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真夏のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 真夏のミステリーツアー参加者一同
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「辺境天使エルの奉仕録5」 羽野ゆず 【人間ドラマ×推理】

 そのとき、どこからかハープのような柔らかな音色が響いた。

 どんな極悪人の心もブリーチして真っ白に浄化するような、天上のかなで。


「え、うそ! ちょっと、早くない?」


 神様ってば急にやる気出しちゃって、とぼやきながらも、エルがすっくと立ち上がる。

 にやけた表情が真顔になると、美しさが際立つ。

 星影は組み立てたばかりの推理も忘れて、天使の一挙一動に魅入る。

 七色の羽を広げた先に、七色に輝く階段が出現した。虹の階段だ。


「残念なお知らせです。たった今、あなたの肉体は死をお迎えになりました。これにより魂は正式に現世から切り離されます。ちょっきん」


 ふざけた効果音とともに、ピースサインの人差し指と中指をエルが閉じた。

 とたんに、浮遊感に包まれる。自分の重さがほとんど感じられない。重力ってなんだっけ? 春風に吹かれる綿毛のように、どこまでも飛んでいけそうだ。

 さあ、とエルが階段を指す。


「階段を昇るのです。その先に扉があります。扉の向こうに、あなたのゆくべき世界があります。*#or:;/..@:@…」


 最期に語りかけてきた言語は、あきらかに日本語ではなかった。かといって、どこに国のものとも思えない。あえていうなら天上語。にもかかわらず、何故かすんなりと理解できた。

 

「そうか、俺は死んだのか」


 現世での肉体は亡くなり、星影純也ではない、別の存在になった。

 軽くめまいがして、全身の力が抜けていった。同時に、現世に戻れないことを安心している自分に気づく。きっとこれが正しいのだ。そんな気がした。


 星影は、ふいに周囲の粒子の波動を感じた。

 虹の階段からである。まるで、死者を引き寄せる磁力を発しているようだ。両手を広げ、その引力に身をまかせようとした――が、


「ちょ、ちょぉっと、待った!」


 いかせない、とばかりに魂の尾びれを引っ張られた。

 振り返ると、エルが唇の辺りをむずむずさせている。秘密を抱えた子どもがバラしたくてたまらないといったふうに。


「答え合わせしないの?」

「答え合わせって、なんの?」

「推理だよ。星影さんの死の真相。あんなに奮闘していたのに、このままあっさり逝っちゃっていいの!?」

「――だって、俺、死んだし。辺境の地(ここ)でいくら真相を推理しても無駄だって。エルも忠告してくれたじゃないか。ようやく目が醒めたよ」

「いや、しようよ! 答え合わせ」

「は?」

「……だってさ。星影さん、最後のほう、思考をこねくり回しすぎてて、心が読めなかったんだもん。真相にたどり着けたのかなって」


 膝をもじもじさせて、エルがうつむく。


 ようするに、自分が知りたいだけかよ……!


 呆れるを通り越して、笑いがこみあげてきた。なんという物好きな天使。

 あんまり長引くと師長に叱られるから手短ねっ、とエルが急かしてくる。まったく。


「わかった」


 星影はため息交じりに了承し、風変わりな天使のために、自らがたどり着いた真相を語り出す。



「あらかじめ断っておくが、今から話すのは俺が知り得た情報から組み立てた推理だ。だから、見ず知らずの第三者が犯人、という可能性は除かせてもらう。足りない部分は想像を含んでいるからその辺りも織り込み済みで頼む」


 了解、というふうにエルが敬礼する。

 人前で話すのは苦手だが、俗っぽいことを気にするのはやめよう。死んじゃったし。星影は肩の力を抜いて、リラックスする。


「まず、俺を襲った犯人だが――法被(はっぴ)姿の少年だ。

 浴衣の少女とケンカ別れしたものの、彼女が気がかりで少し離れたところから見守っていたんだな。だから、彼女をターゲットとして観察していた俺にも気づいていた。続けて見張っていると、怪しげな男が彼女に近づいていく。少年はそいつが少女を眺めていた男と同一人物(、、、、)と気づいたんだ。俺の変装を見破った。なぜ見破れたか?」


 星影は背中に手をやる。ちくりと刺さった痛みを思い出す。


「赤ペントイレの塗装が剥がれた破片。背中に刺さったものを払ったとき、破片がズボンにも付着したんだな。

 ブラック(、、、、)ジーンズに、サーモンピンク(、、、、、、、)の破片はさぞ目立っただろう。少年はそれを記憶していたんだ。変装のときズボンを替えなかったのが敗因だった。

 少女をじっと見ていたチビ男と、彼女に親しげに近づく男が同一人物と悟って、驚き不審に思ったことだろう。彼なりに、尋常ではない事態だ、と察する。

 誰か大人に相談しようか迷っているうちに、男が少女を車に招いている。このまま連れ去られてしまうのでは、とパニックになった彼は、少女を守るため、俺の背後に忍び寄り後頭部を思いっきり殴打した」


 でも、と星影は言葉を継ぐ。


「俺の身体を拘束し移動させたのは、彼の仕業とは思えない。

 大人(、、)――それも少年をかばう(、、、)立場の人物。さらに加えると、あの場ですみやかに対処できた人物だ

 少年と少女に視点を戻す。そもそも、あの少年はなぜ法被なんかを着ていたのか? 公園全体が祭りムードでさして違和感がなかったが、あの法被は〈太鼓教室〉の子どもたちが着ていたものと一緒だった。

 彼は太鼓教室の生徒だったんだ。たぶん少女も、()生徒。浴衣でめかし込んだ彼女に、『鉢巻きと法被のほうが似合う』と言ったのは、照れ隠しでもあり、教室を辞めた彼女への寂しさの現れだったのかもしれない」


 少女が、『早く行きなよ!』と怒鳴っていたのは、和太鼓ショーを控えた少年にリハーサルに戻るよう促していたのだろう。


「彼らが共通して頼れる存在といえば、自然と限られてくる。――太鼓教室の講師、神田川だ。

 リハーサルに来ない少年を探しにきた神田川は、頭から血を流して昏倒した俺を見て、もう助からないと判断した。さいわい、やぐらの周りに人が集中していて、こちらへの注意は逸れている。神田川は、混乱している少女と少年を落ち着かせ、俺を人目につかない触れない場所に隠した。盆踊りが終わった後に、山にでも埋めにいくつもりだったのかな」


 神田川の判断は正しかった。俺は結局死んだのだから。大事な生徒を守るため、迅速に残酷な判断を下したのだ。


「まもなく和太鼓ショーが始まる余裕がない状況で、神田川は俺をどこに隠したか。

 レンタカーのトランクの中? それも在り得るが、真相はたぶんこっちだ――。神田川は、まだ鋲打ちが終わっていない太鼓の皮をいったん開き、その中に俺を入れたんだ。

 太鼓の中身は空洞だ。大きなものだと直径二メートルを超える。もっとも俺は153センチ45キロの低身痩躯(そうく)だから、そこまで巨大なものじゃなくても良かっただろうが」


 その可能性に思い当たったとき、さすがに戦慄が走った。

 昏倒した男が星影だと気づいた神田川は仰天したに違いない。再会したとき、彼は太鼓を運んでいた。ショーで使う太鼓の数が足りず、義父の指示で店舗の倉庫から未完成のものをいくつか持参してきていたのだ。


「俺を隠しておいた太鼓は、ショーで使わない予定のものだった。軽く鋲打ちをし直し、台車に積んでおいた。――だが、何かの手違いで『俺入りの太鼓』が本番で使われてしまう。

 俺が聞いた爆音は、爆発音なんかじゃなくて、太鼓が(、、、)叩かれる音(、、、、)だったんだ。太鼓は、叩くと音が中で共鳴して大きな音が出る仕組みになっている。聴覚が破壊されるわけだ」


 一気にしゃべり終えると、エルは、大きな瞳をぱちくりして、まばらな拍手をした。


「ん~。細かい箇所で間違いはあるけど、おおむね正解。

 限られた情報から、よくそこまで推理したね。まったく人間ってやつは、どんな状況でも真実を知りたがる。不思議な生き物だよね。まあそこが面白いんだけど――。

 ちなみに、神田川がなぜレンタカーを隠し場所に選ばなかったかというと、あなたが一人、という確信が得られなかったから。〈同乗者〉の存在を疑ったんだね。

 罪悪感がなかったわけじゃない。申し訳ないと心のなかで詫びながら、あなたを太鼓の胴に隠した。でも、その場から離れて少年たちを宥めているうちに“想定外の出来事”が起こった。

 師匠である義父の思い付きで、ショーが始まる寸前に、もうひとつ追加で太鼓をセッティングすることにした。先週から教室に通い始めたばかりの子がいてね。ショーに出るのは早い、と今回は見学するつもりだったんだけど、格好だけでも参加させてやろうと義父が気を回したんだ。

 義父は高齢だから、力仕事は義理の息子に任せている。なのに、肝心の『トシ』が見当たらないから仕方がなく、町内会ボランティアの若者二人に太鼓を運んでくるよう頼んだ。

 若者二人は、トラックの傍で台車に乗っていた太鼓を見つけて指示通り運んでいった。台座に置くため、持ち上げたとき、『やけに重いな』と訝ったものの、そのままやり過ごしてしまった。

 新米生徒さんは張り切って太鼓を叩いたよ。鋲打ちが甘かったから、指導に回ってきた義父が叩いた際、皮が緩んでしまい、異変に気付いた。あとはもう大変。太鼓の中から星影さんの遺体が発見され、大騒動。本来ならあり得ない不運が幾重にも重なって、あなたは死に至ったんだ」


 エルは息継ぎもせず一気にしゃべり切った。


「現状だけど。神田川が自首して、自分がすべてやったことだ、と主張している」

「神田川が……少年をかばって?」


 星影は絶句する。昔から世渡り上手で、人付き合いもそつなくこなし、要領も良くて。神田川に、そこまでの男気があるとは思わなかった。

 

「でも、少年が出頭するのも時間の問題だね。家族にはすでに真相を打ち明けていて、父と母が出頭を思いとどまっているところ」

「……ああ。純真そうな子だったもんな」

「警察は星影さんのことも調べている。変装を匂わせるグッズや麻袋を持参していたこと、自宅から歩いていける距離なのに、わざわざレンタカーを借りたこと。少女の証言などを吟味し、あなたが何らかを企てていたと疑ってる」

「やっぱり。日本の警察は優秀だ」

「あとね、少女が太鼓教室を辞めたのは、練習中に少年がふざけて太鼓のばち(、、)を振り回してケガをさせたせいなんだ。彼女の母親が、そんな乱暴な子がいる教室には行かせられないとすぐに辞めさせた。本当は辞めたくなかったのにね。にもかかわらず少年は、盆踊りの日、素直に少女に謝るどころか、浴衣より法被のほうが似合う、なんてさ。困ったもんだよね」

「好きな子には素直になれないんだよな」

「自己嫌悪にかられた少年は、不審な男が彼女に近づくのを見て、自分が守らねばならない、と使命感にかられた。そして、持っていたばちで星影さんの後頭部を力の限り殴った。ばちの先にあったささくれ(、、、、)で皮膚が傷つき出血した。そのせいで見た目が凄惨になったのも不運だったね。神田川はあなたがすでに虫の息、と思い込んでしまった」


 間髪いれずにエルはさらに衝撃的な告白をする。


「そして、金元」

「あっ、そうだ! どうして金元はあそこにいたんだ?」

「あなたの町で開催される〈ツーリングフェスタ〉に参加するためだよ。バイク乗りが集うイベントね。あなたとの電話を早めに切り上げたのもそのためだった」

「ツーリンツフェスタって……もしかして、広報のイベント情報に載っていたやつか?」

「金元は、もともとバイクが好きなわけじゃない。ある目的のため、大型二輪の免許を取得し、バイクのイベントに積極的に参加しているんだ」

「目的……?」

「二年前、鮎川さんをひき逃げした犯人を捜すため」

「えっ」


 頭をガツンと殴られたような気がした。金元が、鮎川をひき逃げした犯人を追っているって? 


「金元は職場の先輩の鮎川さんに、ひそかに想いを抱いていた。いつまでも犯人が見つからない状況にしびれを切らし、自力で犯人を見つけるつもりでいるんだ。今のところ、めぼしい手掛かりは得られてないけどね」

「そんな……途方もない犯人捜しを金元がしているなんて」


 砂のなかからダイヤモンドを探すようなものだ。

 合理主義者とばかり思っていたのに……そして、彼も鮎川に想いを抱いていたとは。


「売れない作家のあなたを担当したのも、鮎川さんに頼まれたからこそ。ミステリーは彼の得意分野ではなかったが、ヒット作を生み出そうと、あなたに疎まれるのも厭わずアドバイスした。でも、結局それが売り上げに繋がらず、安易な指摘をしてしまった、と悔いている。心から、あなたに申し訳ない、と感じている。ゆえに最近は口数を減らし、あなたの作品にただ真摯(しんし)に向かい合おうとしている」

「嘘だろ……金元が、そんなふうに思っていたなんて」

「見た目や口調から誤解されやすいかもしれないけど、彼はとても努力家で誠実で、そして情熱家。現世であなたの三冊目の本を出せなかったことを悲しんでいる」

「…………」


 驚きの連続で頭の芯が痺れてくる。

 俺は金元の何を観ていたんだろう。いや、世界の何を観ていたのだろう。卑屈な思い込みで勝手に殻に閉じこもり、物語の世界に逃げていた。

 自分の不甲斐なさに涙がこぼれそうになる。俺は……俺は……


「エル。紙とペンを貸してくれないか。なんでもいいから」

「なにする気? こんなんしかないけど」


 渋りながらも、ドレスの懐から羽のついた万年筆とルーズリーフの束を取り出す。上等だ。

 星影は正座して、雲の絨毯にルーズリーフを置き、ペンを走らせた。走らせ続けた。もう迷うことはなかった。


 三冊目の構想。はじまりから、途中、結末まで。

 死に物狂いで書き続けた。

 いったいどれくらいの時間が経過しているのか、そもそも辺境の地の時間が現世と同じなのかもわからない。目の前にいるエルの存在さえも忘れて、ひたすらに書き続けた。


 作家としての熱量が、今この瞬間、最大限に発散されている。開花、なんて表現は生易しくてふさわしくない。芸術は爆発だ、とはよく言ったものだ。

 マグマのように燃え滾って、いずれ燃え尽きて、白くなる。


「でき……た……」


 完、の文字を記したときには、ペンを持つ手が震えていた。

 疲労感と酩酊感。一冊目の最終稿を書き上げたときの、あの充実感がよみがえってくる。


「あれっ? 終わった?」


 エルはずっと居眠りをしていたらしい。

 ほわぁ、と可愛らしい欠伸をする。星影は何の躊躇もなく土下座した。


「最期の頼みだ。この原稿を、金元に届けてほしい。どうかお願いします」

「無理。死人の原稿なんて現世に届けられるわけないでしょ」

「そこをなんとか!」

「う~ん。まあ、いちおうやってみる?」


 また師長に大目玉くらうよ、とエルが弱ったように頬を掻いて、


「ところで、さっき教えてあげた事件の諸々だけど。天国か地獄、どちらかに着いた時点で記憶を消させてもらうよ」

「そちらの都合の良いようにしてくれ」

「まあ、『三冊目の本』が売れたかどうかくらいは、後に報告してあげてもいいけど?」

「……いや、いい」

「気にならないの?」

「いいんだ」


 星影はゆるりとかぶりをふった。


 粒子の流れを肌に感じた。引き寄せられるように、虹の階段を上がっていく。

 上がっても上がっても終わらない。長い階段だった。気持ちを奮い立たせて上がり続けていくと、その先に扉が見えてきた。十九世紀のベーカー街に迷い込んだかのような、アンティーク風の扉である。


 もし天国に行けたら、鮎川に会えるだろうか。

 彼女とは、大好きなミステリについて、もっともっと語り合いたかった。伝えたい大切なこともあった。


 振り向くと、エルが天使の羽で浮遊しながら、慈悲深い笑みをたたえている。目が合うと、ひらひらと手を振って、辺境の地へと戻っていく。ありがとう。物好きでお人好しの天使。


 ドアの隙間からは、まばゆい光が射し込んでいる。

 星影にはそれが、天国の後光かそれとも地獄のマグマの炎かはわからない。


 だって、書いた。生きた。

 俺は俺を使い切った。ただそれだけの事実があればいい。



 よし、いくか。



 星影はさっぱりとした気分で、残りの階段を上がっていった。





【fin.】


『お読みいただきありがとうございました。こちらは、とある有名シリーズ作品を意識して創作いたしました。また、出版業界などの描写については全くのフィクションであることを申し添えておきます。』


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