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真夏のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 真夏のミステリーツアー参加者一同
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「少年の日の殺人 事件編」 奥田光治 【本格推理】


 ……当時小学四年生だった僕が住んでいたのは、長野県の片田舎にある松宮村という集落でした。今からしてみると恥ずかしいのですが、当時の僕は元気盛りのわんぱく少年で、同じ村の子供たちと一緒に毎日のびのびと遊びまわっていました。

 松宮村は山に囲まれた盆地の中にポツンとある小さな田園地帯で、中央にある小さな無人駅を中心に家が集まっていて、郊外はそのほとんどが田んぼという場所でした。良くも悪くも古き良き日本の田舎というような場所で、今でもその光景は僕の頭の中に忘れられない思い出としてしっかりと残っています。

 ところが、そんな松宮村の一角に、この田園地帯が広がる田舎の村には不釣り合いな建物が一軒だけありました。それは田んぼと山とのちょうど境目にある雑木林の中にポツンと立っている小さな洋風の別荘のような家で、僕ら地元の子供たちはその洋風の家の事を密かに『人形の家』と呼んでいました。なぜなら、その家には一度見たら忘れられないほどたくさんの人形が置かれていたからです。

 僕ら地元の子供たちはその『人形の家』がある雑木林をよく遊び場にしていて、たまにその『人形の家』を覗き込んだりしていたのですが、その『人形の家』の中には世界中から集めたとしか思えないほどたくさんの西洋風の人形が棚を埋め尽くすほど置かれていて、窓から中を覗き込む僕たちの方をじっと見つめていました。不思議な事にこれだけの人形がありながら家の中に人気はなく、一体誰が何のためにこんな家を作って、あまつさえ中にこんなにたくさんの人形を置いているのか僕らにはさっぱりわかりませんでした。ただ、何というかその得体の知れなさが僕たち子どもの間ではやっぱり惹かれるものがあって、誰もいない事を良い事にこの家の辺りでかくれんぼや鬼ごっこをするというのが、当時の僕らにとっては日常になっていたのは事実です。

 だから、十年前の夏のあの日……学校の一学期の終業式が終わった後でいつもの通り友達と一緒にこの『人形の家』に行って、中にいるはずのない人がいるのを見たときは、本当に心臓が止まるほどびっくりしました。窓から中を覗くと、いつもは誰もいないはずのベッドに僕たちより年上……大学生くらいのお姉さんが横になっていて、視線に気づいたのか起き上がってじっとこちらを見ていたのです。でも、彼女は僕らを見ても怒るどころかにっこりと笑って、窓を開けると怯える僕たちに向かって「中に入ってみないか」と誘ってくれたのでした。

 僕たちがドキドキしながら中に入ってみると、外から見ただけではわからなかったたくさんの人形が僕たちを出迎えてくれました。普段はできない体験に僕たちが興味津々で人形を眺めていると、お姉さんはお茶を用意してくれて僕らに勧めてくれました。少し緊張して僕たちはそのお茶を飲んだのですが、その時お姉さんは自分の素性について語ってくれました。

 お姉さんの名前は木之本光奈きのもとみつなさんと言って、普段は東京に住んでいるのですが、病気で静養のためにこの家にやって来たという事でした。『人形の家』は木之本家の別荘……正確には人形コレクターだった光奈さんの父親が作ったコレクションの保管場所だったらしいのです。何でも、年に数回は管理のために家の人が来ているらしく、僕たちの認識と違ってずっと無人というわけではなかったようでした。

 実際、僕たちが部屋の中を見回してみると、キャビネットの上に写真立てに入れられた一枚の写真があるのが見えました。その写真はどこかの海で撮ったもののようで、ちょうど当時の僕たちくらいのワンピース姿の女の子が、虹がかかった海をバックにピースをして微笑んでいるのが写っていました。白い砂浜には彼女以外誰もいなくて、女の子の足元から海の方へまっすぐ伸びている彼女の黒い影が印象的だったのを覚えています。

「それは、君たちと同じ歳くらいの時の私よ。お父さんと一緒に高知の海に行った時の記念写真」

 光奈さんは懐かしそうな顔で僕たちにそう説明してくれました。中央高地の山間の村から出た事がなかった僕たちは当然海を見た事がなかったので、海を見た事があると言うだけで光奈さんの事がとても羨ましく思った事を覚えています。

 それからというもの、僕たちは時々光奈さんの所に遊びに行くようになりました。光奈さんも一人では寂しいのか僕たちが来る事を喜んでくれていて、その都度一緒におやつを食べたり、部屋に飾ってある人形の説明をしてもらったりしていました。

 そうこうしているうちに、松宮村には毎年お盆過ぎの時期に行われる夏祭りの時期が近づいていました。


 松宮村の夏祭りは村の真ん中にある無人駅・松宮駅の前にある、普段は駐車場になっている広場で毎年行われます。真ん中に櫓が建てられて、広場の周囲にはたくさんの出店でみせ。そして櫓の周りで浴衣姿の村人たちが太鼓に合わせて盆踊りをするというのが祭りの流れです。なので、祭りの前になると普段静かな村も慌ただしくなります。

 そして、それは子供も例外ではありません。親を手伝って出店の準備をしたり、祭りの最中に行われる『童踊り(わらべおどり)』という子供だけで踊る盆踊りの練習をしたりと、遊んでいる余裕もなくなるほど忙しくなります。この年、僕の家が属している町内組は出店でアイスとかき氷を売る事になって、その準備に僕も駆り出されていました。

 さて、僕の組の出店がある場所は祭りの会場となる広場の入口の辺りで、準備をしていると必然的に道の反対側にある松宮駅の様子がよく見えるのですが、その日の昼頃、僕が出店の準備を手伝いながら何気なく駅の方を見ると、白いワンピースを着た『人形の家』のお姉さん……光奈さんが駅の入口横辺りに立っていて、具合が悪いのか少し青白い顔で誰かを待っている様子が見えました。この村で白いワンピース姿というのはよく目立つのと、今まで一度も外に出た姿を見た事がない光奈さんが駅前にいるということ自体が珍しかったのもあって、僕は準備を手伝いながらも時折チラチラと駅前の彼女を観察していました。

 それから少しして、一時間に一本しか来ない二両編成の電車が松宮駅に滑り込んできました。普段は村人しか利用者がいないこの駅ですが、この日最初に駅の入口から姿を見せたのは珍しく村の人間ではない人でした。

 その人は五十歳くらいの恰幅の良い男の人でした。高級そうなスーツを着込んで見るからに都会のできる人という感じがしましたが、とにかくその人は駅から出ると少し辺りを見回して、そして光奈さんを見つけるとホッとしたようにそっちに駆け寄っていきました。光奈さんも笑顔でそれに応え、二人はとても親しげに話しています。その様子から、僕はこの男の人が光奈さんのお父さんだと思いました。

 二人はそのまま『人形の家』の方へ歩いて行ってしまいました。ですが、何気なくまだ駅の方を見ていると、光奈さんのお父さん以外にも村人ではない人がまだ何人か出てきていたのでした。こんな事は珍しいので、僕はその人たちの事も注意して見ていました。

 二人目に出てきたのは、カメラを持った髭面にサングラスのおじさんでした。何かのテレビで見た戦場カメラマンのような格好をしていて、駅から出るとカメラを構えながらしきりに辺りをきょろきょろと観察しています。その人はしばらくそのまま駅の前で何かを探していたようでしたが、何を思ったのか少ししてさっき光奈さんたちが向かったのと同じ方へ歩いて行ってしまいました。

 そして最後に出てきたのは、なぜかスーツを着てアタッシュケースを下げた会社員みたいな男の人でした。歳は四十歳くらいだったと思いますが、同じスーツでも最初に出てきた光奈さんのお父さんみたいな高級そうなスーツではなく、全体的にヨレヨレでどこか疲れたような雰囲気が漂う人でした。でも、そんな外見で一見すると穏やかに見える眼がなぜか鋭く感じたのも事実です。正直、駅から出てきた中で何というか一番胡散臭く思える人で、そもそもこんな何もない田舎に普通の会社員みたいな人が何で来ているのか僕には全くわかりませんでした。

 こんな怪しい人はお巡りさんにでも捕まってしまえばいいのにと心の中で思っていたら、そのすぐ後に本当に村の駐在さんがその男の人の所に走って来て、一言二言話した後でそのままどこかに連れて行ってしまいました。やっぱり、何か悪い事をしたのかなとこの時の僕はそう考えて、それ以上駅から誰も出てこなかったので素直に出店の手伝いに戻る事にしました。今思えば、この駅での出来事は後から起こる話においてとても重要な意味を持っていたのですが、その時の僕にはそれは全くわかりませんでした。


 その翌日の朝、僕は一人で久しぶりに「人形の家」に向かっていました。明日からいよいよ夏祭りが始まり、先に言ったように僕も「童踊り」で踊る予定だったので、光奈さんにぜひ見に来てくれないかと誘うつもりだったのです。ですが、「人形の家」に行きつくまでのちょうど中間地点にある僕たちの通う小学校の前にたどり着いたとき、夏休みで誰もいないはずの小学校が何やら騒がしくなっているのに気づきました。

 気になって校門の前に近づいてみると、近所の住民たちが不安そうに見守る中、校門の横にパトカーが停まっていて、校門自体は黄色のテープで封鎖されてしまっていました。何があったのかと近くにいた顔見知りの村人のおじさんに聞いてみると、おじさんは深刻そうな表情でこう言ったのでした。

「えらい事になった。龍通寺りゅうつうじの住職さんが学校のプールに浮かんで死んでいたらしい。お巡りさんが言うに、殺されたかもしれないって事だ」

 その言葉に、僕はびっくりしました。こんな小さな村でそんな事件が起こること自体が驚きでしたし、何よりその被害者が龍通寺の住職さんだったという事はなお衝撃的でした。龍通寺というのはこの村の外れにあるお寺で、村の墓地もここにあります。その住職さんは蓮厳れんがんさんという人で、法事の時に僕も会った事がありますが、穏やかで優しいお坊さんだったのを覚えています。

 そんなお坊さんが、何で僕たちの小学校のプールで死なないといけないのか、僕にはさっぱりわかりませんでした。でも、学校は閉鎖されていて、その状況が全く分かりません。

 そこで、僕は一度校門の前から離れると、学校の敷地の裏手に廻って、そこのフェンスにある僕たちだけが知っている隙間からこっそり敷地の中に入り込みました。入ってすぐの茂みをかき分けていくと、やがてプールがその先に見えてきます。

 茂みからそっとプールの様子を伺うとたくさんの警察官がプールサイドで何かを調べている様子でしたが、その中に、駐在所のお巡りさんに並んでなぜか昨日駐在さんに連れていかれたはずのスーツにアタッシュケースという姿の男の人がいるのに気づきました。その二人の会話が、僕の隠れているところまで聞こえてきます。

「まさか、来てもらって早々にこんな事件が起こるとは……」

「嘆いても仕方ありません。とにかく、事件が起こった以上は解決するのが第一です。まずは状況を確認しましょう」

「そうですね。えー、被害者はこの村にある龍通寺の住職の蓮厳さん。今朝早く、この学校の教師がプールを確認しに来たところ、袈裟姿のままプールに浮いているのを発見して通報したそうです。死因は溺死ですが、後頭部に殴られた痕跡が残っており、殴られて意識を失った後でプールに転落し、そのまま溺死したと考えるのが妥当かと思われます」

「蓮厳さんというのはどんな人だったのですか?」

「温厚で村人からも慕われていました。村人の相談事なんかも積極的に聞いてくれて、尊敬される事はあっても殺されるような人間でない事は確かです」

「ですが、こうして実際に殺されてしまった以上、そこには何か理由があったはずです。現場に何か変わった点はありましたか?」

「それが、プールサイドにプラスチックのパックに入れられたたこ焼きが落ちていたんです。縁日の出店なんかでよく売っているあれです」

「たこ焼きねぇ……。被害者の昨日の行動はわかっているんですか?」

「昨日の夜に祭りの準備をしている駅前の広場を訪れて、そこで何人かと話をしているところまでは確認されています。その際、出店の一つから問題のたこ焼きをもらった可能性があるとの事です。彼が広場を出たのは昨日の午後十時頃。鑑識によると、死亡推定時刻は昨日午後十時から十一時頃との事で、帰宅途中に殺害されたと考えれば矛盾はなくなります」

「ふむ……」

 男の人は顎に手を当てて何か考えているようでした。その様子が気になって、僕は思わず茂みから身を乗り出すようにしてプールの方を覗き込んでいました。

 ところが、それがいけなかったのか、僕が動いた拍子に茂みがガサリと音を立ててしまって、しかも間が悪い事にそれにさっきの男の人が気付いてしまったようでした。男の人はハッとしたようにこっちを見ると、怖い声で鋭く叫んだのでした。

「誰だ、そこにいるのは!」

 その声に、周りにいた警察の人たちも一斉にこちらを見ました。僕は慌ててその場から逃げようとしましたが、逃げ切れるわけもなく、数分後には警察の人に捕まって駐在さんとあの男の人の前に引き出されていたのでした。駐在さんは僕の事をよく知っていて、勝手に現場に入ってしまった僕を怖い顔をして叱りつけました。しかも、校舎の方からは僕たちの担任の梨田なしだ先生までやって来て……さっき話に出ていた死体を見つけた教師というのがどうやら梨田先生のようで、校舎で別の刑事さんに話を聞かれていたようでした……真っ青な顔をして駐在さんに頭を下げています。

「まぁ、そのくらいでいいでしょう。現場保存に支障はなかったようですし」

 と、俯いて駐在さんや梨田先生からの説教を聞いていた僕の間に割って入るようにして、さっきの男の人が静かな声でそんな事を言ってくれました。恐る恐る顔を上げると、男の人が穏やかな表情を浮かべて僕たちを見つめていました。

「自己紹介がまだだったね。私は榊原恵一さかきばらけいいちといって……まぁ、東京で探偵のような事をしている。しかし、フェンスのあんなところに抜け穴があるとは盲点だった。まぁ、あの大きさなら君みたいな子供しか通れなさそうだが」

 どうやら、僕たちだけの秘密だったあの抜け穴は見つかってしまったようでした。その後、僕は自分の名前を言って、榊原と名乗った男の人は小さく頷きながらそれを聞いていました。その人は自分の事を探偵だと言っていましたが、そのくたびれたスーツを着た姿は図書館なんかで読んだ小説に出てくる探偵のイメージとは全く違う人で、この時の僕は探偵だというその人の言葉を疑っていました。

 それはともかく、その人……榊原さんは、僕の方を見ながらこんな事を聞いてきました。

「それより、君はどうして学校に来たんだね? 夏休み中だから、学校に来る用事もないだろうに」

 そう聞かれて、僕は必死に自分の事情を……つまり『人形の家』に行く途中でこの騒ぎに遭遇して、蓮厳さんが殺されたと聞いて気になって様子を見ようと思ったのだと説明しました。

「ほう、『人形の家』ね」

 しかし、榊原さんが興味を持ったのは僕が勝手に学校に入った事実ではなくそっちの方でした。僕は榊原さんに聞かれるままに、『人形の家』とはどのようなものなのか……光奈さんの事も含めて説明する事になりました。その間に、榊原さんの後ろで駐在さんは改めて梨田先生から事件の話を聞いているようでした。

「ですから、朝早くに出勤して、プールの様子を確認しようとしたら蓮厳さんが浮かんでいて……」

「授業もないのになぜプールの確認をしたんですか?」

「駐在さんも知っての通り、校長の方針で夏休みの間でも日中はプールを村の人たちに解放しているんです。この村にはここしかプールがありませんから。で、解放するのは正午からですから、それまでにプールを点検しておく必要があったんです」

 と、そこで榊原さんが口を挟みました。

「失礼、夜間にここの学校の敷地に入る事は誰でもできますか?」

「……何しろ田舎の学校で、セキュリティもそこまでしっかりしていないんです。校舎はさすがに難しいですが、敷地に入るだけだったら誰でも簡単にできたと思います」

「なるほどね」

 それからもうしばらく事情を聴かれた後、僕はもう一度駐在さんからこってり油を絞られた上で現場から解放される事になりました。ただ、驚いたのはなぜか榊原さんまで一緒に出てきて、『人形の家』に連れて行ってくれないかと言ってきた事でした。

「少し興味があるものでね」

 榊原さんはそう言いましたが、僕にそれを拒否する事などできませんでした。結局、僕は榊原さんと連れ立って『人形の家』に向かう事になりました。

 「人形の家」はいつも通り森の中で静かにたたずんでいました。でも、僕がドアをノックしても、いつもならすぐに光奈さんの返事が返ってくるはずなのになぜか今日に限って誰も出てくる様子がありません。

「留守かな?」

 榊原さんが後ろでそう呟きますが、病気の療養でここに来たという光奈さんがそんなに頻繁に外出するとは思えませんでした。昨日駅前で見た時点でも相当辛そうだったのに、二日連続でどこかに出かけるとは僕には思えなかったのです。

 僕は、人形がたくさん置かれている部屋の窓の方へと回って、今までと同じようにその窓から部屋の中を覗き込む事にしました。いつも通りカーテンは開けっ放しで、中の様子を見る事ができます。すると、薄暗い部屋の中でベッドが盛り上がっているのが見えました。この時、僕は光奈さんがベッドでまだ寝ていると思っていました。

 ところが、榊原さんは窓から部屋の中を覗き込むと、途端に厳しい表情を浮かべました。そして、何を思ったのかポケットからハンカチを取り出して、そのままいきなり窓に手をかけて開けようとします。すると、僕の予想に反して、窓はあっさりと開いてしまいました。さすがにこの段階で、僕も何かおかしいと感じていました。

「すみません!」

 榊原さんが大声で呼びかけますが、返事はありません。その不気味な静けさに僕は困惑しましたが、榊原さんは何か覚悟を決めたように、そのまま窓から室内に入ってベッドに近づいて行きました。そしてベッドを見下ろしたままで、続けて室内に入ろうとした僕に鋭く叫びました。

「入るな!」

 その声に、僕はビクリとして窓の外で固まってしまいました。榊原さんは一度ベッドから僕の方へと視線を戻すと、もう一度ゆっくりと言い聞かせるように繰り返します。

「入っちゃいけない。いいね?」

 何が何だかわからないまま僕がおどおどしながら頷くと、榊原さんはポケットから携帯電話を取り出してどこかに電話をしました。驚いた事に、かけた先はさっき一緒にいた駐在さんのようでした。榊原さんは淡々とした口調で何かを話しています。

「そっちの作業は一通り終わりましたか? なら、今すぐ『人形の家』に来てください。そう、例の木之本光奈の別荘です」

 そして、その次に榊原さんの口から放たれた言葉に、僕は一瞬耳を疑いました。

「今、確認をしました。木之本光奈と思われる女性が室内で死んでいます。状況から見て……殺人です」


 ……それから十分もしないうちに、さっきプールの方にいた警官たちが『人形の家』に駆け付けてきて、どうしたらいいのかわからず呆然としている僕の前で鑑識作業を始めました。僕は家の外で待たされていましたが、そんな中でも部屋の中から駆け付けてきた駐在さんと榊原さんの会話が聞こえてきました。

「ひどいですね……ベッドで寝ていたときに頸動脈を刃物でバッサリですか。凶器はこの家のキッチンにあった果物ナイフですが、この部屋の入口近くに落ちていました。ベッドから離れたところに落ちていた上に、被害者の手は血痕で染まっていないので自殺ではありえません。よって殺人なのは間違いなさそうですが……」

「窓の外から見て、薄暗かったのでややわかりにくかったですが、ベッドの掛け布団やその周辺の床がどす黒く変色しているのを見てもしやと思い、中に入ったらこの有様でした」

「さすがにこの光景を子供に見せるわけにはいきませんね」

「えぇ。しかも、犯人は犯行後、随分派手に家の中を物色しているようです」

「はい。靴に血痕が付いた状態……つまり殺害後に家の中をあちこち歩き回ったようですね。この部屋に限らず、廊下や台所、物置、トイレや浴槽に至るまで血痕が付着した靴跡が至る所にありました。何か持ち去られたものがあるかまではわかりませんが」

「靴の特定はできそうですか?」

「それが、我々同様にビニールか何かで靴をカバーしていたようで、明確な靴跡を採取する事ができません。犯人はかなり用意周到です」

「そうですか……。殺害現場はここで間違いなさそうですか?」

「えぇ、部屋に飾ってあるベッド近くの人形からも複数の飛沫血痕が検出されています。遺体を移動した痕跡もありませんし、ベッドで寝ているときに殺されたのは間違いないでしょう」

「死亡推定時刻は?」

「血の乾き具合や死後硬直の具合から、こちらも蓮厳氏が殺されたのと同じく午後十時から午後十一時頃と推定されます。詳しくは解剖待ちですが、まず間違いないでしょう。どちらが先に殺されたのかはわかりませんが、ここからさっきのプールまで十分から十五分程度ですので、移動時間込でも充分に両者の殺害は可能です」

「ふむ……」

「確認ですが、その窓の鍵は開いていたんですね?」

「えぇ。念のためにハンカチで開けましたから私の指紋は残っていないはずです」

「玄関の鍵は閉まっていました。となると、犯人はその窓から出入りしたとみて間違いないでしょう。どうやら密室殺人というわけではないようですが、同時刻に近場で二件の殺人……偶然とは思えませんね」

「同感です」

 そんな会話を聞きながら、僕はあの優しかった光奈さんが死んでしまったという事をどうしても信じる事ができませんでした。何というか、今にもどこからかひょっこりと出てきて、いつものようにお菓子とお茶を出して僕たちと色々な話をしてくれるように思えてならなかったのです。

 そして、僕がそんな事を思っている間にも、榊原さんたちの会話は続いていました。

「このキャビネットの写真は……彼女の子供時代ですか?」

「そのようですね。どこかの海に行った時のもののようですが……」

「……写真の裏に日付と場所が書いてありますね。十年前の八月十六日……高知の桂浜、ですか。おっと、ご丁寧に撮影時間まで記録してあります。『十四時三分』だそうです」

「それが事件と何か関係あるんですか?」

「さぁ、わかりませんね。……それにしても、まさに『人形の家』ですね。ここまでたくさんの人形を集めるのは大変でしょうに。駐在さん、この家の名義はどうなっているんですか?」

「私の認識では、巾木豪造はばきごうぞうという人物の所有になっているはずです。ただ、彼自身がこの家にいるのを見たのは私も今までに数回しかありません」

「何者ですか?」

「さぁ……東京で何か会社をしていると聞いた事はありますが、詳しくは知りません。とにかくそんな状況なので、私もこの家はずっと空き家に近いという認識でした。まして、被害者の木之本光奈がこの家にいたということ自体、さっき子供たちに聞くまで私も知らなかった事です」

 と、そんな二人の会話を聞いていた時、この家に続く道の向こうから、昨日駅前で光奈さんと会っていた恰幅のいいスーツ姿のおじさんが血相を変えてこちらへ走ってくるのが見えました。警察の人たちが慌てて家に入ろうとするおじさんを止めようとしますがおじさんは強引にでも中に入ろうとしていて、その騒ぎに中から榊原さんと駐在さんの二人が顔を出してきました。

「光奈が……光奈が死んだというのは本当なのか!」

 二人が姿を見せるなり、おじさんは大声で突っかかるように叫びました。その声に、榊原さんが眉をひそめながら尋ね返します。

「あなたは?」

「私は巾木豪造。光奈の義理の父親だ!」

 その言葉に、榊原さんと駐在さんがそっと目配せをしたのを僕は気づいていました。でも、二人はそれを悟られないように何気ない話し方で巾木さんに話しかけます。

「義理の父親、ですか。失礼ですが、どのような事情で?」

「そんな事はどうでもいいだろう! それより、光奈は……」

 その言葉に、榊原さんは黙って首を振りました。

「残念ながら、死亡が確認されました。今は一度最寄りの診療所に遺体を運んで、そこで検視官が検視を行っています。状況から見て殺害された可能性が高いです」

「そんな……」

 その瞬間、巾木さんは顔を真っ青にしてその場にへたり込んでしまいました。でも、榊原さんたちはそれに構う事なく巾木さんに話しかけました。

「改めて、お話を伺ってもよろしいですか?」

「あ、あぁ……」

「まず、あなたは光奈さんの義父との事ですが、その辺の経緯を教えてもらえますか?」

 そう聞かれて、巾木さんはポツポツと話し始めます。

「光奈の実の父親……木之本光秀きのもとみつひでと私は従兄の関係でね。奥さんが事故で亡くなってしまって、彼は彼女を男手一つで育ててきたんだ。ところが、彼女が十歳の時に光秀も病気で亡くなってしまってね。それで色々あった末に私が里親になる事になったというわけだ」

「この家の名義はあなたになっているようですが」

「あぁ。だが、元々は光秀の所有物件だった。奴は昔から人形コレクターでもあってね。こうしてこんな山奥の田舎に別荘を作って、集めたコレクションの保管場所にしていたらしい。光秀が死んでこの家は遺言により光奈に相続されたが、彼女が成人するまでの管理は保護者の私に託された、というわけだ」

「人形コレクターですか」

「あぁ。中にはプレミア物の貴重品もある。だから、誰もいないときでも定期的に人は寄越していたんだが」

 と、そこで駐在さんが口を挟みました。

「……実は、犯人は犯行後に家の中を物色しているようなんです」

「物色って……じゃあ、犯人は強盗か何かなのか?」

「そこまではまだ何とも。ただ、そう言うわけなのでこの家から何かなくなったものがないかどうかをあなたに確認してもらいたいのです。お願いできますか?」

「それはまぁ……構わんが」

 巾木さんが承諾すると、駐在さんは鑑識から現場を撮影したデジカメを借りて、それを一枚一枚巾木さんに見せていきます。巾木さんは真剣な表情でそれを見ていましたが、一通り見た後で少し怖い顔でこう言いました。

「私の記憶が正しいのならだが……客間にあった西洋人形が一つ、入れてあった箱ごとなくなっている」

 榊原さんたちの表情が一気に緊張するのが僕にもわかりました。

「客間と言うと寝室の隣の部屋の?」

「そうだ」

「人形がなくなっているというのは確かですか?」

「あぁ。客間の棚に桐箱に入れて置かれてあった人形です。光秀がフランスで手に入れたオーダーメイドの古い人形で、一点物であるという点と歴史的な経緯から日本円にして数百万円はくだらない代物だと聞いた事がある」

「ほう……」

 駐在さんが驚いた声を上げます。僕は、そんなとんでもない価値がある人形がこの家にあった事にびっくりしていました。

「その人形がなくなっているとなると、人形を狙った犯行という可能性が出てきましたね」

 駐在さんが勢い込んでそんな推理をしますが、榊原さんは黙ったままジッと何かを考えているようでした。仕方なく、駐在さんが代わりに巾木さんに質問を続けます。

「犯人は寝室の窓から侵入したと思われるんですが、心当たりは?」

「光奈は……風で涼むためによく窓を開けていた。昨夜もそうだったから、窓からの侵入自体は簡単だったと思う」

「あなたが最後に彼女と出会ったのはいつですか?」

「……昨日だ。私は、昼過ぎにこの村にやって来て、駅に迎えに来てくれていた光奈と一緒にこの家に来た」

「この村に来た理由は?」

「一つは光奈の様子を確認するため。もう一つは、友人であるこの村の村長に会うためだった。彼とは昔からの友人で、せっかく来るなら一緒に飲まないかという話になったんだ。それで、昨日の午後八時頃から村長の家に行って、そのまま朝まで一緒に飲んでいた。彼に聞いてもらえれ証明してくれるだろう」

「それまではこの家にいた?」

「あぁ。光奈と久しぶりに色々話をしたり、一緒に食事したりしていたよ。出かける前にシャワーを浴びようとしたらうっかりノズルを床に落としてしまって、それが原因か知りませんがシャワーが出なくなったのには閉口したが……その修理について話したのが光奈との最後の会話になるなんて……」

 そこまで言って、巾木さんは俯いてしまいました。

「……わかりました。では、被害者の身元確認をしてもらいたいので、この後診療所まで同行してもらってもいいですか?」

「もちろん」

 そう言うと、巾木さんは駐在さんに連れられてどこかに行ってしまいました。一方、残された榊原さんは少し周囲を見回していたようですが、やがて遠巻きにこちらを見ていた野次馬の中に誰かいるのを見つけたのか、そちらへ歩いて行きました。

 驚いた事に、そこにいたのは昨日巾木さんや榊原さんと一緒に同じ電車から出てきた、あの髭面にサングラスの戦場カメラマン風の男の人でした。榊原さんはさりげなくその男の方へ近づくと声をかけます。その声が、かすかではありますが僕の所にも届いてきました。

「どうも」

「え?」

「昨日電車で一緒になった方ですよね? 特徴的な風貌だったので覚えていました」

 そう言われて、相手の男の人は慌てた風に言い返しました。

「あ、あんた何なんだよ」

「榊原恵一。しがない私立探偵です」

「探偵?」

「まぁ、色々あって今回の事件について警察に協力しているわけですが、わざわざ野次馬に混ざって事件現場を観察しているという事は、あなたも何かわけありのようですね」

「な、何を言って……」

「違うんですか?」

「……文句でもあるのかよ!」

「いえ。ですが、私も名乗った事ですし、あなたの方も名乗って頂けるとありがたいのですが」

「……木場田和夫きばたかずお。フリーのカメラマンをやっている」

「フリーカメラマンですか。それで、カメラマンのあなたがどうしてこんな長野の村に?」

「それを言うわけがないだろう」

 男の人……木場田さんはそう言って顔をそむけましたが、榊原さんは無言でジッと木場田さんを見つめ続けています。そんな状況が五分ほど経った頃でしょうか、その状況にいたたまれなくなったのか、木場田さんが頭をかいて首を振りながらやけくそ気味に答えました。

「……あー、畜生! わかった、言うよ。俺は巾木豪造を追ってここに来た。スクープの種になると思ってな」

「スクープというのは?」

「政治絡みのスキャンダルネタだ。巾木は東京で芸能プロダクションを経営しているんだが、この事務所に所属する春風アテネ(はるかぜあてね)という新人女優と大庭影近おおばかげちかという代議士の間にただならぬ関係があったという噂が流れている。巾木は政治志向が強くて、次の衆議院選で引退を表明している大庭の地盤を引き継いで立候補する意向である事が最近になって発覚した。ここまで言えばあんたにも俺が何を言いたいのかわかるだろう?」

「……巾木さんがそのアテネという女優を使った枕営業を大庭代議士に行った、という事ですか?」

「あくまで噂だがな。それを確かめるために巾木をずっとつけていた。噂が流れた後、アテネはどこかに雲隠れしてしまっていて、巾木がほとぼりが冷めるまでアテネをどこかに隠した可能性が高い。今回の旅行で奴がアテネと接触すると思っていたんだが……単に自分の娘に会いに来ただけで、当てが外れてがっかりしているところだ」

「ちなみに、その春風アテネの本名は?」

「確か、倉井志麻くらいしまと言ったはずだ」

 正直、この当時の僕には話が難しくて二人が何を話しているのかよくわかっていなかったのですが、そんな中でも話は先に進んでいきます。

「そうですか。……参考までに、昨日のアリバイを聞いても構いませんか?」

「俺を疑っているのか?」

「念のためです。答えられないと?」

「そういうわけじゃないが……言った通り、俺は巾木の後をつけていたからな。駅を出てからもあいつをつけ続けて、あいつが娘と二人でこの家に入った後、午後八時くらいに一人で出ていくまでずっとこの近くの森の中から家を見張っていた。正直、薄暗い森の中で一人見張り続けるのはあまり気分のいいものじゃなかったがな。その後は、巾木を尾行して村長の家に入っていくのを確認したから、今度は朝になるまでずっと村長の家を見張っていたさ。で、朝になって巾木の奴が急に慌てて尊重の家を飛び出してきたから、何事かと思って来てみたらこの有様だったというわけだ。何だったら、何枚か写真も撮ってある」

「ずっと巾木さんを見張っていたんですか?」

 榊原さんが少し興味深げな表情を浮かべるのが僕にもわかりました。

「あ、あぁ」

「では、あなたがこの家を見張っていた時点で、二人以外にこの家に出入りした人はいますか?」

「いや……誰もいなかったと思う。正直に言って、見張っているこっちが馬鹿に思えてくるほど退屈で仕方がなかった」

「午後八時に巾木さんだけがこの家を出たというのは、間違いありませんか?」

「ない。ちゃんと娘さんも玄関まで見送りに出ていたし、写真も撮った。何なら見るか?」

 そう言って、木場田さんはデジカメを榊原さんに見せました。それを見て、榊原さんは納得したように頷きました。

「なるほど……確かに彼女が写っていますね。つまり、午後八時の時点で彼女が生きていて、この時点で特に問題が発生していなかった事は確実という事、か。で、その後村長宅をずっと見張っていたそうですが、巾木さんはその間ずっと村長の家から出なかったんですか?」

「俺の見ている限りだったらな。もっとも、村長の家は想像以上に大きかったし、俺はあくまで正面の玄関しか見張っていなかったから、裏口とか使われていたら断言できなくなる」

「午後十時から午後十一時頃の写真はありますか?」

「えーっと……チッ、ないな。特に何も起こらなかったし誰の出入りもなかったから、その時間帯は何も撮っていない」

「つまり、その時間帯に巾木さんが本当に村長宅にいたのかも、逆にあなたが村長宅を本当に見張っていたのかもわからない、という事ですか」

 そう言われて、木場田さんは顔色を変えました。

「な、何だよ、その言い方は!」

「単なる確認です。お気になさらないように。何にしても、今の話、後でちゃんと県警に言った方がいいですね」

「言わなかったら?」

「私が言うだけです。その場合、警察は確実にあなたの事を不審な目で見るでしょうね」

「……あんた、性格悪いな」

「私は事件を解決したいだけです。そのためならできる事は何でもしますよ」

「へぇへぇ。別にいいけど、あんたから口をきいてくれると助かる。職業柄、警察とはあまり仲が良くないものでね」

「では、一緒に診療所に行きましょう。今、そこで遺体の司法解剖が行われているはずですから、県警の関係者もそこに集まっています」

 そう言ってから、榊原さんはふと思い出したかのように僕の方に顔を向けて、こう言ってきました。

「君も来なさい。いつまでもこんなところにいるわけにもいかないだろうからね」

 僕に、拒否する権利はありませんでした。


 松宮駅のすぐ近くにある松宮診療所は、この村にある唯一の病院でした。僕がパトカーに乗ってそこに到着すると、普段は静かな診療所の前に何台ものパトカーが停まって大騒ぎになっていました。

 そんな診療所の入口で、いつもは優しい笑顔で僕たち地元の小学生に接してくれているこの診療所の院長のかけい先生が、先にこっちへ来ていた駐在さんと話しているのが見えました。院長と言ってもこの診療所にお医者さんは筧先生しかいなくて、後は看護師さんが二人いるくらいです。聞いた話だと筧先生は元々東京の大病院で働いていたそうですが、夫婦で鳥取を旅行した時に奥さんが事故に遭ってしまって、その際近くに病院がなくて満足な治療ができないまま亡くなってしまったんだそうです。それがきっかけで筧先生はそれまで働いていた病院を辞めて、二度と自分と同じような経験をする人が出ないように僻地医療をするようになったと言っていました。

 そんな筧先生が、駐在さんとその後ろにいる巾木さんに話している言葉がこちらにも聞こえてきます。

「筧先生、解剖の方は?」

「さっき済ませましたよ。まったく、一度に二体も解剖しなければならないなんて前代未聞です。こっちは数日前に児玉のお爺ちゃんが病気で亡くなって、それなのに親族の間でごたごたしたとかで、今日やっと葬儀業者に棺を引き取ってもらえたところなんです。せっかくトラブルから解放されたと思ったら、今度は殺人事件の被害者の遺体の解剖だなんて……。ただでさえ医者が私一人で忙しいのに、これ以上の厄介事は御免ですよ」

 少し不満そうに愚痴を言い始めた筧先生を駐在さんがなだめます。

「まぁまぁ、その愚痴はまた聞きますから、今は検視結果を教えてもらえませんか?」

「……死亡推定時刻は昨日の夜十時から十一時の間。死因は蓮厳さんの方が溺死で、木之本光奈さんの方が頸動脈切断による出血多量です。もっとも、蓮厳さんの方には生前に負ったと思しき打撲痕が頭部に確認できましたがね。後でちゃんと報告書にして渡しますよ」

「……現場での検視官の見立ては正しかったようですね」

 そう言いながら、榊原さんが筧先生たちのいる場所へ近づいていきます。僕も慌てて後に続きました。筧先生が困惑したような表情を浮かべます。

「あなたは?」

「失礼、私立探偵の榊原恵一です。縁あって、駐在さんに協力しています」

「はぁ、探偵、ですか……」

「榊原さん、どうしたんですか?」

 駐在さんが聞くと、榊原さんは無言のまま後ろで興味深げに周囲を見回している木場田さんの方を示しました。

「警察に情報提供したいという人がいましてね。役に立ちそうだったので連れてきたんです」

「情報提供、ですか」

「まぁ、その話は後で。それより、巾木さんを」

「あぁ、そうでしたね。筧先生、こちらが木之本光奈さんの関係者の巾木豪造さんです。遺体の確認をさせてもらいたいのですが……」

 駐在さんが後ろで手持無沙汰にしていた巾木さんを紹介します。

「そうですか……。わかりました、ご案内します」

 筧先生の言葉に、巾木さんは深々と頭を下げました。そこで、榊原さんが駐在さんに尋ねます。

「ところで、例の人形はどうなりましたか?」

「捜索の手はずは整えましたが、今の所見つかったという報告はありません」

「人形、とは何ですか?」

 話を聞いた筧先生が首を傾げます。

「あぁ、実は現場から高価な人形がなくなっていましてね。どうも犯人はそれが目的であの家に侵入したようなのですよ」

「じゃあ……人形を盗むためだけに寝ていた被害者を殺したっていうんですか。なんてむごい事を……」

 筧先生はそう言って天を仰ぎました。

「えぇ。ですから、一刻も早く犯人を捕まえなければいけないんです」

「駐在さん、お願いします。そんな奴がいたら、私も商売あがったりです」

「善処はします」

 駐在さんの言葉に筧先生は安心したのかホッと息を吐きます。と、そこへ榊原さんがさらにこんな質問を筧先生に尋ねました。

「最後に一つでいいですか?」

「はぁ、何でしょうか?」

「被害者二人がこの診療所を利用した事はありますか? あるのだったら、その時の様子を教えてほしいのですが」

「様子ですか……。ちょっと待ってくださいね」

 筧先生はいったん受付に戻ると、ノートのようなものを持って戻ってきました。

「えーっと……記録では木之本光奈さんは一度もこの診療所に来たことがありませんね。蓮厳さんも、前に来たのは二年くらい前の事なので、私からは何とも……」

「二年前、蓮厳さんはなぜここに?」

「確か……腰痛だったと思います。大したことはありませんでしたが」

「そうですか」

「あの、もういいですか?」

「あぁ、引き留めてすみませんね。結構です」

 筧先生は不思議そうな顔をしていましたが、すぐに小さく頭を下げてそのまま巾木さんと一緒に奥の方へ歩いて行きました。多分、さっき言っていた遺体の確認というのをしに行ったのでしょう。

「さて、ではそちらの方から話を伺いましょうか」

 駐在さんはそう言うと後ろの木場田さんの方へ向かおうとしました。と、そこで榊原さんが声をかけます。

「ところで、彼はどうしますか?」

 そう言って、榊原さんは僕の方を示します。駐在さんは少し考えていましたが、やがてため息をついて首を振りました。

「彼から聞けることはもうないと思いますし、このままここにいてもらうわけにもいきませんから、親御さんに迎えに来てもらいましょう。さっき連絡はしておきました」

「そうですか」

「すみませんが、親御さんが来るまでここで彼を見ていてもらえませんか?」

「わかりました」

 駐在さんは一礼して、木場田さんに話を聞きに行きます。その後、僕は母たちが迎えに来るまで、診療所の入口で榊原さんと一緒に待つ事になりました。

「ところで、聞いた話なんだが、今日は祭りがあるそうだね?」

 その待っている時間の間に、突然榊原さんはそんな事を聞いてきました。僕が頷くと、榊原さんは羨ましそうに言いました。

「こういう田舎の祭りというものはあまり見た事がなくてね。今日は天気も崩れそうにないし、時間さえあれば見に行きたいものだ」

 僕にはそんな榊原さんが何だか暢気すぎるように思えました。事件の方は大丈夫なのかと僕が聞くと、榊原さんは少し考えてからこう呟きました。

「まぁ……何とかなる、とは思うがね」

 僕はその言葉の意味が何なのか聞こうとしましたが、ちょうどそのとき僕の母が診療所に迎えに来て、結局そのままうやむやになってしまいました。母は真っ先に僕を叱り、そのまま泣きながら僕を抱きしめましたが、そんな僕を榊原さんが静かに見ているのが何とも印象的でした。


 家に帰ってから間もなく夜になり、あんな事件があったにもかかわらず予定通り駅前の広場で夏祭りが始まりました。さすがに警備のお巡りさんの数が増えたような気がしましたが、表向きは何事もなかったかのように祭りは進んでいきます。事件の事は気になりましたが子供の僕に何かできる事もなかったので、僕も浴衣を着て素直に祭りに参加していました。

 僕は町内組の出店でアイスやかき氷を売る手伝いをしながら、空いている時間に友達と一緒に他の出店を冷やかしたりしていました。僕たちが踊る童踊りは八時からで、いつしか僕は昼間の事件の事などすっかり忘れてただ純粋に祭りを楽しんでいました。

 だから、僕の出店に榊原さんがやって来た時は、いきなりまた事件に引きずれ戻された感覚がして何とも言えない気持ちになりました。榊原さんは相変わらずのスーツに黒いアタッシュケースという姿で、この浮ついた空気の夏祭りの中ではかなり浮いているようにも見えました。

「あぁ、また会ったね」

 榊原さんはそう言って出店の店番をしていた僕に声をかけてきました。何も買わないのは悪いと思ったのかアイスを一本注文し、僕は慌ててクーラーボックスに入っていたアイスをお金と引き換えに手渡します。榊原さんは会場を見回しながら素直に感心した風に言いました。

「私の予想していた以上に盛り上がっているね。聞くところによると、もうすぐ子供たちの盆踊りがあるそうだが、君も踊るのかね?」

 僕が頷くと、榊原さんは感心したような声を上げました。

「まぁ、楽しむ事だね。少年の日の思い出というものは、生涯にわたって記憶に残るものだ。私も、小さい頃の思い出はよく覚えている。……それに、幼い頃にやった事というのは、もしかしたらその子の一生を大きく左右するかもしれない。誰であってもそういう経験をする可能性は充分にあり得る。ある意味、それは人間として逃れられない宿命なのかもしれないがね」

 僕は、一瞬榊原さんが何を言っているのかわからなくなりました。でも、榊原さんは穏やかに笑いながら話を続けます。

「すまないね。少し難しい話をした。ところで、話は変わるがもう夏休みも半分くらい過ぎたはずだが、君は夏休みの宿題はもう終わったのかね? さっき診療所で君のお母さんと少し話をしたが、何でも自由研究で『星の観察』をしているそうだが」

 急にそんな事を聞かれて、僕は一瞬言葉に詰まりました。確かに、僕は村外れにある小高い丘の上、そこに立つ一本杉の下に望遠鏡をセットして夜空に輝く満天の星空を眺めて観察日記をつけるという自由研究をしていました。その日も、祭りが全部終わったらいつも通り星の観察をするつもりで、出店の脇には愛用の望遠鏡が置いてありました。

 でも、光奈さんと蓮厳さんが殺されて、犯人が捕まっていないこの状況で天体観測に行ってもいいのか僕は迷っていました。もしかしたら、二人を殺した殺人犯がその辺をうろついているかもしれないのです。僕は、どう返事をすべきか迷いました。

 ところが、僕が何か言う前に榊原さんはこんな事を言いました。

「天体観測をするかどうか迷っているなら、心配しなくてもいい。これ以上何も起こらないと私が保証しよう。もっとも、天体観測に行く前にこの祭りをちゃんと最後までしっかり楽しんでおく事を勧めておくがね」

 はっきりそう言われて、僕はますますわけがわからなくなります。理由を聞くと、榊原さんはこう答えます。

「今回の事件、明日にはすべて片が付いているだろうからね。まぁ、頭の片隅にでもとどめておいてくれたらいい。それでは」

 そう言って、榊原さんは出店から離れていきました。僕はしばらく呆然とそれを見送っていましたが、すぐに童踊りの時間がやって来たので、慌てて意識を切り替えて中央の櫓の方へ走っていったのでした。

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