「拡声器に」 若松ユウ 【ヒューマンドラマ】
これは、まだ誰にも話したことのない、私の中の小さなひめごとである。
*
記憶の中の彼は、いつも拡声器を持っていた。
色は、人目を惹く鮮やかな赤で、形は、大小の円錐台をくっつけたようなシンプルなものだった。
海から程近い駅前の商店街で、彼は額にタオルを巻き、店名とポップな蛸のイラストがプリントされたティーシャツとエプロンをしていた。
踏切の近くという立地条件もあり、ときおり駅に入線する電車の走行音や警報音に掻き消されまいと、負けずに大声を張り上げていた。
*
その光景は、真夏になっても変わらなかった。
かき氷やアイスに鞍替えすることも無く、うだるような暑さの中で熱々のたこ焼きを作っては、拡声器片手に客寄せをしていた。
その姿を、ひたむきでカッコイイと思いながら遠巻きに眺めていたのだが、あるときから、ふっつり姿を消してしまった。
お店のシャッターは上がることなく、また、お店の外で彼と会うことも無かった。
*
それから一ヶ月ほどしたころ。お姉さんというには少々トウが立っている物見高い婦人が、聞きもしないのに一つの噂をひけらかしてくれた。
夏祭りの帰り道、彼は前夜の雨で増水した川で溺れている浴衣姿の少年を助けようとして、一緒に流されてしまったそうだ。
少年は一命を取り留めたのだが、彼は息を吹き返すことなく、帰らぬ人になってしまったのだ。
その話を聞いた途端、私の心の中で、まるで虹色のシャボン玉が弾けるように、淡い気持ちの泡沫がパチンと消えてしまった。
*
これは、まだ私が人形遊びをするような年頃の、あどけない失恋話である。
(了)




