「ある夏の罪 ――ツーリングで出会った奇妙な少年―― 12. 別れ」 夢学無岳 【ホラー×サスペンス】
別れ
A君は笑っていました。顔は血だらけです。
わたしは尻を地面につけたまま、後ずさりして逃げようとしましたが、足首をつかんだ手を振りほどけません。わたしは、必死に彼の指をわたしの足から剥がそうとしましたが、彼の力は凄まじく、まったく歯がたちませんでした。
彼は、まるで岩登りをするように、わたしの足を少しずつ上へと登って来ました。
「よせ……、やめろ……」
わたしは恐怖で、そう言うのが、やっとでした。彼はわたしの腰まで来ると、わたしの片手をガッチリとつかみ、そして、赤い何か取り出しました。ライトの光がキラリと反射しました。
それは、わたしが貸したナイフでした。A君は、そのナイフを、わたしに、ゆっくり近付けてきます。
「た、助けて……」
わたしは戻って来たことを後悔しました。なんであのまま逃げなかったのか。ウキウキと馬鹿みたいに正義感を振りかざし、彼のもとに戻るなんて、飛んで火にいる夏の虫より救いようがありません。
彼はニヤリと笑うと、わたしの腕をグッと引っぱりました。
わたしは死を感じました。
彼は心中しようとしていたのだ。父親を殺し、一緒に死んでくれる友達を探していたのだ。わたしは、そう思いました。
わたしは、必死に抵抗しようとしました。何度も彼を殴りつけ、逃げようと考えました。でも、思うように体が動きません。肉体の疲労のためか、恐怖のためか、暴力をふるいたくない気持ちのためか、あるいはそれら全てのためか分かりません。
わたしは、ナイフで腕の動脈を切りひらかれることを覚悟し、顔を背け、グッと目を閉じました。
でも、痛みを感じることはありませんでした。
その代わりに、ポンと手のひらに何かが置かれた感触がありました。恐る恐る、目を開けて見ると、わたしの手のひらにはナイフが置かれていました。刃は折りたたんであります。
「洗っておきました……」
A君は、そう言うと、意識を失いました。わたしの身体から、まるで風船がしぼむように、力が抜けていきました。
わたしたちは救急車で病院に運ばれました。彼は骨折はしませんでしたが、全身打撲や擦過傷などで、しばらく入院する事になりました。また、刑事が二人来て、わたしは色々と話を聞かれました。そこで、彼について知ることができました。
彼が父親を刺して逃亡したことは本当でした。彼や、彼の母親や姉は、父親からひどい暴行を受けていたそうです。ただし、父親は命を取りとめ、別の病院に入院しているそうです。
彼は殺人犯ではなかったのです。わたしは安心しました。
わたしは、ベッドに横になっているA君に「すまない……」と言いました。彼は包帯だらけでした。わたしの勝手な思い込みで、彼に大怪我させてしまったのです。彼は「いいんです。友達じゃないですか」と言いました。
わたしは、自分が道路に枝や石をまいた、と言うことができませんでした。そのことを警察にも言えませんでした。わたしは、ひと通りの手続きを終えると、眠っているA君の枕もとに、「また会おう」とメモ紙を残し、病院を後にしました。
青い空、白い雲、絶好のサイクリング日和でした。わたしは、潮風を感じながら、ひたすら自転車を走らせました。でも、楽しい気持ちはありませんでした。解放感もありません。
わたしは、この時も彼から、そして罪悪感から逃げようとしていたのです。速く走れば走るほど、罪が風に洗い落されるような気がしました。




