「ある夏の罪 ――ツーリングで出会った奇妙な少年―― 7. 野犬」 夢学無岳 【ホラー×サスペンス】
野犬
そんな時、草むらから一匹の犬が顔を出しました。わたしは野犬を恐れるよりも先に、これで助かったと思いました。A君の話が終わる、そう思いました。
わたしはA君の注意を犬に向けようと、「あ、犬だ」と言いました。すかさず、A君は、すくっと立ち上がって、テントから食パンを1枚持って来ました。そして犬に近寄り、ちぎったパンを犬にチラつかせました。
「おいで、おいで」
犬は不審そうにA君を見ていました。
「野犬だし、危なくないか?」と、わたしは言いました。
でも、彼は気にせず、パンを一切れ投げました。犬は即座に草むらから飛び出し、それに喰いつきました。薄汚れた白い犬でした。彼は、今度はパンを手にのせて、直接あげようとしました。
犬は、A君にじりじりと近づき、すばやくパンをくわえると、さっと身をひるがえして、離れたところでそれを食べました。
「ほら大丈夫」と彼は楽しそうに言いました。
彼はパンをつまみ、犬にお座りをさせようとしました。犬は、お座りをしようとはせず、よだれを垂らしながら、A君の持つパンを求めて、ひたすらジャンプしました。
「お座り! お座り!」
犬は、なかなか言うことを聞きません。爪を立ててA君の服を引っかきました。だんだんA君の言い方がきつくなってきました。
「ふざけんな! お前、言うことを聞けよ! 餌、食っただろ!」
A君は怒鳴って、犬の頭をバシッと叩きました。すると、犬は「ガルル」と、うなり声をあげて彼の手に噛みつこうとしました。彼は「うわっ!」と、手を引っ込めました。すかさず、犬は、大きく口を開けて、彼に飛びかかりました。
A君は、あわてて犬を蹴り飛ばすと、足元にあった木の枝を拾い、それをズブリと、犬の咽喉に突き刺しました。
「キャン」と言う、甲高い鳴き声が聞こえました。彼は両手でつかんだ枝に、ぐっと体重をかけ、枝を犬の咽喉深くに押し込みました。犬は、もがき暴れながら「ゴフゴフ」と呻き声をあげ、そのうちに動かなくなりました。
「けがはないか?」わたしは尋ねました。
「大丈夫です……」A君は肩で息をしながら言いました。
「なにも、殺さなくたって……」
無意識でした。わたしはポロリとそう言いました。すると、彼は、わたしを、キッと睨みつけて言いました。
「あいつは人間を襲ったんです」
「でも……」と、わたしが言おうとすると、彼は怒鳴りました。
「人間を襲った動物は殺されて当然です! 熊だって猪だってそうじゃないですか! 犬だって、毎年十万匹が殺処分されているんです! 俺が殺さなくたって、すぐに保健所に捕まって殺されます。その前に子供が襲われて殺されでもしたら、どうするんですか!」
わたしは彼の言い分に驚きました。筋は通っていると思いました。
「俺が間違っていますか」彼は目をギラつかせていました。
「そんなことない……」
わたしが、そう言うと、彼は少し落ちついたように見えました。
「ナイフ貸してください」
「え? どうするんだ?」
わたしは尋ねました。犬はもう死んでいるように見えます。彼は静かに言いました。
「韓国には犬料理の専門店が、たくさんあるって聞きます。犬の死は無駄にしません。これから皮を剥いで、肉を切り分けます……」
わたしはあきれました。もうこれ以上、彼に付き合っていられないと思いました。わたしは彼にナイフを投げつけるようにして渡すと、「寝る」と言って、自分のテントに入りました。
ひとり身体を丸めて横になり、目をつむると、犬の死にざまが脳裏に浮かんできました。わたしは犬が解体されるのを想像しないように、別のことを考えようとしました。
そうしているうちに、わたしは小学生だった頃を思い出しました。
田舎の祖父母の家に行った時です。田んぼに囲まれた家でした。祖父が、鳥鍋をご馳走しようと、飼っていた鶏を一羽つぶしてくれました。祖父は、だだっ広い庭で、鶏の足をしばって逆さに釣るすと、その首を切り落としました。
「ミミズを食って育った鶏だ。旨いぞー」祖父は楽しそうに言いました。
鶏の血は、シャーと水道水のように流れ落ちた後、ぽたぽたと水時計のように止まることなく落ち続けました。わたしは、その光景がショックで、その日はよく寝られませんでした。鳥鍋の味はよく覚えていません。
テントの布の向こうからは彼の「くそっ、くそっ」とつぶやく声が聞こえてきました。わたしはその声を子守歌に、夢の世界に落ちて行きました。