表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

非日常へ

 今日も日本は平和だ。


 と、窓際の席の少年、陸海更樹(くがみ こうき)はジジ臭い感慨に浸った。

 戦争も無く、治安も良く、食物は美味く国民は穏やか。

 非常に良い国だ。

 こういう国に生まれたからこそ、俺は斯くの如く授業中に欠伸をすることができる。

 日本人は水と空気はタダで手に入ると思い込んでいるが、それは違う。我々のご先祖の努力によって先払いされているだけなのだ。だから結局我々は、長い目で見ればしっかり水と空気の対価を支払っているわけ。日本の公衆便所がタダなのは、それを作ったご先祖や、税金を払う我々のお陰なのだ。

 だから、こうやってその努力に感謝することが、我々現代人には必需だと思う。


 更樹は、2つの耳の穴を右から左へ素通りしていく教師の声を、聴覚野に通しもせずにシャットアウトし、街の景色に意識をシフトする。

 排気フィンのように規則正しく並んだ団地。申し訳程度に散らばる緑色。整然と平行に走る車道。

 更樹が暮らす、ここK県S市は、最近開発が盛んになった近郊都市の1つである。周囲の山岳地帯を切り開き、強引に宅地造成をした街には、無味乾燥という言葉がとても似合う。ここに住んでいる人もまた、均一化された商品のように見えてくる。


(ま、それを言ってる俺も全国数万人の中二病高校生の一員なわけだが……)


 更樹は欠伸を1つ吐き、視線を手元のノートに移す。ほとんどメモしていない。ノートなど取らなくても覚えればよいのだから、必要無いだろう。一応提出期限があるので、テスト前にでも適当に友達に写させて頂くとしよう。


 落書きをしようにも画力が足りないので、授業中は本当に暇だ。うっかりしていつも暇つぶし用に持ってきている数学の問題集を家に忘れてきたのがまずかった。

 先生の話に耳を傾けてみるが、大して面白くも無い、福沢諭吉の『学問のすゝめ』だ。生徒に読ませればいいものを、わざわざ先生が読み上げるのは、やはり学校という保守的・閉鎖的な環境が時代の流れに取り残されていることの証左なのだろうか。2020年台も目前になってきたにもかかわらず旧態依然とした我が国の教育制度に嘆息しつつ、更樹は教師の話に耳を傾けた。


 『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり…。と、まあこのくらい誰でも知っている。

 が、問題はその次だ。

 されば天より人を生ずるには、万人はみな同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心の働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第ははなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。


 ……つまり、天の神は我々人間を平等にお造りになるが、それでも偉い人と愚かな人が出てくるのは、勉強したか、して無いかの違いなんですよ、ということ。


 なんだよ、結局この世は不平等じゃねえか! と、世人は云うだろう。いやでもちょっと待てよ、と更樹は思う。

 学問に取り組んだ人が偉くなれるなら、その努力の結果は、本当に不平等な物なのだろうか。むしろ、努力していない一般ピーポーが不平等不平等と騒ぎ立て、努力した人をこき下ろす方がよほど醜く、不平等なのではなかろうか。


 生まれつき貴族だった人も、日本の公衆便所の如く、彼らのご先祖様の血の滲む努力のお陰で貴族に生まれたのだから、結局先払いで差し引きゼロ……。

 つまり、不平等が生まれるのは、100%努力不足によるものだ! 以上。QED。資本主義バンザイ。


 暇つぶしに聞くつもりが意外と真面目に考え込んでいると、チャイムが響いた。時計を見ると、既に時計の長針は1周し、20分後には昼飯が食えるから喜べと言っている。


 なんだ、もう終わりか。別段長くなって欲しい類の授業ではなかったが、人生を少々無駄にした気がして更樹は微妙な面持ちになる。まあ、まだ高校生活も序盤だ。気長にやっていこうじゃないか。


 更樹はそそくさと教室を後にし、便所に直行する。が、別に便器と下水道に用があるわけでは無い。個室でスマホをいじりたいだけだ。

 教科書類を通りがかりに自分のロッカーに放り込み、そのまま歩を進める。トイレは目前である。


 個室に滑り込み、鍵をかけ、蓋をしたままの便座に腰掛け、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。3年ほど使っている愛機である。

 弁当の前のこの20分間は、愛用のスマホをトイレで弄るのが、更樹の習慣となっていた。これを欠かすと、5、6校時に身が入らない。端的に言うと更樹はネット依存である。


 更樹はネットが好きである。ネット上では、定義の上では誰もが平等だ。同じ権力しか持たない。だが、そこで物を言うのが知識と人間性だ。誰もが同じに見えるからこそ、単純化されたデータの中に映し出される人間性がある。これこそが真の平等ではないだろうか。


 ブラウザを開き、ブックマークからI-tubeのページに飛ぶ。I-tubeで時間を潰すのは、ここ最近のマイブームだったりする。気に入っている実況者の動画に指を伸ばしたところで、更樹は教室にイヤホンを忘れた事に気付く。

 軽く舌打ちをし、音無しでも楽しめる動画を漁り始める。トイレは、覗かれる心配はないものの、音がよく響いてしまう。この時間余り使われない3階のトイレではあるが、先生にバレるリスクを考えれば危ない橋を渡る気にはなれない。


 動画のリストをスクロールしていると、ふと画面下の広告が目に留まる。


(ゲームのベータテスター募集中…? 礼金として約10万円!? まじか、すげえな)


 ゲームで遊ぶだけで10万円も手に入るのか。その金はどっから出てくんだ? よほど売れる自信があるのか、または手を抜きすぎて予算が余ったのか。

 ゲームのタイトルは『ETERNAL ELEGY』。広告のイラストは、銃を構えた美少女。3DCGで、なかなかに高レベル。絵面からして、高速シューティング系MMORPGであることは間違いない。が、このベータテスターの褒賞金10万円というのはどういう事か。ベータテスターはみんなこんなものなのか?


 更樹は少し興味が湧いた。

 どうせ家に帰ってもゲームか動画を見るだけだ。今更ゲームの1つや2つ、増やしたってどうってことはない。こういう応募って大体先着順だろ。なら、申し込むなら今の内。思い立ったが吉日だ。


(それにしても10万円って、どっから出てくるんだ? I-tubeの広告なんだから、怪しいわけでもなさそうだが…)


 そう言えば最近の公民の授業でワンクリック詐欺なるものが横行しているという話を聞いた。広告に釣られてボタンをクリックした哀れなカモに『入会費300万円だZE10日以内に振り込まないともっと請求してやるZE』といったメッセージを送りつけるとか言うのだったかな。こういう場合どう判断したらいいのだろうか。別に親にナイショでアレなサイトにアクセスしたわけではないし、請求されたらされたで消費者センターとかに行けばいいのだろうが。

 更樹は少し迷ったが、広告に手を触れた。



 思えば、この時広告を押さなければ、更樹の運命は大きく違っていただろう。

 更樹の判断が正しかったのかは、分からない。ただ、ここが『分岐点』ではある。


 指先が、画面に触れる。

 刹那、ガコン、と轟音が耳朶を打った。地面が、揺れると言うよりは突き上げるような衝撃を伝える。


(地震か……!?)


 更樹は慌てて便座から立ち上がる。先月も大きめの余震があったばかりだ。トイレは柱が密集しているから安全なはずだが、もしかしたら避難があるかも知れない。


 次の瞬間、ありえない事が起きた。


 周囲の世界が、次々に無数の六角形のタイルに分割されていく。写真を切り抜くように、世界そのものがひび割れていく。ひび割れは次第に数を増し、唖然とする更樹の周囲を取り囲む。


 いつの間にかスマートフォンを取り落としたことにも気付かず、更樹は呆然としてただその超常現象を眺めていた。


 完全に更樹の周囲を覆い尽くした六角形は、今度はひっくり返り始めた。それぞれがクルリと回転し、裏側の模様がジグソーパズルのように新たな景色を生成していく。


(なんなんだ……。これは夢なのか……?)



 気がつくと、更樹がいたトイレの個室は消え、そこには全く見覚えのない空間が広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ