三話 日常と団欒
翌々日、雪継は連日情報収集をして疲労困憊になっていた。
情報整理にひと段落付き、そろそろ休もうかと思ったその時、閉め切っていた事務所のドアが弱弱しくノックされた。
「…?一応営業してないって札掛けといたはずなんだが…」
雪継が不思議そうにドアをじっと見ていると、訪問者は、今度はしっかりノックをした。
「うーん…まぁ出るか」
雪継は眠たげな目をこすりながら、ドアを開けた。
「すいません今日は休業日で…」
「あ、まえいたひと」
「ちょ、ちょっとネム!…どうも、伊上さん」
雪継がドアを開けると、アリアとネムが立っていた。
「すみません…休業日って書いてあるのに訪ねてきちゃって」
「いや、うん…とりあえず入ります?」
雪継はとりあえず二人を中に入れて話を聞くことにした。
「それで、何か御用ですか?わざわざ訪ねてくるってことは、それなりに重要なことだったり?」
「いや、その……親睦を深めようかなー…と思いまして…め、迷惑でしたか?」
アリアははにかみながら雪継に答えた。
「…あぁ。うん、なるほど…なるほどねー……」
雪継は頷いてはいたが、ほとんど話は聞いていなかった。驚きはしたものの、徐々に睡魔が襲ってきていた。
(……眠い、眠すぎる。…俺も歳かなぁ…はぁ)
流石にこれで人をもてなすのは無理だ、と感じた雪継は申し訳ないが帰ってもらうしかないと思った。
「あー…申し訳ないが今は――」
雪継がそう言ってアリアの前に座ろうとしたその瞬間、雪継は足元の資料に足を取られ、盛大にずっこけた。さらに不運なことに、倒れた先にちょうどテーブルがあった。
ゴンという鈍い音と共に、雪継の意識は途切れた。
雪継は夢を見ていた。
それは、施術の副作用による記憶の欠如からも辛うじて逃れた古い記憶だった。
『皆を救うヒーローでありたい』、と。
子ども時代であれば誰しもが一度は持つ願いだろう。彼も例外ではなく、本気でそう考えていた。
そしてその情熱は防衛軍に志願した時にもまだ燃えていた。
ここにいれば誰かを救えるのだと。これで誰かが笑っていられるのだと。
だが、現実は非情であった。
上官も、同僚も、部下も、そして守るべき誰かも。
そんな時だった、彼が特別隊に入らないかと誘われたのは。
今思えばそれは正しい選択ではなかったかもしれない。
しかし、彼はその道を選んだ。
そして……今に至る。
ただ、彼自身後悔はしていなかった。
自己犠牲で誰かが救われるのならば、と。
「俺は、弱いな……」
雪継は無意識にそう呟いていた。
「そんなことはないと、思います」
雪継は真上から声が聞こえたことに驚き、目を開けると、そこにはアリアの顔があった。
「これは一体……?」
雪継は、アリアに膝枕されていた。が、雪継はまったく状況が理解できていなかった。
「急にこけたからびっくりしましたよ。声をかけてもピクリともしないから、死んじゃったかと思いましたもん」
アリアがぷくーと頬を膨らませながら雪継を見下ろす。
「…心配かけたようで申し訳ない。じゃない、すぐどけるよ…いったぁ!」
慌てて起き上がろうとすると頭に鋭い痛みが走った。痛むところに触れてみると少し腫れていた。
「だ、大丈夫ですか!?思い切りぶつけていたのでたんこぶくらいはできてると思いますけど…」
アリアが心配そうに顔をのぞき込む。
「あ、あぁうん…。大丈夫。流石にこれ以上迷惑をかけるわけには……」
痛む頭を押さえながらゆっくりと起き上がり、ソファに座りなおした。
「寝てるとき俺何か言ってた?」
目の前で寝ているネムをちらりと見てから、アリアにそう聞いた。
「うーん……どうでしょうね?」
アリアは悪戯っぽい顔で雪継に笑いかけた。
(こんな顔も、できるんだな。この子は)
雪継は少し驚き、顔をじっと見つめていると、
「…雪継さんは、今のままでも十分強いですよ」
そう言われて、思わず雪継は窓の外に視線を移した。
「どうかな。…本当に、どうなんだろうなぁ…」
雪継は笑うでもなく、泣くでもなく、ただ曇りの空を眺めていた。
「少なくとも誰かを救おうとしてきたじゃないですか。…例え自分がボロボロになっても、それだけはやめなかった。それってやっぱり…すごい、と思います」
雪継はしばらくそのままだったが、はぁとため息をついて顔を上げた。
「年下の女の子に励まされるとは、ね。ただ……」
そこまで言って、アリアの方へ振り向き、
「やっぱり俺は弱い。…だからこそ、見えてきたものがあるからな」
少し晴れたような表情で苦笑した。
アリアは仕方ないといった風に首をすくめた。
「さて、ちょうど雨も止んだところだし、飯でもおごるよ。…色々と、お礼にな」
「いいんですか!?」
「お、おう…食いつきがすごいな…とりあえずネムを起こしてやってくれ。俺は準備してくるから」
準備をした一行はすぐ隣の喫茶店に入る。
「いらっしゃいませーってツグさんだー!今日はどうしたの?」
制服姿のレンが雪継を見つけ、駆け寄ってくる。
運よく周りに客がいないため、雪継は落ち着いて話をすることができると内心安堵した。
「友人が訪ねてきてくれたからな。折角だしおすすめの店に連れてこようと思ってね」
「へー…ツグさんに友達いたんですね」
アリアとネムを交互に見ながら、何気なく毒を吐くレン。
「君はもうちょっと人の気持ちを考えようか…?」
雪継はため息をつきながら、席に案内するレンをたしなめる。
「やだなーからかう相手くらいはちゃんと見てますよ。…ツグさんは私にとっていい人、ですからね」
「都合の、いい人だろう?…まぁいいか」
レンと軽口をたたきあいながらとりあえずアリアとネムを座らせる。
「さて、紹介が大分遅れたけどこの子は野分レン。この店の主人の娘さんだ」
「どーも初めましてお二人さん!いやーツグさんも隅に置けないねー?」
レンがニヤニヤしながら二人にお辞儀する。
「えっと初めまして、アリア・チェルシーです。この子はネムって言います」
「よろしく」
それに二人もお辞儀で返す。
「じゃあ私は厨房の手伝いに行ってきますねー!」
そう言ってパタパタと奥の方に駆けていった。
「…元気な子ですね」
「そうだね…元気だけはいいんだよ」
それから三人は互いの好きなものなど世間話をしていた。
「おっと…一応聞いておきたいんだがネムって何歳なんだ?見た目的には13~14歳くらいに見えるんだが」
ネムは少し首をかしげて考えていたようだが、
「わからない」
「わからない?その答えはおかしい…いや待て、ここに来る前はどこにいた?」
「ん?ユキツグのいえ」
雪嗣は思わずガクッと脱力する。
「そういうことじゃなくてね、ネム。私のところに来る前ってことよ」
アリアが優しく諭す。
(姉というよりなんか…母親みたいだな)
そう思いつつ、やり取りを眺める。
「やっぱりわかんない」
「…そうか」
雪継は少し残念そうな顔をした。
「でもあのくろいのはどっかでみたことある」
ネムは手で丸を描きながらそう言った。
「黒いのっていうと…もしかして俺がこの前戦ったやつか!?どこでだ!?」
「なんかボロボロのところ」
雪継はそんな漠然とした答えからあらゆる場所に検討をつけていた。
「あの、雪継さん」
アリアは険しい顔をして考え込む雪継を見て、少し不安気な顔をして話しかけた。
「ん?何かな?」
「雪継さんはあの怪物をどうするつもりなんですか?」
アリアが真剣な目つきで雪継に聞いたので、雪継はその目をじっと見つめ返して、
「消す。たったそれだけだ」
短く、かつ思いのこもった言葉を返す。
「どうして…雪継さんがやらなくても。…依頼されたからですか?」
「それもあるが…これは俺がやらなきゃならん仕事だ、いや使命といってもいい」
雪継から発せられる雰囲気が劇的に変わった。柔らかなものから、肌を刺すような刺々しく冷ややかなものへと一瞬のうちに変貌したのだ。
「…まぁ、とはいえ依頼人にも手伝ってもらうことになりそうだな。……至極不本意だけど」
雪継がため息をつくと、またすぐもとの雰囲気に戻る。
その様子を見ていた二人は顔を見合わせて、
「やっぱり元兵隊の方ってすごいですね…圧倒されます」
「うん。かっこよかった」
目を輝かせながら雪継を見る。
「え?あぁうんありがとう…?普通は怖がるところだと思うけど」
まさかそんな目で見られると思ってなかったのか、雪継は面食らいながら多少照れていた。
「もし、もしですけど、すごい力を持った人が手助けをしてくれるとしたら…どうですか?」
雪継が少し視線を外していると、アリアが少し前のめりになりながらそう聞いてきた。
「ぜひとも頼みたいところだけど…もしかして」
アリアの目を見ながら雪継はまさか、と思った。
「はい!お手伝いさせてください!」
アリアがさらに前のめりながら頼み込んでくる。その隣ではネムがうんうんと頷いている。
「そう言われても…正直他人を巻き込むのはなぁ」
それに加えて戦闘に慣れていない素人を手伝わせるのも、軍人であった経験からよくないとはわかっていた。
「大丈夫です!戦闘には参加しないので、ぜひ!」
なおも頼み込んでくるアリア。
「どうしてそんなに手伝おうとするんだ?別にそこまでされるようなことはしてないぞ?」
「私は勝手にお礼をすると決めたので。どうですか?」
アリアは鼻息荒く、さらに顔を近づけてきた。
「分かった、分かったよ。色々やることは山積みだから手伝ってもらえると助かるな」
近づいてくるアリアを制しつつ、雪継は折れて手を貸してもらうことにした。
ちょうどそのタイミングでいつも雪継が食べるメニューが運ばれてきた。
「はーいお待たせしましたー、ナポリタンでーす。熱いので気を付けてくださいね。ではごゆっくりー」
「あぁありがとう」
ここの喫茶店の名物、ナポリタンである。昔懐かしの味が今もしっかり受け継がれており、雪継は一度食べてから、無性に懐かしい気持ちになり、何度も通い詰めている。
「わぁ…おいしそう」
「これは本当に美味いぞ…ではいただきます」
「「いただきます」」
そう言って三人は料理を食べ始めた。
「…!美味しい……こんな、美味しいものがこの世にあるなんて…!」
「だろー?ここの料理は何でも美味いけどこれは別格なんだよなぁ」
雪継は笑いかけながらネムの様子をちらりと見た。
ネムは雪継の視線に気づくと、無言でサムズアップした。
「二人に喜んでもらえて嬉しいよ…あそこの食事は酷かったからな」
苦々しい顔をしながら呟く。アリアも苦笑しながら、ですねと返した。
「…まぁ過去の話はこのくらいにしないとな。折角の絶品が冷めるとよくない、だろ?」
「はい…じゃあ雪継さんの好きな料理とか教えてください」
雪継とアリアが喋っているとき、店のカウンター席ではレンが不貞腐れていた。
そんな姿を見かねて、母親が飲み物を出しながら、
「どうしたのレン?いつもなら絡みに行くのに」
レンは出されたお茶をすすり、カウンターに伏せた。
「だってあんなに楽しそうなのに入っていけないよ…いっつも眉間に皺寄せてるのにー」
そう言われて視線を移すと、いつも険しく追い詰められていたような顔をしていた青年は、年相応の落ち着いた笑顔で楽しそうに会話をしていた。
「確かに…楽しそうねぇ」
それを聞いてか、レンはむーと唸りながらその会話を見ていた。
三人が楽しく話していると、気づかぬうちに太陽は水平線に沈みかけており、外も暗くなっていた。
「おっと…いつの間にこんな時間か、時間が経つのは早いな」
「そうですね、ついつい話し込んじゃいました」
とりあえず店を出ることにして、雪継はお金を払いに行くと、
「…全部で2100円でーす」
レンがむすーとしながら会計をしていた。
「え、なんで怒ってんの?俺なんかした?」
「怒ってないでーす…レシートはいりますかー?」
雪継はレンが怒っている理由に全く見当がつかず、首をかしげながらレシートを受け取った。
「ありがとうございましたーまたお越しくださーい」
「お、おう…なんで怒ってんだろ……?」
やはり何も分からず店を出ると、二人が待っていてくれた。
「もう暗いし送っていこうか?」
雪継が女性二人で帰るのは危ないんじゃないかとそう聞くと、
「だいじょうぶ、わたしがまもる」
ネムがふんと胸を張った。
「…大丈夫なのか?」
雪継がそう疑問を口にした瞬間、後ろから何者からかわき腹をつつかれた。
雪継が驚いてそちらを見ると、ネムがいた。
「ネムには死角に入る能力があるようで…私も何度もびっくりさせられました」
その間も俺は後ろやら横から延々とつつかれ続けた。
「やめろやめろ、くすぐったいだろ」
雪継はネムの頭を押さえた。
ネムは驚いたような雰囲気でこちらを相変わらずの無表情で見てきた。
「つかまった」
「おう、捕まえたぞこいつめ」
そう言いながら頭を撫でてやると、幾分か表情が和らいだように見えた。
「ふふ、二人も仲良しみたいですね?」
アリアは微笑みながら二人のやり取りを見ていた。
雪継は頬をかきながら、ふむと唸った。
「まぁ…移動だけならありか。いつか戦闘能力も見ないとな」
「わたしはつよい」
力こぶをつけるようなポーズをしたが、そこには細い腕があるのみだった。
「というわけで二人でも大丈夫ですので、雪継さんはゆっくり休んでください。…テーブルに頭をぶつける前に、ではおやすみなさい」
からかうように笑った後、お辞儀をして帰り道を歩いて行った。
「はぁ…押しにも弱いのか、俺は」
ため息をつきつつ、急に襲ってくる睡魔に負けないように事務所へと戻っていった。