。
「私の名前は、かめしまかおる。動物の亀に普通の島、そして、与謝野馨の馨です」
それが彼の口癖であり、自己紹介である。
何故与謝野馨を引き合いに出すのか、どうも意味が分からない。
と言うより、彼の行動自体が意味不明だ。
彼は特捜班の部屋では、必ず烏龍茶をわざわざ一杯ずつ作る。
茶葉を専用の急須に入れ、適温に冷まされたお湯を注ぐ。
茶葉は最高級、それも「黒烏龍茶」でないといけないそうだ。
俺から見れば、実に下らない拘りだ。
そんなどうでもいい事に気持ちが行ってしまう「お荷物」的存在の特捜班に、遂に捜査参加の時が来た。
有名芸能人が殺害され、その屋敷で働いていたメイドが容疑者として逮捕されたのだ。
俺達は、そのメイドの取り調べを命じられた。
どうしてそんな仕事が回って来たのか、その時はまるで見当がつかなかったのだが、彼女を取り調べてみて、捜査一課の連中の底意地の悪さに気づいたのだ。
容疑者の名前は御徒町樹里。
「私は天然です」
とプラカードを持って練り歩いていそうなくらい、殺人とは縁がなさそうな容姿だ。
こんな大人しそうで、屈託のない笑顔をしている少女のような娘が、本当に殺人犯なのか?
俺は納得がいかないまま、彼女の取り調べをした。
「氏名は御徒町樹里。間違いないね?」
「はい、多分」
「多分て、どういう意味かね? 自分の名前がわからないのか?」
「いえ、自分の名前は自分でつけた訳ではないので、多分です。断言は出来かねます」
何だ、この女は? どうしてこんな笑顔全開で、これほど人をバカにした事が言えるんだ?
俺はたった一度のやり取りで、御徒町樹里に苛ついてしまった。
するとその様子を見ていた亀島が、
「左京さん、ダメですよ、そんな怖い顔をしては。女性への接し方が間違っています」
と頼みもしないのに勝手に自称「助け舟」を出して来た。
亀島はニッコリと微笑んで、樹里を見た。
「では、次の質問です。貴方の職業は?」
「多分メイドです」
「多分? どうして多分なのですか?」
亀島は俺と違い、苛ついたりはしない。微笑んだままで尋ね返した。
「私、メイドの意味がよく分からないのです。ですから、多分なのです」
「なるほど。それは正しい判断です」
亀島は更に尋ねた。
「貴方は、被害者の近藤睦美氏の屋敷に、近藤氏が殺害されるわずか3日前に来ていますね。何故ですか?」
御徒町樹里はニコッとして、
「呼ばれたからです」
俺はもう少しでこの女をぶん殴ってしまいそうだった。
俺の怒りに気づいた亀島が、素早くそれを押さえてくれた。
何とか始末書を免れる事が出来た。
「いえ、そういう事をお尋ねしているのではないのです。貴方は何故、近藤氏が殺害される3日前になって、急に屋敷に来たのですか?」
さすがの亀島も、顔を引きつらせていた。御徒町樹里の「天然」は後ろに「記念物」が付きそうな勢いである。
しかし、その程度で苛ついている場合ではなかった。
彼女はもっと凄い「天然」を炸裂させて来たのだ。
その「天然」が、これだ。
「急にと言われましても…。だんだん来るなんていう器用な事は出来ませんので」
今度は俺が亀島を止めた。
亀島がここまで取り乱したのを見たのは初めてだ。
奴は呼吸を整えて椅子に戻り、御徒町樹里を見た。
「質問を変えます。では何故貴方は、近藤氏の屋敷に急に来る事になったのですか?」
そして、俺達は御徒町樹里の真の凄さを知る事になる。
樹里は再び笑顔全開で、
「前にいたメイドの方が、だんだんやめないで急にやめてしまったからです」
俺と亀島は、互いを止めた。
さすが長年同じ班で仕事をして来ただけの事はある。
まさしく間一髪で俺達は御徒町樹里を殴るのを回避した。
畜生。一課の連中が、こいつの取り調べを俺達に回した理由がわかったぜ。
いつか仕返ししてやる。
そう思った。
ところが、だ。
数日後、実に意外な事が判明した。
真犯人がわかったのだ。
真犯人は、御徒町樹里が近藤睦美氏の屋敷に来る前にいたメイドだった。
彼女は近藤氏の金品を無断で持ち出し、闇ルートで売りさばいていたのだ。
それを近藤氏に知られ、首にされた。
せめてもの温情で警察に通報しなかった近藤氏を逆恨みしての犯行だった。
今回は我が特捜班の大金星。
御徒町樹里の証言を元に、亀島が極秘に捜査をして、前のメイドの正体を暴いたのである。
俺達は、刑事部長に呼び出された。
俺は、誉められると思って、ウキウキしながら部長室に入った。
しかし、全く違っていた。
亀島の捜査を独断専行と罵られ、御徒町樹里の重要証言を一課に報告しなかった事を叱責された。
俺は呆然として部長室を出た。
亀島が声をかける。
「左京さん、落ち込まないで下さい。今夜、祝杯を2人だけであげましょう。樹里さんの無実を証明できた事、真犯人に一番に辿り着けた事を」
「ああ」
俺は亀島に作り笑いで応じ、特捜班室に向かった。