「冥王星の少年と」 若松ユウ 【SFミステリー】
起
天帝の娘、織姫は機織り上手な働き者であった。
天帝は、年頃の娘のために、牛飼いの働き者である牽牛を世話した。
そして天帝は二人の結婚を認めたが、夫婦生活の楽しさのあまり、二人は仕事を怠けるようになった。
怒った天帝は二人を天の川の両岸に隔てて引き離したが、娘が悲しむ姿を見て、七月七日の夜だけは会うことを許した。
カササギが渡す橋で天の川を越え、織姫は牽牛に会いに行く。
*
というのが、日本ではよく知られている、七夕の伝承である。
織姫を表すこと座のベガ、牽牛を表すわし座のアルタイル、カササギを表すはくちょう座のデネブ。この三つを結んでできる三角形は、夏の大三角と呼ばれている。
私は今、夏休み自由研究で、都会では見られなくなった満天の星空を観察している。
旧暦の七夕の深夜は、午前一時頃になると天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる。
「あっ」
流れ星が見えるとは思わなかった。猛暑日、熱帯夜のヒートアイランドから逃れ、わざわざ電車で田舎へ来た甲斐があったというものだ。
将来、気象予報士の試験に合格するよう願っておこう。お天気お姉さんになれますように。
承
朝のうち。東の空に、入道雲が見えた。いかにも、盛夏の訪れを感じさせる。
私は、涼しいうちに宿題を終わらせることにした。といっても、漢字の書き取りや計算ドリルのような単純作業系の宿題は、ここに来る前に終わらせたので、昨夜の観察日記と選挙啓発のポスターくらいしかない。
「読書感想文は、……帰省してからにしよう」
あいにく文系の頭を持ち合わせていないので、課題図書を読むのが億劫でならない。原稿用紙十枚を個人の感想だけで埋めるなど、正気の沙汰とは思えない。
*
昼下がり。アイスを食べながら、時おり風鈴が鳴る縁側でひと休みした。井戸では、ラムネと西瓜を冷やしている。
扇風機で宇宙人ごっこしてると、今夜は七夕祭りだといって、回覧板を持った近所のおばさんが登場した。このおばさんは、夜中に耳元を飛ぶ蚊のように神出鬼没である。蚊帳か蚊取り線香が欲しい。
だいたい、中学生になる私をつかまえて、クーちゃんと呼ばないで欲しい。そもそも、私の名前はシズクなのに、どうして三文字目をチョイスするのか、理解に苦しむ。
転
夕まぐれ。軒端を叩きつけるような激しい夕立があり、雨上がりには虹が出た。
浴衣に着替えて神社へ向かう途中、不思議そうに空を見つめる変わった少年に鉢合わせした。フランス人形のような顔立ちに黄色がかった茶髪をしていたので、どう見ても外国人だと思う。
関わり合いにならないほうが良いかと思いつつ、なんとなく放置しておけなかったので声を掛けると、あとをついて来られた。少年の名前はカロンというそうだ。
一緒に境内を回っていると、たこ焼きを火星人の肉だと怖がったり、かき氷に頭痛を起こしたり、射的で人形を一発で撃ち落としたりと、反応や言動が面白かった。
*
宵のうち。夜の帳が下りはじめ、空がにわかに暗くなり、盆踊りや花火が始まったころのこと。
結局、家までついてきたカロン少年と一緒に、庭で昨夜の観察の続きをした。
流れ星を見たという話をすると、少年に、自分が冥王星の衛星であると正体を明かされた。
幼子の妄想だと思って軽く受け流していると、少年は小さなきょうだいたちが待ってると言い残し、光の玉になったかと思うやいなや、夜空の向こうへと消えて行った。
あとには、食べ終わった西瓜の皮が残されていた。ラムネも飲んで行けばよかったのに。
結
あれから、冥王星について調べてみた。
ケレス、エリスと同じく太陽系準惑星で、二〇〇六年八月までは太陽系第九惑星だった。
自転周期は六日と九時間で、公転周期は二百四十八年。地球より、はるかに遠い。
見かけの等級は十四等級以下であり、肉眼で観察することは不可能である。よって、観測には望遠鏡が必要となるが、非常に小さな惑星のため、恒星と同じように点状に見えるだけである。精巧な望遠鏡で見ると、ごくわずかに黄色がかった明るい茶色をしていることが判る。
発見者は、アメリカの天文学者トンボ―。一九三〇年のことである。
質量は、地球の五百分の一。月の二割以下である。冥王星は、太陽系内のどの惑星よりも小さく、圧倒的に質量が少ない。冥王星より質量が大きい衛星が七つもある。ちなみに、その七つは、ガニメデ、タイタン、カリスト、イオ、月、エウロパ、トリトンである。
そんな小さな冥王星も、衛星持ちである。その五つの名は、ニクス、ヒドラ、ケルベロス、ステュクス……
*
「そして、カロン」
これは、偶然の一致だろうか? 何もかも謎のまま帰還したため、真相は迷宮入りしてしまった。いまでは、それを確かめる方法が無い。夏の夜の夢だったかもしれない。
私には文才が無いので、この時に感じた複雑な気持ちを、齟齬なく書き表すことが出来ない。
観察日記には書けない、ひと夏の不思議な体験である。