「ある夏の罪 ――ツーリングで出会った奇妙な少年―― 11. 胸の痛み」 夢学無岳 【ホラー×サスペンス】
胸の痛み
わたしが藁人形の後ろに飛び込んだ刹那、道路を照らす光が、わたしのいた場所を通過し、次の瞬間、シャアアと音をたてて、A君の自転車が通り過ぎました。
わたしは息止めて、彼の自転車を見守りました。彼は、いつ止まって、振り返るか分かりません。もし、ここに隠れていると気づかれたら、逃げ道は上り坂です。今の状態の膝では、すぐに追いつかれる、わたしは、そう思いました。
でも、その心配はありませんでした。彼は町へと続く道に突っ込んで行きました。バイクのようなスピードです。
そして、わたしのバラまいた石に前輪をとられると、重力が消失したように、宙に浮かびました。空中で回転すると、彼と自転車は道路にガシャンと叩きつけられ、それから、ゆるやかなカーブがある所まで、ガリガリと音をたてながら滑って行き、路肩のところで止まりました。
自転車のライトは、藪の前に横たわるA君を、静かに照らしています。彼はピクリとも動きませんでした。
わたしは安心しました。これで、もう大丈夫だ。逃げ切れる、わたしはそう思いました。
でも、彼のいる下り坂は、通りたくありません。わたしは坂をのぼり、別の町へ行こうと思いました。わたしはA君に見られないように、自転車のライトを消して、静かに坂をのぼりました。
わたしはテントを回収すると、ひたすら前に進みました。何度か坂を登ったり、下ったりしました。森は暗く、日の出には、まだ時間があります。黒い樹々の奥から、何かの鳴き声が聞こえるたびに、わたしはビクッとしました。
そんな時です。わたしは、ふと、A君のことが気になりました。
もし大怪我していたら、どうしよう。
一刻も早い手当が必要だったら、このまま放置すれば、彼は死んでしまいます。わたしが次の町にたどり着いて、警察に連絡するまで、あと何時間かかるか分かりません。
深夜の山奥には、わたし以外、他に誰もいません。助けられるのは、わたしだけです。
もしかしたら、消毒してバンソウコウを貼っておくだけでいいような、軽い怪我かもしれません。もしかしたら、彼は起き上がって、自分で町の診療所に行っているかもしれません。もしかしたら、携帯電話で救急車を呼んでいるかもしれません。
そう思って、彼を忘れようとしました。わたしは、あの場所に戻りたくありませんでした。彼が恐ろしかったのです。このまま進みたい、戻りたくない、そう思いました。
でも、一歩一歩、進むたびに、わたしは痛みを感じました。膝にではありません。胸にです。それは、チクチク、じわじわとした、不快な痛みでした。
誰も見ていなかったじゃないか、このまま逃げたっていいじゃないか、そう思い込もうとしましたが、胸のつかえは取れませんでした。
しばらく悶々として歩きましたが、ついに、わたしは決心しました。彼を助けに行こう。
わたしは自転車の向きを百八十度変えると、坂道を風のように駆けおりました。膝の痛みは感じませんでした。胸の痛みは消えました。森が明るくなったように思いました。星空が広がったように感じられました。
彼とキャンプした場所まで、あっという間でした。彼のテントが残っています。そして藁人形の場所まで戻ってきました。人形の顔は、なんとなく笑っているように見えました。
わたしは転ばないように慎重に走りました。道路には小石や枝が落ちています。
路肩に、A君と彼の自転車が倒れています。彼は、まるで車にはねられた鹿のようにぐったりしていました。頭や手足にベットリとついた赤い血は、彼の自転車のライトに照らされてテカテカと光っていました。
わたしは、自転車を放り出すようにして降りると、彼に駆け寄りました。
「大丈夫か! しっかりしろ!」
彼は動きません。でも死んではいないようでした。わたしは、はっと思い、彼の携帯電話を探しました。ズボンのポケットにはありません。自転車のバッグの中だろうかと思い、彼の自転車に走り寄ろうとした時です。
わたしは前のめりに転倒して、胸を強く打ちつけました。
「うぐぁ!」
一瞬、わたしの呼吸が完全に止まりました。でも、痛みを感じたり、何が起ったのか考えたりする暇はありませんでした。不気味に笑うA君が、わたしの足首をつかんでいたのです。
「お兄さん……、捕まえた……」




