表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

チェリーピンク・バースディ

作者: 貫木椿

「七」は棚端文(たなばたふみ)にとって特別な数字だった。

 彼女の誕生日は七月七日で、七夕の日でもあって、短冊が飾られた笹を見るとワクワクする。皆が自分を祝ってくれているようで、その日ばかりは自分が「お姫様」になった気分になる。そんなわけで「七歳」を迎える今年の誕生日は、彼女の一生において特別な日になるはずだった。

「お父さん帰ってこないの!?」

 帰宅を出迎えた母が告げた言葉によって、文の期待は裏切られた。

「遅くなるだけだからね、急に明日までの仕事が入っちゃって」

「また?私の方が先に約束したじゃん!」

「お父さんだってね、文を怒らせたくて破ったわけじゃないのよ。」

 文だってそれは分かっている。でもだからこそ余計腹立たしいのだ。

「だからね、今度の休み――」

「もういいっ!」

 毎年母と一緒に用意している笹に向かって、文は思いっきりランドセルを投げつけた。

「なんてことするの!」

「もう知らないっ!」

 散らばった笹飾りも呼び止める母の声も無視して、文は玄関を飛び出した。その瞬間、薬缶がピーーッと鳴ったので、母は彼女をすぐに追いかけられなかった。



 自宅の裏山にある、座ると頭が出るほど浅い枯れ井戸(と文が思っている)の中、やぶ蚊を払いながら文は後悔し始めていた。この井戸は彼女が幼稚園の頃から「秘密基地」と呼んでいる遊び場で、ここにしばらく隠れて父を困らせてやろうと考えていた。

 けれども陽が沈むにつれて樹々の影が伸びていくのを眺めているうちに、なんだか怖くなってきた。

(そもそもお父さんが悪いんだ。)

 五歳のクリスマスも残業で一緒にケーキ食べられなかったし、去年の大晦日も出張で年越しできなかったし、ゴールデンウィークなんて皆で旅行に行くはずが父だけ付いて来なかったのだ。

 折角七月七日七歳の誕生日なのに祝ってくれないなんて、お父さんのバカ。

 でもそんな父より馬鹿なのは自分だと、お腹が空いてきて文は気付いた。

 折角飾りつけをした笹に八つ当たりなんかして、ケーキだって母が買ってくれているだろうに食べるはずだった自分はいないのだ。お母さん、今頃私を探しているのかなぁ?

 井戸から顔を出してみると、あちこちに灯りの点いた家や車が見えた。山から下りること自体は楽だけど、気持ち的に帰りづらい。何より猪や蛇などの危険な生き物と遭遇するかもしれないのだ。

「お嬢さん、こんな所で何をしているのかな?」

 涼やかな男の声が、文の頭上に降ってきた。見上げると天の川を背景に、日本人離れした男の顔があった。海外のモデルさんみたいにきれいな顔立ちなのに白髪で、それを一本の三つ編みにしている。ごく薄い青緑色のコートと相まって、全体的に「冬」という印象を与えたが、目だけは火の玉みたいに赤かった。

「お兄さん、外国の人?その恰好暑くない?」

 男か女か分かりづらいその人物は、はにかんで答えた。

「私はとても寒い国から引っ越してきたばかりなんだ。夏の日本も夜風が肌寒いから、これでちょうどいい位だよ。」

 なるほど、確かに涼しい気がしてきた。

「ところで、お嬢ちゃんはかくれんぼ中かな?」

 文は大きく頭を振って答えた。

「お父さんへのお仕置き中」

「お仕置き?それが?」

 コートの男が目を丸くしたので、文は事情を話すことにした。

「お父さんね、今年こそは私の誕生日一緒にお祝いするって言ってたのに、約束破ったの。いい子にしてたのにお仕事しなくちゃいけないんだって。だから私が怒ってる分困らせてやるの!」

「なるほど、でももう暗いから危ないよ。」

 コートの男は井戸の中の文を抱き上げた。

「私の屋敷に案内しよう。この辺りで一番、天の川に近い所だよ。君は新居に初めて招くお客様だね、お姫様。」

「お姫様、やったぁ!」

 左右に束ねた髪とヘアゴムのリボンを揺らして、文ははしゃいだ。知らない人について行ってはいけないと耳にタコができる程言い聞かされていたけど、かまうもんか。夜九時過ぎにテレビを見ている時よりワクワクしてきた。

「まだ名前を教えてなかったね。私はサイコース。変わった名前だろう。」

「たなばた ふみっていうの。お婆ちゃんが付けてくれた名前。 お母さんは〝あや〟にしたかったんだけどね。〝あや〟のがハツラツとして可愛いのにと言ってたけどね、今のままでもふんわりした感じがして好きだけど」等々、文はサイコースの顔を見ながら話に夢中になっていたので、彼の踏んだ草や土に霜が降りていることに気付かなかった。

「さぁ、着いたよ。」

 星空に照らされた西洋風の館は文の家の三倍も五倍もありそうで、窓から青白い光が漏れていた。

 どうして近所なのに、こんな立派な建物を知らなかったのかしら?と文は疑問に思った。しかし、いつからこんな建物があったのか、いつの間にかできていたとしても、何故工事に気付かなかったのかまでは考えが至らなかった。

「ようこそ、ルリム館へ」

 石畳の道を進んで、両開きの大きなドアの前まで来ると、こちらに歓迎の意を示すかのように内側から静かに開いた。

「こんな自動ドア初めて!」

「ハハッ、故郷のイイーキルスからそっくり持ってきたからね、もっと面白い物があるよ。」

 玄関ホールは青一色で、非常に広かった。床は鏡のようにツルツルしていて、天井から青白い炎がともったシャンデリアが吊るされていた。

「滑りそう!」

「大丈夫、しっかり捕まって。」

 サイコースが文をそっと床に下ろし、彼女は彼の右手を両手で掴んだ。サイコースが右足を踏み出したので、文の体も彼につられて滑らせた。サイコースの足はそのまままっすぐに滑っていくので、文は腰を引かせながらもついて行った。

「怖くない怖くない」

サイコースは励ましながら、文の手をゆっくり外そうとした。彼の左手は文の右手をそっと掴み、それを自身の右手から一本ずつ指を離していった。

「離すよ」

 今度は文の汗ばむ左手を一本ずつ外していき、最後に自身の右人差し指を掴んでいた文の二本の指が離れた瞬間、彼女は浮遊感に襲われた。が、恐怖は一瞬のことだった。

「空飛んでるみたい!」

 文は両手をバタつかせ、ゆっくりと上体を起こした。今まさに自分は、滑る床の上を二本の足で立っているのである。

「そう、その調子だよ。」

 いつの間にか離れた所にいるサイコースに向かおうと、文は右足を蹴った。ところがそれが大きすぎて、彼の脇を横切ってしまった。けれども滑った時に起きた風が心地よくて、文は大きく旋回した。

 滑りながら彼女は思った。スケートってこんな感じなのかなぁ?



「スケートリンクに行きたい?」

 幼稚園の頃、文は父に頼んでみたことがあった。テレビではフィギュアスケートの日本選手がスピンを決めたところだった。

「パパも一度行ったことあるけど、大して楽しいもんじゃなかったなぁ。」

 炬燵で文を膝に乗せていた父は、しかめ面になった。

「ああいう競技場と違って遊技場は人がいっぱい来るから、自由に滑れないんだよ。ぶつからないように気を使わなきゃならないからね。文みたいな素人がカッコつけたがるから、無理に競技のマネやって周りの人間にぶつかったりぶつかりそうになったり」

「ママも文には早いと思うわ。こけたらどうすんのよ?」

 なので文は別の場所を提案してみた。

「んーじゃあ、スキーやりたい。ケイ君行ったことあるんだって!」

「ケイ君?あぁ、あんたのクラスで一番大きい子ね。でも滑り台とはワケが違うんでしょ?」

 高所恐怖症の母は父に振ってみた。

「あれ凄い高い所からダーーって滑るから怖いぞ?」

「じゃあ横から棒持ってあげたらええやん。」

 お手洗いから戻ってきた祖母が割り込んで、片手でストックを握る真似をして見せた。

「違うのよお義母さん、スキーって自分一人であの棒操って滑るモンなのよ。」

「スキー場も人が大勢来るから、避けながら行くの難しいぞ。」

「大体滑り切った後でどうやって登るのよ?急な坂なんでしょ?」

「リフトっていうのに乗ればいいんだけど、足浮くから小さい子はなぁ」

「ひえっ、考えただけで眩暈しそうやわ!嫌だわそんなとこ」

「もういい」

 祖母まで両親に同調したような物言いになったので、文は炬燵に潜った。テレビの間近に顔を出すと、ロシアの選手の出番になっていた。



「文ちゃん、お腹空いてないかな?」

 サイコースに呼び掛けられるまで忘れる位、文はスケートに夢中になっていた。そこで壁に手を付き立ち止まると、青白いペンギンが足元に腹這いで滑り込んできた。サイコースと同じく赤目のそいつは前肢で文の脛をペシペシと軽く叩き、ある扉をもう片方の前肢で示した。

「可愛い!」

「行ってごらん。」

 文は青白ペンギンと扉の方へ滑っていくと、もう二羽が両開きのそれを開けてくれた。そこで文は歓声を上げた。

 そこは真っ青な食堂だった。氷かガラスでできた大きな食卓の上だけがマカロンや果物、クリーム等で飾られたケーキやパフェで色鮮やかだった。その周りを青白ペンギンだけじゃなく白熊やセイウチ、アザラシ等が四方の扉から集まってきた。皆何故か目が赤かった。

 文を連れてきたペンギンは食卓の一番奥へ行ってそこの席をポンポン叩いた。

「ほら、文ちゃん。」

 サイコースに手を引かれて文はその席に着き、彼は向かって右側に座った。彼の向かいだけが空いていた。

「今日は文ちゃんの誕生日だからね、どうぞ召し上がれ。」

「本当に食べていいの?どれでも?」

と言いつつ文は食卓に並べられている先割れスプーンに手をかけてチラとすぐ近くにある苺の沢山載ったホールケーキに目をやった。サイコースが笑顔で頷くや否や、彼女はケーキを一さじ掬って口に入れた。

「あんまーい!」

 満面の笑みになって文はその一口をじっくり味わい、さらにもう一口掬って頬張った。

動物達も手近な菓子にありついた。ただサイコースだけは嬉しそうに、文が食事する様を眺めていた。

「私ね、ケーキ丸ごと食べてみたかったんだ!」

「うん」

「でもね、食べ過ぎたら、虫歯になるし、豚になるよってね、お母さん言うの。朝ごはんも、お昼も、晩ごはんも、ケーキだったらいいのになって、思ってた。」

「うんうん」

 文は周りの動物を見回した。

「こういう風にね、ぬいぐるみと一緒にね、テーブル囲んでね、おやつ食べてみたかったの。でも〝おぎょーぎ〟っていうのがね、悪くなるって、そんでもう小学生だから、お人形連れ回しちゃだめって、言うんだよ。ひどいよね!」

 ご馳走を咀嚼しながら文が喋る内容を、サイコースは頷きながら聞いていた。

「そうかそうか」

 いつの間にか文はケーキを三ホール、パフェを五杯も平らげていた。

「お兄さんも食べたら?おいしいよ!」

「私は文ちゃんの喜ぶ顔が見られれば、それでいいんだ。」

構わず文は切り分けられたチェリーパイを一口スプーンで切って、サイコースに差し出した。

「すごく甘いけどね、酸っぱくておいしいの!」

「そんなに言うのなら、お言葉に甘えようか。」

意外にも素直に彼は文のスプーンを口に入れた。

「うん、おいしいね。」

「ねっ、サクランボってお兄さんの目みたいで綺麗だし」

 ふと文は視界の隅に、青色のアイスがあるのに気付いた。あれどんな味かなと思っていたら、白熊がその器を手に取った。

 すると隣に座っていた小熊までそれに手を伸ばしたので、大きい方は小熊に譲ってあげた。この二匹の白熊が親子なんじゃないかと思うと、文の目に涙が浮かんだ。

「文ちゃんどうしたんだい?欲しいのが取られてしまったのかな?」

「ううん」

 文はナプキンで顔全体を拭って、もう一度白熊親子に目を向けた。小熊は親熊に一口あげていた。

それからずっと口を開かない文を見かねたのか、サイコースは小さく咳払いをした。

「文ちゃんちょっと来てくれるかな?」

見たくもないのに見入ってしまっていたので、文はこれ幸いと彼の手をとった。

「君に見せたいものがあるんだ。」

 少し眠たくなってきた文の手を引いて、サイコースは食堂を抜けた。



「お父さんとお母さん、どうしてるかなぁ。」

「君を束縛するような人達のことが、そんなに心配かね?」

「そんでもね、やっぱり好きだもん。」

 階段に差し掛かると、サイコースは文を抱きかかえた。

「もう分かっていると思うけど、ここでのことを誰かに話してはいけないよ。」「うん」

 透明で目の回るような螺旋階段を見下ろしていると、確かにこの館自体が夢のように思われてきた。

「お兄さんはどうして私に優しくしてくれるの?会ったばかりだよ?」

「君が言ったんじゃないか、今日が誕生日だと。それに――」

と言いかけたところで、二人は最上階に着き、文は歓声を上げた。

「君は特別な星の下に生まれたんだよ、文ちゃん。」

 その天井はステンドグラスが嵌められていた。

 雪の結晶のような枠の中で、赤と青と白が煌めき、星に照らされて伸びた光が揺らめいていた。

文には何の絵か分からないけれども〝太陽の周りを赤と青の火の玉が集まっている”かのような印象を受けた。

「どうしてもこれを君に、見せたかった。」

「あれが、私の星だっていうの?」

「そうだ」と急に神妙な顔で言われて、文は不思議な気がした。

 窓枠の複雑な形は星に見えなくもないけど、ガラスの色は何かしら?赤と青の対照的な色合いを白でバランスをとっているようにも見える。

 文は床に下ろしてもらって、あちこちから天井を見上げながら、考えてみた。

向きによって異なる光の揺らめきを見せるステンドグラスが不意に陰りだしたので、室内が少し暗くなった。

「七夕は年に一回、とある夫婦が会える日だというのは、もちろん知っているね?」

 唐突に問いかけられた文が声の主の方を振り向くと、サイコースが悲しげな表情になっていたのでますます驚いた。

「私とこの館がここに留まれるのも、あと少しの時間しかない。その前に君に伝えたいことがある。」

そう言うと彼は自身の右目に手をかけ、抉り出した。

「何してんの!?」

「大丈夫、いつもしていたことだから」

 サイコースの右の眼窩の奥で紅い光が覗いており、涙が一滴先程の眼球に落ちて混ざり合い、天井の窓枠と似た形となった。

「これを君に授けよう。」

 サイコースは眼窩からさらに紅玉を数粒手の平に零れ落とし、もう片方の手で掴むと数珠繋ぎになった。その先端にかつて眼球だったものがぶら下がっていた。

「私からの誕生日プレゼントだよ。」

 彼がそれを文の首にかけると、数珠繋ぎの紅玉は淡い桃色となった。

「本当にいいの?それより大丈夫?」

 文はおそるおそるサイコースの顔を見ると、彼の眼は血が流れた跡もなく元通りになっていた。

「ルビーは七月の誕生石と言うけど、文ちゃんに似合うのはチェリーピンクの色だね。」

「チェリーピンク?」

「ルビーの中でも淡い色合いのものだよ。君に深紅のルビーが似合うようになったら、迎えに来るからね。」

「迎えに来るってどういうこと?どうして?」

「いつまた会えるか分からない。けれどそれは君の努力次第だ。」

 サイコースは天井に目を向け、すぐに文に戻した。

「もう時間がないから詳しくは言えない。でもいつか私の言ったこと、君の生まれた意味が分かる時が来るから。」

 室内はますます暗くなり、サイコースの瞳と文の首元ばかりが輝きを増した。

「私の運命のお姫様、いつでも君を見ているからね。」



「――み、文!やっと目ェ開けたか!」

気が付くと文は星空の下で、父に抱き起されていた。

「早めに切り上げて帰ってきたんだぞ!こんなことになるなんて、本当にごめんよ、ごめんよぉ。」

初めて文は、父の泣いている姿を目の当たりにした。

見回すと背後に「秘密基地」こと古井戸があり、父はスーツ姿だった。

その後ろで母と祖父母が、あと少しで警察呼ぶとこだったわ、ホラやっぱり文ちゃんここにおったやん、腹減ったやろ、等と口にしていた。

「アンタ文ちゃん寂しかったんやで、おぶっちゃりよ。」

祖母が言うので父の背中に乗せられた文は、夢でも見ていたのかしらと考えようとした。

その胸元で金属のように冷たい物が、チャリと鳴った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ