一話 再会と出会い
煙草を咥えた青年がビルの上から街を見渡す。
「あいつらは元気にしてんのかな……いや、大丈夫だろ…」
青年は懐かしそうに、そして悲しそうな顔をしながら、煙草の煙を吐く。
青年は、シャツにネクタイという恰好で一服しているため、会社員のようにも見える。その周りに大量の戦闘用アンドロイドが転がっていなければ、だが。
「依頼人が言ってたより倍くらい多かったけど…まぁいいか」
そう言って青年は煙草の火を消し、敵の残骸に放り投げた。
「さっさと依頼人に報告して、今日はゆっくり休むかな」
青年は足取り軽く、鼻歌を歌いながら帰っていった。
極東開発都市第二商業地区に青年、伊上雪継の事務所がある。
彼の仕事は夫婦の浮気調査から先ほどの暴走機械の鎮圧など、非常に多岐にわたる。
その日の仕事を軽く終わらせて、依頼人から二割増しで報酬を分捕れたため珍しく機嫌がよく鼻歌を歌いながらくつろいでいた。
そんな感じでコーヒーを飲みながらゆったりとしていると、突然ドアが勢いよく開き、ノックも無しに高校生くらいの少女が入ってきた。
「どーも、ツグさん!…ってあれ、今日はずいぶん機嫌が良さそうですね」
「やぁレンちゃん。もうちょっとドアは優しく開けてくれると嬉しいな。驚いてコーヒーを電話に溢しそうになったからさ」
彼女は、野分レンといって隣の店の娘さんで、雪継は引っ越してきたときから仲良くしてもらっている。
おそらく仕事が暇になったからだろう、店のエプロンを付けたままここに来ている。
「やーすいませーん、以後気をつけまーす」
「その台詞も何回聞いたことやら……で、何か用かな?」
コーヒーを置きながら、まったく悪びれる様子のないレンにそう聞く。
「暇だったからお話聞きに来ました!」
「うん、素直でよろしい。…まぁ俺も今暇だし、話くらいなら付き合うよ」
「ありがとー!流石ツグさん、話が分かるなぁ。いやーうちのお母さんとは違うなぁー」
レンの分のコーヒーを作りながら、他愛もない世間話をする。
雪継はこのひと時を、小さな“幸せ”を噛み締めながら、話を楽しんでいた。
「いやーツグさんの話はいっつも面白いなぁ…私も探偵になろうかなー」
「ははは、やめときなー。これでも最初はギリギリの生活だったんだから。三日くらい食事なしとかざらだったからな?」
「それは嫌だなぁ…あ!じゃあツグさん雇ってよ!私結構何でもできるよ」
「流石にそれはご両親に対して……あ」
レンに苦笑いをした雪継は、レンの後ろにいた影に気づいた。
そこにはいつ入ってきたのか、修羅が、いやレンのお母さんが立っていた。
お母さんはレンの肩をがしっと掴んで、
「ずいぶん暇そうだねぇレン…?」
レンは肩をビクッと揺らし、恐る恐る後ろを振り向いた。
「い、いやー…ご近所付き合いって大事でしょ…?だ、だからそのー…ね?」
「伊上さん、うちの娘がいつもすみませんね。すぐに連れて帰って、よーく言い聞かせておきますから」
レンの言い訳を完全に無視して雪継に頭を下げた。
「いえいえ、俺もちょうど話し相手が欲しかったところなので。お気になさらず」
雪継は苦笑しながら答えた。
お母さんは雪継にもう一度頭を下げて、レンをぐいと引っ張る。
「ほら、帰るよレン!帰ったら…分かってるね?」
「うわー!やだやだまた私に掃除を押し付けるんだー!助けてーツグさぁーん!!」
レンはそんなことを喚きながら引きずられていく。
「今度は本当に暇な日に来なー…って聞いてないか」
雪継は手を振って見送った。
「ここまでがテンプレだなぁ…ま、これが日常ってもんだよな」
雪継は穏やかに笑いながら、椅子に座りなおした。
「うーむ…今日も平和でいいことだ。これはいい余生とも言えるよな?」
雪継は部屋に飾っている集合写真を見て、そう呟いた。
翌日、雪継が事務所を開く準備をしていると、電話が鳴った。
雪継が電話に出ると、落ち着いた初老の男性の声が聞こえてくる。
「やぁ、伊上隊長。息災か?」
「いたって健康ですよ。そちらも元気そうですね、師団長」
師団長と呼ばれた男はクックッと喉を鳴らし、ご機嫌そうにこう続けた。
「今は大将だ。変わってなさそうで安心したよ」
「それを言うなら俺も元、ですよ」
年の差、階級の差はあれども二人は戦友のように、そして、懐かしそうに語り合った。
それから二人はしばらく世間話をした後、
「それで、大将殿が今日は何の用ですか?まさか、本当に世間話するために電話かけたんじゃないですよね?」
「あぁ、もちろんだ」
男はコホンと咳払いをして、話をつづけた。
「もう知っていると思うが、第三研究地区が何者かによって攻撃を受けた。君にはその調査を頼みたい」
「三研が…?あぁそういえば、昨日のニュースでそんなのやってましたね…。それで、事故じゃなくて事件ってことですか?」
「あぁ。本当のことを言えば国民に混乱が生じる、という我々幹部の判断だ。」
「なるほど、賢明な判断だと思いますよ」
「そうだろう。だが、我々もすぐには動けない…分かるな?」
「防衛軍が今動けば“アレ”関連ってことがマスコミにバレるからですね?」
「その通り。少し歯がゆいが、頼めるか。もちろん依頼金は弾む」
その言葉に雪継は少し考えこんで、
「そうですね……一応用意できるものとか、いくつか質問していいですか?」
「構わんよ、答えられる範囲で答えよう」
雪継は、一通り聞いた後、
「あー…あと一つ大事なことを忘れてました」
「なにかな、もう大体伝えたと思うが」
雪継は少し間を開けて尋ねた。
「依頼金ってどのくらいですか?」
「そのことか…。そうだな、最低でも百万は払おう。どうかね?」
「百…万です、か…」
この金額はいつも受ける仕事の数倍、いや、数十倍はあった。
雪継は飛び上がりたいほどの嬉しさと、この調査が想像以上に重要であり、危険なものだと感じた。
(この金額はでかい組織が出てくるかもな…)
雪継はリスクとリターンを慎重に考慮した。そして、
「…了解です。受けましょう」
「感謝する。君ならそう言ってくれると思っていたよ」
男は微かに嬉しそうな声色になった。
「端末はいつもの場所に置かせる。後は、頼んだぞ」
「えぇ、もちろんですよ。では」
雪継はそこで電話を切った。
「久々にでかいのが来たと思ったらよりにもよって防衛軍からか…。これは、一波乱あるな…」
雪継は大きなため息をついて、準備するために街に繰り出した。
事故が起こり、一日たった後でも現場の状況は悲惨なものだった。
現場はまだ焼けた臭いがしていた。
しかし、雪継は別の臭いに気づいていた。
「木材やらコンクリートの塊やら、それと…微妙に香ばしい臭いがするな…」
雪継は顔をしかめながら、焼け跡を周りに注意しながら歩く。
「さて、どこか隠し通路でも…おっと」
雪継は誰かの気配を感じ、近くのコンテナの陰に隠れる。
おそらく現場を見回りに来ただろう消防隊員が二人組で近づいてきた。
「まったくひどい現場だな…」
「ですね。久しぶりに局長が焦っているのを見ましたよ」
消防隊員らしき二人が近くを通り過ぎていく。
「にしてもここで事故なんて珍しいですよね。これまでこの辺事故が起きることなんてなかったのに」
「そうだな。もしかして宇宙から化け物が襲ってきた…とかかもな」
「化け物ってそんなの何年前のことだと思ってるんですか。あり得ませんよ、そんなこと」
消防隊員たちはそんなことを言いながら、歩いていく。
雪継は化け物と聞いた瞬間、左手に持っていた端末を強く握った。
(いや、まさか…な)
雪継は自らの考えを即座に否定し、二人の会話に耳を傾ける。
「しっかし、こんな状況なのに探し物させるなんて、何考えてるんだろうな」
「ですね。まぁついででいいとは言われましたけどね」
「そりゃ流石にな。変に勘ぐらず俺たちは言われたことやってれば大丈夫だろ。…よし、次はこっちだ」
二人はそう言いながらその場を離れていった。
「探し物…か。いったい何だろうか、気にはなるな」
雪継は二人の後をつけることにした。
(はてさて、今度はどんな珍妙な事件に巻き込まれるのやら)
雪継はよく不幸な事態に巻き込まれることが多く、こういう状況での悪い予感はほぼ当たることも理解していた。
そして、予想通り起きてほしくないことが雪継の目の前で起こった。
先輩らしき消防隊員が右足を踏み出したその瞬間、その右足を残して消防隊員が消失した。
押しつぶされたとか、弾き飛ばされたではなく、消えて失くなったのだ。
雪継は一瞬事態が掴めなかったが、悪い予感は外れていなかったことが次第に分かってきた。
(何だ!?何が起こった?)
雪継が焦って周りを見渡すが、どこにも怪しい影はない。
しかし、よく見ると消えた場所に黒いもやがあるのが見えた。
その時、やっと目の前の状況が理解できたらしいもう一人が叫びを上げる。
「う、うわぁぁぁ!!」
残った消防隊員が叫び声をあげた瞬間、目の前に何かが出現した。
それは人のような形をしていたが、体からは黒い霧を撒き散らし、背中から腕のようなものが蠢いている。
牛の頭骸骨に鳥の嘴をつけたような顔を持ち、嘴からだけでなく、体中から黒い瘴気を噴出しており、まさに“化け物”と呼ぶにふさわしい存在だった。
次はお前だと言わんばかりに赤い眼を爛々と光らせて、怯えて動けなくなった消防隊員に近づいていく。
(これは、ホントに予想してなかったぜ…まったく)
雪継はフードを被り、ゆっくりと、しかし素早く、手慣れたように煙草に火をつけ、吸う。
「…まだ死ぬわけにも、いかないんでね」
雪継の黒い瞳が黄金へと光輝き、同時に雪継の黒髪が白く染まっていく。
そして、近くに落ちていた小石を蹴飛ばし化け物の頭に当てた。
「…アァアアアァ…?」
化け物は雪継に気づいて、そちらに頭を向ける。
「鬼ごっこは好きか?このタコ野郎…!」
白髪黄金瞳に変化した雪継は、目に怒りを込めながら化け物に対して挑発するように今度はナイフを頭に投擲した。
ナイフは腕で弾かれたが、その挑発が通じたのだろう、化け物は雪継の方向に近づいてきた。
「おいあんた!さっさと逃げろ!死にたくねぇならな!」
男は急に出てきた雪継にも驚き、放心状態だったが、その言葉を聞いた瞬間金縛りが解けたように一目散に逃げて行った。
化け物は叫び声をあげながら逃げる男に目もくれず、まっすぐに雪継に近づいてくる。
(どういうことだ…?逃げたやつには全く見向きもしない…。普通だったら弱いほうに向かうはずなんだが。……知能があるとしたら少し面倒なことになったぞ)
雪継は化け物から目を離さず、ここからどうすべきか作戦を練っていたが、ゆっくりと追い詰めていくように化け物は近づいてくる。
あと五メートルというところで化け物は、右腕を振り上げこちらに走ってくる。
「アアアァアアァァァッッ!!」
「やかましい…なっ!」
敵が攻撃するよりも速く、雪継は一瞬で敵の後ろに回り込み、ベルトに差してあったナイフで、化け物の右腕を切断する。
距離を取りながら振り向くと、切断したはずの右腕が空中で止まっていた。
「な…切れてないだって!?いや、感触は確かにあった…!……待て、あの妙な霧はまさか…?」
雪継の想像通り、霧の濃度が切断部分で一層濃くなっていた。
加えて、切断部分から細い管が何本も出ており、徐々に腕を本体に引っ張っている。
「再生能力持ちか…なら、切り刻むだけだな。いや、それよりは…」
雪継は冷静に経験を踏まえ、戦略を組み立てていく。
「ァァアアァ…タギィオオオオォォォォ!!」
腕がくっついた化け物は、後ろを振り向くが、そこに雪継はいなかった。
「アアアァァァァ…グゥアアァァァアアァァァ」
あたりを見回すが、どこにも誰もいないと思われたが。
銃声と共に、化け物の左腕が宙に浮いた。
またしても左腕は空中で止まったが、今度は違った。
右足、左膝、右肩、胴体、頭に銃弾が正確に撃ち込まれる。
化け物は支えを失って倒れると思われたが、なおもそのままの位置で浮いていた。
「嘘だろ!?これだけ撃っても霧が不足しねぇのか!くそっ…火力が圧倒的に足りないな…。逃げた方がいいな、これは…!」
雪継はそう言って、近くにあったタンクの上から移動しようとしたが、
「ん…?なんだ、あのでかい手は…?」
そう言って足を止めた瞬間、その手がでたらめに動き始めた。
(どこを狙ってるんだ?いや、狙ってはいないのか…?)
雪継は自分と真逆の位置に伸ばされた手を、しばらく見ていると。
手が瓦礫に当たった瞬間、空間を抉るように瓦礫が消えた。
「っ!?」
雪継はそこでやっとこの状況が、自分が思うより危険であることに気づいた。
なぜなら、瓦礫を消した後、化け物の体から相当な量の黒い瘴気が噴き出してきたからだ。
「まさか…こいつ、物体からエネルギーを抽出する力でも持ってるのか!?くっ、マジで早く逃げないとまずいことになる…!」
雪継は持っていたライフルを投げ捨てて、咥えていた煙草を再び深く吸い、大きく跳躍した。
そこに、偶然か狙ったのか化け物の“消す”手が、無慈悲に建物を抉り取る。
雪継が立っていたタンクのような施設は、中身を溢しながら音を立てて崩れていった。
雪継は目立つ白髪をフードで隠しながら、建物の間を、上を走っていた。
「はっ…はっ、はぁっ…!この辺までくれば大丈夫だろ…」
息を切らせながら、後ろを振り返る。
そこには化け物の姿はなく、完全に撒いたようだった。
雪継が依頼主に援軍を要請しようとした瞬間、真横の壁がメキメキと音をたてて何かに吸い込まれていた。
「ま…まさかっ!?」
雪継が後ろにとんだと同時に壁から大きな手が二つ出てきた。
「…アァアアアァ!!グゥルアァアァァ!!!」
もはやそれは人型ではなくなっていた。
体は一回り大きくなり、体中から手のようなものや棘のようなものが飛び出し、さらにどす黒い瘴気を纏う塊になっていた。
「ははは…こいつぁ、ヘビーだな…」
雪継は半ば死を悟った。
(危険な依頼だとは思っていたが、ここまでとは……!だが、ここで諦めるわけには…)
化け物の巨大な二つの手は、雪継を飲み込まんと左右から迫ってきていた。
「賭けるか、俺の、悪運に…!」
雪継が覚悟を決め、かつてのように化け物に特攻しようとした。
はずだった、が。
雪継が一歩を踏み出すよりも速く、突如として二つの手が消失した。
そして、二つの手だけではなく、化け物自体も幻のように消え去っていた。
「は…?」
雪継はあまりの光景に、素っ頓狂な声を上げた。その拍子に咥えていた煙草も地面に落ちた。
周囲の音に注意を向けても、化け物の気配はどこにもない。
その代わり、軽い足音が一人分聞こえてきた。
「大丈夫ですか?」