「少年の日の殺人 プロローグ」 奥田光治 【本格推理】
私がその話を聞いたのは、ある年の夏の事だった。
その日、私は仕事の都合で長野に来ていたのだが、いざ帰路についたところでにわかに降り出したゲリラ豪雨の影響で線路上に土砂崩れが発生したとかで電車が動かなくなってしまい、県内のとある駅で足止めを食らう羽目になってしまった。駅の電光掲示板に運転再開の見込みは立っていないという旨の表示がなされ、さてどうしたものかと考えた末にひとまず駅の待合室に足を向ける事にした。
待合室にはすでに何人もの足止めを受けた客たちが座っていて、憂鬱そうな表情で窓の外で相変わらず降り続けている雨をぼんやりと見つめている者が多かった。が、幸い隅の方の席が一つだけ空いていたので、私は隣に座っている二十歳くらいの若者に小さく会釈してその席に座る事ができた。
さて、座る事はできたもののこれからどうしたものかと思案に暮れ、ひとまず先程駅の売店で買った新聞をもう一度広げてみる。何日か前から騒いでいる不祥事で大庭影元とかいう若手代議士が今にも辞職しそうになっているとか、県内でライターの不審死体が見つかって警察が捜査しているとか、同じく県内のコンビニで店員が殺される強盗殺人事件があって犯人が逃走中だとか、十年間逃亡を続けていた指名手配犯がどこかの鍾乳洞に隠れていたところを登山家に見つかって逮捕されたとか、二十年くらい前に都内で起こったバス爆破事件の慰霊祭が行われたとか、プロ野球で野本とか何とかいう私が聞いた事のない選手が一五〇〇本安打を達成したとか、何ともまぁ今日も新聞紙面は賑やかなものだった。おそらく、明日になったらこの豪雨の事も新聞の一面に載る事になるのだろう。
しかしそんな新聞もすぐに読み終わってしまって、今度こそどうしたものかと新聞をしまって考え込んでいると、ふと隣に座っていた先程の若者がなぜか私の方をじっと見ているのに気が付いた。私には彼の顔に見覚えはなかったので訝しげな表情を浮かべながら「何か?」と尋ねてみると、相手は慌てたように頭を下げてこんな事を尋ねてきたのである。
「失礼ですが、もしかして作家の三木沢利泰先生ではありませんか?」
「……いかにも、私は三木沢だが」
私がそう答えると、相手は少しホッとしたような表情を浮かべて再び頭を下げた。
「やっぱりそうですか。以前著者近影で見た顔と同じだったのでもしかしてと思って……」
「そういう君は?」
私がそう言うと、彼は少し緊張したように答えた。
「青原昭介といいます。先生の大ファンで、御著書は全て拝読しています。お会いできて光栄です」
「ふむ……」
私は普段あまり表に顔を出す人間ではない上に、著作自体も年配向けのものが多いのでこうした若い読者と触れ合うのは実は珍しい体験だったりする。とはいえ、せっかくの縁でもあるし、何よりこの雨が止むまでの話し相手としてはいいかもしれないと私は思った。
「君もこの雨で足止めを受けた口かね?」
「えぇ。ちょっとした事情で、急遽実家のある村に帰る事になったんですが、その途中でこうして大雨に引っかかってしまってどうしたものかと思っていたところです。そう言う三木沢先生はなぜ長野に?」
「仕事でね。次作のための取材で長野に来ていたんだが、いざ東京に帰ろうとしたらこの大雨で困っていたところだ。願わくば、何か面白い伝承でもあればと思ったんだが、残念ながらこれといったものはなかった」
そう言ってから、私はふと青原君に尋ねた。
「そう言えば、さっきの話だと君はこの辺の村の出身という事らしいが、何か面白い話を伝え聞いたりはしていないかね? もしかしたら何かの作品の題材になるかもしれないし、差支えなければ教えてもらえると嬉しいのだが」
「いやぁ、僕の地元は山奥の古い田舎町ですけど、先生の気を引きそうな伝承はあまり知らないんです。すみません」
「いや、構わんよ。無理に教えてほしいというつもりでもない」
私はそう言って彼を慰めたが、それに対し、青原君は急に思い出したようにこう続けました。
「あっ、ただ、伝承というわけではありませんけど、僕が子供の時に体験したちょっと珍しい体験話ならあります。お聞きしたいというなら話しますが、どうでしょうか?」
「君の体験話かね。ふむ……」
私は少し考えたが、何分この大雨でしばらく電車は動きそうもない。せっかくなので聞いてみるのも一興かと私は思い、彼に対して頷いていた。
「面白そうだ。話してもらえないかね?」
「わかりました」
ホッとしたようにそう言うと、彼はその話を話し始めたのだった。
「あれはそう、今から十年前……僕が小学四年生の頃に起こった話でした……」




