二話 郷愁と決意
雪継が振り返ると、そこには女性が立っていた。
今の雪継と同じ、いやそれ以上にきれいな白髪に、碧い瞳を持つ20歳くらいの可愛らしい外国人の女性だった。
「大丈夫ですか?お怪我とかありませんか?」
女性はもう一度雪継にそう尋ねた。
「あ、あぁ。なんとか生きてはいるが…」
雪継が戸惑いつつ、そう答えると、
「良かったです、間に合って。あと数秒遅かったらと思うと…」
女性は、本当に良かったというように、ほっと胸をなでおろした。
(この子がアレを消した…のか?そんな兵器が存在していたのか?いやでも、うーむ…)
雪継はこの女性を信じていいものかと思案していると、
「ここで立ち話もなんですし、安全なところに移動しましょうか」
そう言って女性が指をぱちんと鳴らすと、二人はいつの間にかどこかの部屋にいた。
「は?……はぁ!?」
雪継は信じられない状況に、今までになく混乱していた。
「な、なんなんだこれは…。どこぞの企業が作ったとかいう緊急脱出装置の進化版か?それとも開発中だった転送装置が完成したのか?いや、それならもっと……」
雪継はこの良く分からない状況を納得しようと、そうぶつぶつ呟く。
「あ、あのー、いいでしょうか…?」
そんな雪継の様子を見かねたのか、女性が声をかけてくる。
「今のは空間転移で…その、私の能力なんです…けど、も」
「空間、転移だと?そんなあり得ない話が……いや、しかし…」
雪継は納得できないといった表情で唸っていたが、
「……まぁそんなこと今は置いておこう。それよりも、だ」
雪継は女性の方に向きかえって、一礼した。
「何はともあれ助けてくれてありがとう。おかげで死なずに済んだ」
はじめ女性はキョトンとしていたが、次第に恥ずかしそうに顔を逸らし、
「い、いえ…ちょっと見かけたので、その、助けただけなので…」
とだけ答えた。
「見かけた…?それはどういう…」
雪継はそこまで言って、自分も人のことは言えないことに気づいた。
「すまない、こんな野暮なことは聞くべきじゃないな。こうして五体満足で生きているってだけで、それだけでいいからな」
雪継は多少早口で弁明じみた言葉を付け加えた。
その言葉に女性は幾分か頬を緩ませた。
「あなたも、その…あの生物を知っている人ですか?」
女性は若干不安気な顔をして雪継に聞いてきた。
「うーん…アレを知らない人のほうが少ないとは思うけど、そういうことじゃなく関係者かどうかってことか?」
雪継は言いたいことを汲み取りつつ、聞き返した。
「はい…あの、せっかく部屋に戻ったので、座りませんか…?」
女性は頷き、近くの椅子を指さした。
その部屋はリビングのようで、テーブルと椅子が置いてありテーブルには花が活けてあった。
「そうさせてもらうよ。あーフードも外すか…」
雪継が椅子に座りくつろぎながらフードを外すと、髪の色は灰色に、瞳の色はほぼ黒に戻っていた。
「っ!その、髪の色に…頬の傷は…」
「なんだ…?俺の顔に何かついてるのか?ってそうか、まだ変色した髪のままだったか。もう少ししたら戻るんだが」
女性は雪継の話にはまったく注意を向けず、雪継の顔を食い入るようにじっと見入っていた。
女性は間違いない、と小声で呟き、姿勢を正して雪継に向き直った。
「…強化人間の方、ですよね?」
「なっ…!……どこで、それを?」
雪継はその発言に驚きを隠せなかった
そのことを知っているのは、彼の部下か一部の将校、そして研究員だけだからだ。
「私も、あの研究所にいましたから…」
女性は複雑そうな顔をしながら顔を雪継に向ける。
雪継はそこで女性の目に涙がたまっているのに気づいた。
(嘘は、ついてないな。…多分)
雪継にはその表情は騙そうとしているものには見えなかった。
「なるほど、な。あの腐れ外道ども……一般人にまで手を出してやがったのか…!」
雪継は拳を強く握りしめ、怒りを隠そうともせず悪態をつく。
「あの施設は…本当に……なんてお礼を言ったらいいか……」
女性は涙を拭いながら、雪継に深々と頭を下げた。
「礼はいらないよ。俺がしたくてしたことだし。…まぁそのお陰で誰かが救えたのなら、嬉しいことだな」
雪継は、恥ずかしそうに顔を横に向けながらそう返した。
「では私も、勝手にお礼をすることにします」
女性は少しだけ雪継に微笑んだ。
「まぁ…うん。それは置いておく…ような内容じゃないが、君の名前を知りたいな。俺は伊上雪継、知っての通り強化人間だ」
君は?と女性に尋ねる。
「すみません、自己紹介もしていなかったですね。私はアリア・チェルシーといいます。私は、完成された強化人間と言うらしいですが…」
「完成された…噂に聞いた『とても不運な少女』ってのはもしかして…?」
それは小耳にはさんだ程度の信憑性の話で、曰く「撃ち落とした隕石の破片に運悪く当たった少女が
研究所に移送された」ということらしかった。
「はい、おそらく私です」
「なるほど…な」
雪継は、まさかとは思いつつもあの奇妙な能力はそのことに起因するものだろうと考えていた。
それから、二人とも話そうとはするが、話せないまま時間だけが過ぎていった。
雪継は、はぁとため息をつきながら、
「暗い上に話したくない話題ばっかりだな、俺…いや、俺達には」
自嘲気味にそう溢すと。
「あはは……そうですねぇ…」
アリアも苦笑する。
その時、そんな重苦しい空気を断ち切るように、突然部屋のドアが開いた。
「アリア、おなかへった」
透き通った水色の髪に、世にも珍しい虹色の瞳を持つ13~14歳くらいの少女が、眠たげな眼をこすり部屋に入ってきた。
「ネム!?えっと…い、伊上さんこの子は…その……」
「あ、あぁ俺に構わず何か用意してあげなよ。……俺にもやることあるしさ」
雪継は、突然のことに面食らいつつも手に持った端末と、かろうじて持っていた手帳を見せる。
「す、すみません…あとで紹介しますので」
アリアはそう言って奥のキッチンに入っていく。
ネムと呼ばれた少女は、ふらふらしながらソファに横になった。
「ふあぁぁ……すー…すー…」
「えぇ…この状況で寝れるのかこの子は…何もする気はないが、知らない人が目の前にいるんだぞ…」
雪継は若干驚きつつ、まぁいいかと呟いて作業を開始した。
「まずは依頼人に報告を、と…。ついでにあの化け物の情報を調べないとな…。」
雪継はとりあえず報告をした。事故にはやはり地球外生命体が関わっており、危険度はかなり高いことを伝えてはおいた。
「けど、これがどこまで信頼されるかは分からないんだよなぁ」
愚痴をこぼしつつ、報告書を転送した。
「さて、次はアレだな…あれほどの能力を持つ奴だしな……いた、こいつか」
慣れた手つきで端末を操作し、目当ての情報を見つける。
「排除者、死の霧……物騒な名前しかついてねぇ…。能力は自己回復に物質変換能力…それに増殖能力か。いやぁ本当によく生き残れたもんだな、まったく」
端末と手帳をテーブルに放り投げ、ソファに背中を預ける。
(やばい名前付きとは会うし、同じ研究所の奴とは会うし今日はなかなか衝撃的な日だな…。もう何が起きても驚かないぞ…)
そんなことを決意していると、奥から香ばしいいい匂いがしてきた。
「ネムーパンケーキ焼いたから…ってまた寝てる……」
奥からパンケーキが載った皿と三つのカップを持って、アリアが戻ってきた。
「…なんか、大変そうだな」
雪継が苦笑いをしながらアリアに同情する。
「あはは……あ、コーヒーをどうぞ。ブラックで良かったですか?」
「あぁ、ありがたくいただくよ」
アリアからカップを受け取り、コーヒーを飲む。
「それで…その子は一体誰なんだ?君の妹さん?」
「えぇと…妹ではないんですよ。なんと言えば……そうですね、少し昔話をしてもいいですか?」
それからアリアは自身のことについて、訥々と語り始めた
地球防衛戦が終戦して二年、終戦したその後非人道的な研究をしていた件の研究所は一応解体した、ということになってはいたが、権力者が金儲けのためだけに研究所を再開させてい
た。
そのことを聞きつけた雪継とその仲間が、データを消し、研究員を脅し、研究所を跡形もなく消し飛ばしたというところまでは雪継が知っていることと同じだった。
「そして、そのお陰で私がいた特別棟にも動揺が広がっていきました。『謎の部隊が我々を殺しに来た』って」
「失敬だな、俺たちは殺してはいないぞ。まぁ多分、死んではないだろ」
昔のことを思い出しつつ、冗談ぽく返す。
「そ、そうだといいんですが…。それでですね、その時は能力のコントロールができなくて、その…思い切って使ったんですけど……」
「能力ってあの空間転移のことか?ま、確かに俺たちの上位互換ってならそんなものも使えるよな」
強化人間たちはみな地球外生命体の遺伝子を注入され、それぞれの能力を発現させている。
「俺の部隊には火を操ったり、空を飛んだりだとかそういうやつらもいたからな。…流石に空間転移なんてものを持っている奴はいなかったが」
「おそらくそこが棟を分けた理由だと思います。侵食率とかなんとか言っていましたし…そういう違いかと」
「あぁ…なんかそういう単語聞いた覚えがあるなぁ」
雪継は記憶を辿りつつ話を聞いていた。
アリアは、横で丸まって寝ているネムの頭を撫でながらこう言った。
「能力を使った結果、私のいた棟と引き換えにネムが現れたんです」
(なるほど……なるほど?)
「え、棟ってどのくらいの大きさなんだ…?」
雪継が信じられないといった表情でアリアに聞き返す。
「かなり大きかったような気がします…跡地から考えると、五階建てくらいのお家はあったかと」
「お、おう…それで、どこと入れ替えたんだ?人がいるところなわけだし、そんな遠くはないだろ…?」
「さぁ…?それが分からないんですよ。この辺りではないことは確かなんですが…あのーどうかしましたか?」
途中から雪継は頭を抱えて、ため息をついていた。
「能力の格が違いすぎる…身体能力の強化だけとかしょぼすぎだろ…しかも、いつでもは使えないし」
「そ、そうですかね…?能力は使い方次第っておっしゃってましたし、その……」
「慰めてくれるのは嬉しいけど、こればっかりはな…。範囲やら距離無視の空間転移なんて異常すぎるし作戦でどうにかできるレベルじゃないだろ…。ま、まぁそれも、アリアが特別棟にいた理由なんだろうな?」
雪継は落ち込みつつもまだなんとか冷静だった。
「はい。他の人はいなかったみたいですが」
「だろうよ。そんな奴らがうじゃうじゃいたら世界が変わるからな。…それで、研究所以前は何をしていたかとか覚えているか?」
「うーん…気が付いたらもうそこにいたって感じだったので、理由はいまいち分からないんですよ」
アリアは考え込むような仕草をしながらそう答えた。
「それはつまり記憶がないってことか…?」
「はい、研究所以外の記憶はほとんどないですね。たまに断片的に思い出すくらいで、あとは全く……」
「そうか…なるほどな。少なくとも運び込まれたらしいってことは、そこ生まれではないはずだな」
雪継が研究所を襲撃した時にも、研究所にそんなデータが残っていたかどうかは調べていたが、そんなものは何一つなかった。
「できれば、記憶が戻ってほしいですけど…」
アリアはそう言って俯く。
雪継はその様子を見て、答えを言いあぐねていた。
(無くなった記憶はもう戻らないことを…言うべきなのか?)
施術を受けた人間は少なからず記憶、最悪の場合感情の一部分を失う。奴らの遺伝子で人間を上書きするようなものであるため、多少の不具合が生じるのだ、と研究員が言っていたことを雪継は思い出していた。
雪継にも未だ欠けている記憶がいくつかあるため、現実を伝えるべきか迷っていた。
アリアにそのことを伝えようと口を開いた瞬間、
「ん……ふんふん、いいにおいがする…」
ネムががばっと起き上がり、またもや重い空気を断ち切った。
そのまま前にいる雪継には目もくれず、目の前に置いてあったパンケーキを食べ始めた。
「…無垢な子供ってのはすごいもんだな」
「ですね…あ、こらネム、フォークを使って食べなさい」
雪継とアリアは互いに顔を見合わせて苦笑した。
「さて、俺はそろそろお暇させていただくよ。流石に長居しすぎた」
雪継は立ち上がってアリアに言った。
「そ、そうですね。すみません色々と暗い話を…」
また俯いてしまうアリアに、
「ま、気にするな。そんな話今は俺くらいにしか話せないだろうし、それくらいならいくらでも聞くさ」
雪継はそう何気なく笑いかけた。
アリアはその言葉を聞いて、初めは目を丸くしていたが徐々に優しく微笑んだ。
「ありがとう、ございます」
「どうも。…おっとそうだ、これを渡しておくよ」
そう言って雪継は自分の名刺をアリアに渡した。
「これは…名刺、ですか?」
アリアは物珍しそうに名刺を眺めていた。
「あぁ、何か困ったことがあったら電話でもいいし、直接来てくれてもいいぞ。どうせ暇だしな」
「…はい!なにかあれば必ず伺います!」
アリアは一層嬉しそうに雪継にお辞儀をした。
「じゃあ今度こそ、また何処かで。アリア」
「はい。ありがとうございました、伊上さん」
そう言って雪継は二人の家を後にした。
二人の家から出て、しばらくすると雪継は一つ聞き忘れていたことを思い出した。
「しまった、ネムのことを聞きそびれた。……ま、いいか」
「さて、と……情報を整理しますか」
事務所に戻った雪継は、調査内容と頼んでいた資料を整理し始めた。
研究地区で会ったあの敵についての対処法を探るためだ。
「あの黒い奴の対処法は…一つ、逃げること。まぁ妥当だな、普通の兵士じゃ太刀打ちできないしな」
うんうんと頷きつつ読み進めていく。
「二つ、大火力で攻撃…そうすれば本体が露出するため攻撃が可能になる…か。軍隊規模の話だし、そもそもあんな速い奴にそんなに攻撃できる隙はあるのか…?まぁできないことはないんだけどなぁ…」
現実的な対処法はないものか、と資料をあさっていると、
「これは…提言書か。えっと、何々……?『排除者に関する研究成果』!これは読まないとな…」
その論文に書かれていたことは、主に二つ。
一つ目は、黒い霧に関しての現状で分かっていることのまとめであり、効果的な物質を作り出した、ということも書いてあった。二つ目は、
「核となる生命体がいる……だと?しかも、人である可能性が高い…」
その点に加えて様々な情報が書かれており、元々兵士であったものが寄生されていると書かれていた。
様々な憶測が書かれてはいたが、雪継の脳内には、一人の隊員の顔だけが浮かんでいた。
「オッズ……お前だよな、きっと」
オッズとは、彼の指揮していた部隊の隊員であり、そして、たった一人の行方不明者である。雪継とは同時期に強化人間となったということもあり、二人は上下関係の境なく仲が良かった。
「防衛戦でお前だけどっか行きやがって…まったく手のかかる隊員を持った隊長は大変だよ……」
雪継は複雑な顔をしながら、不平をこぼす。
強化人間は、地球外生命体の遺伝子を持っているため、その親和性が異常に高い。つまり、奴らの養分として、身体を寄生されやすい。そうなった者は最早兵士としての価値はなく、代わりがいるからという理由で処分されていた。そして雪継は、そういった暴走体を殺す役目を、部隊長という役職上課されていた。
雪継は椅子から立ち上がり、仲間と撮った写真を持ち上げた。
「やっと、終わらせてやれるか……」
目を細め、ポツリと呟いた。
月の光らない晩に、静かな決意は空に消えていった。