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真夏のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 真夏のミステリーツアー参加者一同
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「Take the "S" Train 2」 孫遼 【恋愛×鉄道ミステリ】




 窓際の座席に腰を落ち着けた千早は、カバンから数冊の文庫を取り出した。


 彼女のもう一つの趣味は読書で、特に電車の移動中は必ずといっていいほどに本を読み始める。


『せっかく電車に乗るのに、どうして本を読むの?』


 不思議に思った僕がそう尋ねると、彼女はしばらく考えこむような仕草をした後、黙って僕に一冊の本を手渡した。


 松本清張の『点と線』。


 それが彼女なりの僕の問いに対する答えだと知ったのは、その推理小説を終わりまで読み終えた時のことだ。


 鉄道のダイヤを利用した、鮮やかなアリバイ・トリック。


 きっと千早は現実と空想の世界で、同時に旅をしている。それが何より彼女にとって心安らぐ時間の過ごし方なのだろう。


 僕はそんな彼女の邪魔をしないように、電車に揺られながら読書をする千早の隣に静かに座っていることにした。


 それは僕にとって幸せな時間ではあったけれど、適度な距離感を保ったままの僕と彼女という点同士はいつまでたっても結ばれる気配がなかった。


 鉄道によって結び付けられた二人の縁は未だに地面に敷かれたレールのように平行線のままだ。


 だから今回は僕の方から、思いきって千早を誘った。


 消えてしまった八月三十一日の謎を解くために電車に乗るのだと言えば、鉄道ミステリ好きの彼女は必ず食いつくだろうと信じて。


 潔く認めよう。本当は真相なんてどうでもいい。


 こんなたわいのないミステリで、ほんの少しの間だけでも君の気が惹けるのならばそれでいい。


 君はこれが僕なりのデートの誘いだと言うことに気づいているだろうか。


 推理小説を好んで読み、勘と嗅覚の研ぎ澄まされた探偵のような君ならば、僕の単純な下心などすぐに見抜いてしまうだろう。


 僕は目の前の取っつきやすい謎で、本音を覆い隠しているつもりになっている――我ながら粗末な隠蔽工作だと思った。


「何か思い出しましたか?」


「いいや」


 しばらく彼女の様子に気を取られていた僕は、慌てて首を横に振ると、窓の外に視線を戻した。


 きっと十五年のうちに街並みも大きく変わってしまったのだろう、どんなに目を凝らしても、その景色は僕になんの示唆も与えてはくれなかった。


 浦和、赤羽。


 遠くに聞こえるアナウンスをぼんやりと聞いて外を見るふりをしながら、彼女の細い指がページをめくるのを見つめていた。


 眼鏡の向こうの彼女の眼球は少しだけ上下に動きながらその字を追っていく。それだけでも、彼女が活字を読むペースはかなり早いことがわかる。


 池袋を過ぎ、彼女が本から目を離した。


「ところでどこか途中で降りるんですか、それとも終点の小田原まで行くんですか」


「終点まで行こうと思う。一応僕なりに推理してみたんだけど、あの日も小田原に行った可能性が高いと思ってるんだ」


 千早は数回瞬きをして、首を傾げる。


「そうなんですか?」


「うん……あの時切符に印字されてた料金が三桁の数字だったのを覚えてるんだけど、それを見て電車の切符ってとても高いんだなと思った記憶があるんだ」


 僕はそう言いながら指を合わせた。そうしながら、脳に散らばってしまった情報を少しでも集めようとした。


 千早は何も言わず、僕の言葉を静かに聞いていた。


「一年生の時、僕のお小遣いは五百円だった。五百円以下なら僕にも手が届くと思っただろうから、切符の料金は五百円以上千円未満。子供料金でその金額ということは、大人料金の切符は千円以上二千円未満ということになる」


 千早の目が眼鏡の奥で光った。彼女の頭の中にある鉄道知識ならば、ここまでのヒントでだいたいのあたりがついたのだろう。


「大宮から二千円圏内。もし東海道線沿いに西に向かったのなら、少なくとも横浜より先ですね。西ではない方角に向かった可能性は?」


「ないとは言い切れない。でも、小田原に絞った決め手はもう一つあるんだ。毎年この時期に湘南新宿ラインには乗る理由がある、小田原には母さんの実家があるからね」


 僕はゆっくりと周囲を見渡してから、目を閉じた。


 現実の風景と記憶の中の風景を重ね合わせようと試みても、焦点の合わないレンズを通したようにぼやけて一致しない。


「だけど乗った電車の記憶がどうも合わない。あの日の記憶だけは、いつも乗ってる湘南新宿ラインの横に長い座席でも、お見合い型の座席でもなくて、進行方向を向いた広めの座席だった。だからあれはグリーン車の記憶じゃないかと思ったんだけど……」


 僕の頭は混乱しはじめ、確信と不安が交互に襲ってくる。ひょっとして何か思い違いをしているのだろうか。


「そういえば、車内販売がない」


「車内販売?」


 彼女はまじまじと僕の顔を見ると首を振った。


「湘南新宿ラインには車内販売は……ありません」


「グリーン車にもないの?」


 彼女は僕の目をじっと見つめた。眼鏡の奥の彼女の瞳は、近眼のレンズ越しにも大きめだと解る。


「グリーン車にもありません。どうしてそう思ったんですか?」


 僕は手をおでこにあてると頭を振った。


「食べたんだ……あの時、"アイス" を」


 まるで毛糸玉を転がしたように、その言葉をきっかけに一片のシーンがするすると僕の記憶からほころび出た。


「父さんがね、買ってくれたんだ。カップからすくって食べるアイスを。確か車内販売だったと思う」


「だとしたら、何か別の特急に乗ったのかも。少なくとも湘南新宿ラインじゃないですね」


 彼女は文庫に指を栞がわりに挟んで閉じた。


「ねぇ、もしかしてそれ新幹線の記憶じゃないですか?」


「新幹線?」


 僕は素っ頓狂な声をあげた。


「大宮から小田原に行くなら、わざわざ東京を通るよりも湘南新宿ラインの特別快速の方が早いんじゃない?」


 千早は微笑むと、僕の知識を訂正した。


「いいえ、そうとも限りません。乗り継ぎの手間を考えても新幹線の方が早いかと。小田原に止まる新幹線で、車内販売があるのは『ひかり』か『のぞみ』。だから、きっと東京駅からどちらかに乗って小田原で降りたんだと思いますよ」


「『ひかり』か『のぞみ』? もっとありえない」


 僕は全力で否定した。


「『こだま』ならともかく、『ひかり』や『のぞみ』は小田原には止まらないよ。新横浜を過ぎたら、次は名古屋が停車駅で……」


 彼女は鉄の本領発揮と言わんばかりに、ニヤリと笑って喋りだした。


「いいえ。実は『ひかり』は時間帯によって止まる駅がまちまちなんですよ。小田原に止まる『ひかり』もあったはず」


 そういうと彼女は携帯を取り出して、なにやら調べ物を始めると、その画面を僕の目の前に突きつけた。


「あった。十時五十五分発。大宮から東京までは新幹線『かがやき』で移動して、東京で新幹線『ひかり』に乗り換えると、この湘南新宿ラインより七分早く着きます。所要時間一時間十二分、それが最短ルートです」


 僕は舌を巻いた。さすが鉄道ミステリ好きなだけのことはある。


 普通列車で一時間半以上かかるところを新幹線で三十分近く短縮できるのなら、ちょっとしたアリバイ作りにはなりそうだ。


「そうか、新幹線。考えもしなかった」


 僕は立ち上がった。偶然にもそれは、列車が新宿に到着すると同じタイミングだった。


「大宮に戻ろう。新幹線にわざわざ乗った理由は全く思い出せないけど、乗ればまた何か思い出すかもしれない」


 千早は微笑みながら頷くと、席を立って僕の後ろに続いた。

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