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おいでよ優々堂  作者: 速水ニキ
2/2

第2話 雨宮華麗 後編

「日向さん」

 日向さんは私がこのお店に初めて来た時に最初に話した人だ。

「んあ?」

 頬杖をついて居眠りしそうになっていた日向さんは私に気付いて目を擦る。

 まったく、この人には接客のノウハウを叩き込んであげてやりたいわね。

「暇そうですね、やることがないんですか?」

 会話を始めるついでに毒づいてみる。

「そんなことねーぞ。お菓子の補充や新しい漫画と雑誌のチェック、アーケードゲームの整備に店の掃除、家主のご機嫌取り等、やることはいろいろだ」

 こんなところで呆けている暇はないじゃない。

 ツッコミを入れたい気持ちを抑えて私は探りを入れてみることにする。

「掃除、となるとあの落書きも消したりするんですか?」

 ソファの隣の壁を指差すと、日向さんは頭を掻きながらゆっくりと頷く。

「落書きが増えてきたら消したりしてるな。でもあの落書きはちっとばかし特別だな」

「特別?」

 首を傾げる私に日向さんは再度頷く。

「あの落書きも立派なコミュニケーションの場だ。悩みを書く奴もいれば誰かしらと話したいがために書く奴もいる。なるべくギリギリまでは消さないようにしてるのさ」

 落書きを見る日向さんの目は、いつものぶっきらぼうな雰囲気を出さず、どこか優しかった。

「日向さんもあの落書きに書きこんだりするんですか?」

 すると日向さんは少しだけ笑う。

「たまーにな。くだらないこと書いたりしてるな」

 気さくな人だな。

「それよりお嬢様、さっきから質問攻めだな」

 私は内心ドキリとする。怪しまれているのかしら?

「別に、このお店に興味があるからですよ」

 これは本心だ。このお店は、違和感に満ち溢れているけれど、嫌悪するようなものではない。

 親近感と共にだんだん居心地の良さも伝わってきている。

「少し変わったな、お嬢様」

「……え?」

 予想外の言葉に私は間の抜けた返事をする。

「変わったって言ったんだ。初めてここに来た時より表情が柔らかくなったな。話しやすくなった」


 日向さんの言葉を私は頭の中で反芻する。

 そうか。私は今まで私なりに自然に振舞っていたつもりだけれど、強張っているのが顔に出ていたのかもしれない。

 そう思えばこれまで私が人との距離を縮めることができなかったのもよく分かる。

 でも、このお店に来てからというものの、私はどれだけの人と自ら話しかけただろう。

 私の近寄りがたい態度を変えない限り人は来ないと思っていたけれど……

 自分の性格を変える必要なんてない。ありのままの自分で良い。

 大事なのは自分からアプローチをかけること。

ただ歩み寄る一歩が必要なだけだったんだ。

 それを教えてくれたのがこのお店。

「……そうかもしれません」

 否定する理由なんてない。

 このお店は私に助けを求めることを教えてくれた、それにあの書き込みの人は私に人と歩み寄ることを気付かせてくれた。

 私は今、ますます書き込みの人に会ってちゃんとお礼を言いたくなってきている。

「私、このお店が気に入りました。その……好きですね」

「ほー、そりゃ嬉しいな。どういうとこが気に入ったんだ?」

 日向さんは両肘をついて前のめりになって聞いてくる。どこか楽しそうね。

「やっぱりここにくるお客の皆さんが優しくしてくれるからですね。店員のボブさんも優しいですし」

 そう言って私はボブさんを見る。

 厨房で頑張って料理をしているボブさんは生き生きしていて、たまにお客さん達の様子を見ては気を使って話しかけたりしている。

「静君や笑美ちゃんも、私より歳下なのに私以上に気を使ってくれたりして、一緒にいて楽しいです」

 アーケードゲームで静君と笑美ちゃんが遊んでいる声が聞こえてくる。

 どうやらゲームで負けそうになっている笑美ちゃんに静君が助けに入っているようだ。

「言子さんには一番お世話になりましたね。初めはお互い距離を置いてしまいましたけど、何だかんだで一番仲が良くなったと思います」

 言子さんは、結局ゲームで負けてしまって、笑いながらも泣きそうになっている笑美ちゃんと困っている静君の元へ行って二人のフォローに入った。

 言子さんの巧みなおしゃべりで二人ともすぐに楽しそうにゲームを再開する。

 相変わらず皆良い人だ。

 私は日向さんに向き直り、だらしない態度で店内を見る彼に呆れる。

「まぁ、一人、店員の態度としてはよろしくない人がいますけれど」

「ほー、それは大変だな」

 私の言葉に日向さんは全く反省の色も見せずに笑う。

 まったく、この人は。

 まぁ、日向さんのこんな性格もこのお店の魅力なんでしょうね。

「それに、私はこのお店の人達が出す雰囲気が好きなんです」

 そう言うと日向さんはさっきまでの嬉しそうな態度から一変して眉を潜める。

「……ふーん。その雰囲気ってのはなんだ? お嬢様」

「たまに、なんですけど。ここの人達と話す時、違和感というか親近感というか。何だかよくわからない雰囲気が伝わってくるんです。どちらかというと私に近いというか」

 自分で言っていて何だか変な話しをしている気分になってきた。

 こんな話をして日向さんに変な子だと思われているでしょうね、と思っていたら当の本人はまた楽しそうな顔になっていた。

「そこまで気づいてるんだったら上々だな」

 ニッと屈託のない笑顔で日向さんはそう言う。

「言っとくけどなお嬢様。お嬢様からもその妙な雰囲気は出てるぞ。それも店の連中の中でも強いほうだ」

 え? どういうこと?

 そう聞こうとすると日向さんはあくびをかいて立ちあがり、レジから離れる。

「え? 日向さん、どこにいくんですか?」

 面倒臭そうに日向さんは私に振り向く。

「あぁ、そろそろ猫に飯やらないといけないからな。これから軽く作ってやるんだ」

 立ち去ろうとする日向さんの袖を私は慌てて掴む。

「待ってください、日向さん」

 引きとめた甲斐があって、日向さんは立ち止まってくれた。

「どした? お嬢様」

 このお店の雰囲気の正体を日向さんは知っているのだろうけれど、私はそれ以上に言いたいことがあった。

「あの落書きに最近悩みごとを書いている人がいますよね。その……学校でうまく友達が作れないっていう書き込み」

 もし日向さんではなかったら私は相当恥をかくだろう。

 でも、もう日向さん以外にこのお店であの書き込みをした人物は思い当たらない。

 日向さんは私の話しを黙って聞いてくれるようなので私は話しを続ける。

「私が書いた悩みに返事をくれた人がいて、その人のおかげで私は大切なことを学べました。高い授業料を家庭教師に払っても学べなかったことです。私の悩みを聞いていてくれたのは日向さんでしょう?」

 確信に満ちた私はそう日向さんに告げる。

 すると日向さんはゆっくりと私に向き直って口を開く。

「悪いけど、それは俺じゃないぞお嬢様」

 ……ハズレた?

「そんな。でも、他の人と話した限りもう日向さん以外には……」

 言い終える前に日向さんは首を横に振る。

「甘いなお嬢様。今いる全員がこのお店にくる全てのお客だと思ったか?」

 答えは至って簡単で、それを見落としていた私は相当浮足立っていたのでしょう。

 呆けてしまった私に日向さんは私の肩に優しく手を置く。

「たまには雨が降ってない時に店に来いよ。雨女」

 そう言い残して日向さんは立ち去る。


 晴れの日の放課後、私は優々堂へと向かっていた。

 晴れの日に優々堂への道を歩くのは初めてだ。どうしてか少しだけ緊張する。

 でも、それ以上に緊張するのは、今日で私にアドバイスをくれた人に会えるかもしれないという事実。

 あの時、日向さんは言った。

『悪いけれど、それは俺じゃないぞ』

 それはつまり、日向さんは知っているということよね。

 あの人は誰が私にアドバイスをくれたのか知っている。

 そして晴れの日に来いと言っていた。それはアドバイスをくれている人は晴れの日にしかお店に来ないということかしら?

 それとも、私が雨の日にしかお店に来ないと見越しての行動。

 何だかんだ考えているうちに私はお店の前に辿り着く。

 晴れの日に来るお店は案外新鮮ね。

 やっぱり曇っている時より明るいからお店がどれくらい年期が入ってるのかよくわかる。

 まぁ、相変わらずお店の前に来るとあの妙な違和感と親近感を覚えるのだけれど。

 お店の前ではいつもの三毛猫が雄猫と遊んでいる。

 というか、また別の雄猫と遊んでいるわね。

 ……深く考えないでおこう。

 三毛猫を残して私はお店に入る。

 いつものようにインターホンのような入店音が私を出迎える……と思いきや鳴らない。

 どうしたのだろう? と思うとレジの前に座っていた日向さんが人差し指を立てていた。

「よ、らっしゃい」

何やらボタンを押しながら小さな声を出す日向さん。

「何してるんですか?」

 私も釣られて声が小さくなる。どうやら日向さんが押しているボタンが入店音のスイッチらしい。それで音を消したのでしょうね。

「あっちにいるのがお前の探し人」

 日向さんはソファとあの落書きが書かれた壁を指差す。

 私がそこに視線を移すと、ソファに座ってまさに壁に何かを書きこんでいる女の子がいた。

 言子さんでも、笑美ちゃんでもない。知らない人だ。

 彼女の近くに行くよう促す日向さんに従って、私は足音を立てないようその子に近づく。

 その女の子は壁に書き込みをしているのに集中しているのか、近づいてくる私にまったく気づいていない。

 その女の子は赤色の目立つ制服を着ていた。

 そう、私と同じ学校の制服だ。

 同じ学校の生徒だったとは予想外で、驚きつつも私は十分に近づいてゆっくりと話しかける。

「あ、あの。すいません」

「きゃっ!」

 私が話しかけると同時、その子は盛大に大きな声を発して振り向く。

「……ほ、蛍さん?」

 そこにいたのは、私の学校で一番真面目で生徒会長を務め、私のクラスメイトでもある蛍さんだった。

「え? え? ひ、日向さん?」

 どういうこと? とでも言いたいかのように蛍さんはレジにいるはずの日向さんを探す。

 でも日向さんはいつの間に席を立ったのか、もうそこにはいなかった。

「ひ、秘密にするって言ったのに……」

 少しだけ泣きそうな顔をして蛍さんは言う。

「蛍さんだったの? 私の悩み……学校でうまく友達が作れないっていう書き込みに返事をくれたのは」

 ゆっくり聞いてみると、蛍さんは怯えた目を私に向け、たっぷり時間をかけて恐る恐る頷く。

「はい……その、私がやりました」

 まるで犯人が犯行を自白したかのような口ぶりだ。

「悪いことをしたわけではないのだから、そんなに暗い顔をしないで。私だと知ってて返事を書いていてくれたのかしら?」

 怯えさせないようになるべくゆっくり言うと、蛍さんは素直に再度頷く。

 

 私と蛍さんはひとまず落ち着くためにソファに座って、ボブさんに注文したジュースを飲む。

 そして、蛍さんが事の現しをかいつまんで教えてくれた。

 どうやら蛍さんは私が学校で浮いているのを気にしていてくれたらしい。

 けれど、自分から話しかけるにしても私が人を寄せ付けないような雰囲気を出していると感じたらしく、話しかけることができなかった。

 そんな時、蛍さんがよく通うこのお店、優々堂に私が来たことを日向さんから聞いた。

 それはちょうど私がこのお店に初めて来た次の日に日向さんから聞いたらしく、日向さんから私の見た目を聞いて雨宮華麗であると判断したらしい。

 そして、優々堂に私がまた来ると聞いた蛍さんは私がこのお店に溶け込めるよう日向さんに頼みこんだ。

 そこまで説明すると蛍さんは少し恥らって私に言う。

「その、私あまりお話は上手じゃなくて。日向さんならうまく雨宮さんを楽しませられるだろうなと思って」

 なるほど、蛍さんがいつも話す時オドオドしているのは挙動不審というよりも極端な恥ずかしがり屋だからなのだろう。

 納得した私には気付かず蛍さんは説明を続ける。

 

 私がこのお店に来て二回目、つまりは初めてアーケードゲームで遊んで帰ったその次の日、蛍さんはお店に訪れた。

 日向さんは私が壁に書き込みをしていたのに気付いていたらしく、壁の落書きでのコミュニケーションなら私と話せるのでは? と蛍さんに言ったらしい。

 なるほど、だから日向さんは蛍さんが私に書き込みの返事を書いていた事を知っていたのか。

 

 全てを話し終えた蛍さんは勢いよく私に頭を下げる。

「そそそ、その! お節介だなとは思ったんですれど! なんていうか、役に立てたらなぁなんて思って!」

 肩を震わせて誤る蛍さんはまるでうさぎのようだ。

「そんな、誤る必要なんて何一つないわ。むしろ私は助かったんだから、顔を上げて」

 そっと顔をあげる蛍さんに今度は私が軽く頭を下げる。

「あなたのおかげで私は少しだけ人との距離を縮めることができたわ。心から感謝している。ありがとう」

 言えた。恩人に感謝の言葉を贈ることができて私は心の底から嬉しさが込み上げてきた。

 顔を上げると蛍さんがまた驚いた顔をしていた。

「どうしたの?」

 特に驚くようなことはしてないと思うけれど。

「い、いえ。雨宮さんの笑顔なんて初めて見たから少し驚いて」

 蛍さんに言われて私も気付く。

 あぁ、このお店でなら何度か笑みを零したけれど、学校ではなかったわね。

 こんなにたくさん微笑むことができるようになったのも蛍さんのおかげだ。

 蛍さんは少し間を置いて私に笑顔を返す。


「ねぇ蛍さん。どうして私の事、構ってくれたの?」

 私は最後の疑問を蛍さんに投げかける。

 こんなことを聞くのもどうだろうと思ったけれど、何となく知りたい。

「それは、私は生徒会長ですから」

 胸を張って蛍さんは答える。

 本当にこの娘は真面目で優しいのね。

 再度蛍さんに笑むと私は蛍さんの後ろにある壁の落書きがちらりと見えた。

 そこには私の最後の書き込みが書かれている。

 私はその書き込みに書かれていることを蛍さんに言う。

「蛍さん、こんなこと改めて言うのも可笑しいけれど。『私の友達になってくれますか?』」

 私の意図を察した蛍さんは頷く。

 私の目には私の最後の書き込みへの返事が見えている。

「『もちろん!』」


 数日後の晴れの日の放課後、私は蛍と一緒に優々堂へと向かっていた。

「そういえば蛍」

「は、はいぃ!」

 名前を呼ぶと蛍は緊張した面持ちで答える。

 友達同士なんだしお互い呼び捨てにしようと決めて間もないからか、蛍は未だ慣れていないようだ。

 私は構わず話しを続けるけれど。

「優々堂に行く度に私はいつも妙な雰囲気を感じるのだけれど、あなたも感じたりする?」

 もしかしたらおかしな質問だと思われるかもしれないけれど、日向さんにも同じ事を言った時それを否定はしなかった。

 だから蛍も同じ事を感じ取っているかもしれない。

 すると蛍は何度か頷く。

「そっか、そこまで気づいてるならもう大体察しはついてるんじゃないかな?」

 たどたどしくも、でも嬉しそうに蛍は言う。

「あのお店全員、私と同じ、何かしらの現象を起こしてしまう」

 私の予想を言うと蛍は頷いた。

「そう、あのお店には変わった人達が集まるの」

 やはり。今回は私の予想が的中した。

 蛍は丁寧に説明を入れてくれる。

「皆妖怪や幽霊、都市伝説にちなんだあだ名が付けられちゃってるけれど、まあ大体合ってるのが皮肉かな」

 少し残念そうに蛍は言う。

「笑美ちゃんは『ケラケラ女』。常に笑い続けてしまうの、面白くもないことでもね」

 確かに笑美ちゃんはいつも笑っている。

 でも、目はいつも笑っていなかった。

 好きで笑っていたわけではなかったのね。

「静君は『透明人間』。存在感が極端に薄い……なんて言ったら失礼だけれど、集中して探してあげないと、見つけてあげられないの」

 なるほど、ぶつかるまで近づかないと気付かなかったのはそのせいか。

 いつもゲームをして遊ぶのは、一番音が大きくて、そこに静君がいるとアピールできるためなのかしら。

 今考えてみると、静君を見つけた時や話しかけた時、どこか嬉しそうだったような気がする。

「言子さんの場合だと『口裂け女』だね」

 それを聞いて私は足を止める。

「『口裂け女』って、口が大きく裂けたあの妖怪?」

 言子さんはどう見ても口が裂けているわけではない。大きい方ではあると思うけれど。

 あまりに突拍子のない名前に私は疑問を持つ。

「うん、言子さんの場合は少し話しが飛躍しているけれど。言子さんって考えていることが強制的に口からでちゃうそうなの」

 あのマシンガントークはこれが原因なのね。

 それだけかと思ったら蛍の説明はまだ終わりじゃなかった。

「それと、言子さんと話す時、私達の本音も出ちゃうんだ。それで言子さんはどんどん色んな人の秘密を知ってしまって、言子さんが万が一その秘密を頭の中で考えてしまうと口から出ちゃうの」

 口が裂けるほどしゃべりにしゃべり、口の軽さは天下一品。だから口裂け女。

 知りたくもない相手の秘密を知って、その秘密を隠してあげたくても考えた瞬間に口に出してしまう。

 初めて会った時、すぐに私との距離を置いたのも、そしてその後私から話しかけた時私のそっけない本音を聞いても親身に接してくれたのは、気を使っての行動だったんだ。


「そう。そういうことだったのね」

 あのお店にいる皆の行動や原理を知って、私は納得した。

 皆私と同じだったんだ。

 望んでもいないことが周りで勝手に起きて、それでも皆思い思いに生きている。

 強いなぁ。

 そう思っていると蛍は「まだあるよ」と付け足してくる。

「まだ?」

 どういうこと? と首を傾げると蛍は嬉しそうに笑う。

「ボブさんも同じだよ」

 そうか、忘れていた。

 ボブさんからも同じ違和感と親近感が放たれていた。

 蛍は嬉しそうに説明する。

「ボブさんは『福男』て言って、常にラッキーが続くの」

 なるほど、それで毎回卵の黄身が二つだったり、良く当たりクジを引いて何かしらの景品を持ち帰ってきていたのか。

 他の人達の怪異現象と比べてボブさんは随分良い方向に事が起きているので羨ましい。

 そこで私はふと思う。

 そういえば蛍も何かしらの怪異現象の持ち主なのではないかしら?

 あのお店に変わった人達が集まるというのなら、蛍もそうなのではないだろうか?

 それを聞こうとすると蛍は未だボブさんの話しをしていた。

「ボブさんはね、『福男』だからクジは絶対一番良い物が当たるのにそれを使ったりしないの。それでは本当に欲しがっている人に景品が回らないって言ってさ。すごく謙虚だし優しいよね」

 ……ボブさんをすごく褒めているわね。ふむ、これは……

「蛍、ボブさんの事好きなのね」

「え、え、ええぇぇっ!?」

 私の反応に蛍は派手に驚き、顔を真っ赤にする。

「別に恥ずかしがる事ないじゃない。素敵だと思うわ」

 そう言ってやっても蛍は両手をほっぺに当てて赤面していた。

 こんなにも恥ずかしがる蛍は何だか可愛かった。

 あまりにずっとそうさせるのも可哀そうなので私は話題を変えてあげようとする。

「えっと……もしかして蛍も皆と同じように何かしらの現象が起こったり……」

 と、そこまで言いかけた瞬間、私は何もないところで派手にすっ転んだ。

 両手を万歳して上半身から地面に落ち、少し後ろを歩いていた蛍が驚く。

「わぁ! 華麗! 大丈夫?」

 慌てて私に近寄る蛍。

「う、うん。盛大に転んだけど、痛くないわ。というより……見た?」

 そう蛍に聞いて私はスカートを手で押さえつける。

 今私の羞恥心は最高に達している。

 人前であんなに派手に転ぶ所を見られて恥ずかしくないことなんてない。

 それに、転んだ時スカートも思いっきりめくれ上がったと思う。

「みみ、見てない見てない! スカートの影で黒色はそんなに目立たなかったよ!」

 見えてるじゃない!

 大きな声で叫びそうになるけれど、そこをグッとこらえる。

 お、落ち着くのよ華麗。気品を持ちなさい。

 咳払いを一つして、私はほこりを軽く落として立つ。

「えーっと……それで? 蛍も何かしらの現象が起こったりするのかしら?」

 ここは何事もなかったかのようにスルーしよう。

「その……今のが私の周りで起こる現象だよ」

 ……話しが戻ってきてしまった。

 蛍は苦笑いを浮かべている。

「『はぢっかき』ていう妖怪の名前で呼ばれてたりしたんだけどね、知ってるかな?」

 私は首を振る。

「恥ずかしがり屋の妖怪で、いつも隠れているんだけど。人に見つかったりしたら相手に恥ずかしい思いをさせちゃうの」

 なるほど。恐らく蛍の場合だと、恥ずかしさが最高に達すると恥ずかしがらせた相手に恥ずかしい思いをさせてしまうということね。

 これで蛍が日向さんに私がお店に溶け込むように手配したり、壁の落書きで私にアドバイスをくれたりと、回りくどい事をしていた理由がわかった。

 この娘は単に恥ずかしかったらからではなく、そのせいで私に恥ずかしい思いをさせたくなかったからなのでしょうね。

「そうまでして助けてくれるなんて、お人よしというかなんというか」

 そうつぶやく私に蛍は「なに?」と聞いてきたけれど、私は「何でもない」と答えて再び優々堂へと足を運ばせる。


 優々堂へ到着すると、蛍は私より一歩前に出る。

「そ、それじゃ先に入ってるね」

 そう言い残して蛍は少し速足でお店の中に入っていく。

 どうやら蛍はボブさんから料理を習っているらしく、今日作ってきたお菓子を食べてもらうのだとか。

「頑張ってるわね」

 蛍を見送って私は独り言をつぶやくと、お店の入口の前で遊んでいるあの雌の三毛猫が目に入る。

 ……また別の雄猫と遊んでいるわね。

「『甞女』、またの名を『猫娘』……ね」

 ここに来る途中蛍が教えてくれた。

 この三毛猫もまた、雄だったら猫だけでなく、あらゆる雄の動物から好かれるという異常現象が起こるらしいけれど……楽しんでない?

 あまり深く考えないでおきたい。

 入口に三毛猫を残して、私は蛍より少し遅れてお店に入っていく。


「へーい、らっしゃい」

 インターホンのような入店音と共に、日向さんの気のない態度に出迎えられる。

「相変わらずですね」

 レジの前に座る日向さんは携帯ゲーム機で遊んでいる。

 本当にこの人は店員としては落第点を上げる以外他にない。

 そう思いつつも私は日向さんの前に立って軽く頭を下げる。

「日向さん、この度はお世話になりました」

 感謝の意を示す私に日向さんは少し笑う。

「なんだ? おだてられてもお嬢様が喜ぶような物が出てくるわけじゃねーぞ?」

 真面目に聞いてくれそうにもないので私は首を振る。

「蛍から聞きました」

 それだけ言うと日向さんは全て察したのか「そうかい」と短く答えてまた携帯ゲーム機に目を落とす。

 蛍が私に教えたことは、日向さんが私のために色々手を回していてくれたということだけ。

 それを聞いて私は大体の事を掴めた。

 日向さんは私が他のお客といつでも話せるように手を尽くしていた。

 蛍に私が壁の落書きに書いた事を報告したのもそうだけど、それだけじゃない。

 言子さんが探している雑誌を買ったり、笑美ちゃんが好きそうな絵本を揃えたり、静君がアーケードゲームに飽きないようゲームの難易度を上げたりゲームの種類を変えていた。

 この考えに辿り着いたのは、今までの皆との会話を思い返せばすぐにわかる。

 そうして皆が頻繁に来るようにして、私とよく鉢合わせるようにしていたのだ。

 きっと日向さんはお店のためだ、とでも言うのだろうけれど、こんなに少ないお客の数に対してあれだけの本の購入は割に合ってない。

 それでも日向さんはとぼけるのでしょうね。

 だから私はこれ以上日向さんには感謝をせず、別の言葉を贈る。

「店長ならもう少し仕事に専念したら良いのではないですか?」

 すると日向さんはさぞ面倒臭そうに顔を上げる。

 この事も蛍から聞いた。

 日向さんが店長だと聞いた時私は大層驚いた。

 よくこんな態度を取る人が店長を務められていたものだ。

 だけど、こういう珍しい性格だからこそ、日向さんに起こる怪異現象も相まって人をさらに惹きつけるのでしょうね。

 日向さんの怪異現象。

 それは『招き猫』だ。まぁ、日向さんは人間だからこの場合は『招き男』と言ったところか。

 都合良くお店に怪異現象を持ったお客が集まるはずがない。

 こんなにもピンポイントに変わった人が集まったのは日向さんのおかげだ。

 お店の近くまで行くと惹きつけられるあの違和感。

 あれはお店が放っていたのではなく、お店の中にいる日向さんが常に放っていたのだ。

「あの真面目っ子め。俺が壁の落書きをバラした腹いせにお嬢様に吹き込んだな」

 恨めしいとでも言うかのように日向さんはお店の奥にいる蛍を睨む。

「蛍を恨まないでください。私が聞きだしたんですから」

 いや、本当は日向さんの言う通り蛍がバラしたのだけれど……

 日向さんは知ってか知らずか、ため息を一つ吐く。

「ところで日向さん、聞きたいことがあるんですけれど」

 まだ何かあるの? という態度で日向さんは私を見る。

「どうしてこのお店の店長になろうと思ったんですか?」

 私がこのお店に残す最後の疑問だ。


 明らかに儲からない仕事だと思う。

 このお店の年期の入った作りや、古ぼけた看板を見て判断するに、日向さんはこのお店を建てた初代の店長ではなく、二代目か三代目でしょう。

 きっと儲からないことを承知の上でこのお店を引き継いだに違いない。

 日向さんは何もない空間をしばらくぼうっと眺めて考えをまとめる。

「……そうだな。この店は昔っからこんな感じでちっぽけで、客なんてほとんど来なかった」

 昔から、ということは多分日向さんも昔はこのお店のお客だったんでしょう。

 携帯ゲームの電源を切って、日向さんは頬杖をつく。

「でも、今も昔もお客同士の会話、それと店員とお客同士の会話ってのは絶えなかった」

 昔を思い出しながら日向さんはつぶやく。

「俺の周りには変わった奴が良く集まってくる。全員妙な現象起こしたりしてさ、それに振り回されて中々人と溶け込めない連中ばかりだ」

 私としてはやはり他人事には聞こえない。

 気味が悪るがられて人に寄られなくなる気持ちは、痛いほどわかる。

 日向さんも同じ気持ちなのか苦笑いを浮かべて言葉を続ける。

「でも、皆悪い奴らじゃねー。ただ変に周りに気を使って他の奴らと仲良くなるチャンスを逃している。不器用なだけなんだ」

そう言う日向さんの目はどこか優しかった。

「だから、この店にそんな奴らを連れて来れば変わった者同士仲良くなれるんじゃねーかと思っただけだ。それで店長を引き継いだ」

 あぁ、この人もお人好しなんだな。

 きっと性分なのでしょうけれど、私や他のお客のような人達を日向さんはこれまで助け続けて来たのでしょう。

 私からしてみれば、面倒臭そうにしても助ける日向さんの方がよっぽど不器用だ。

「……個人的な理由があって続けているのもあるけどな」

 最後の一言は少し声を小さめにつぶやいた。どういうことかと聞こうとしたけれど、日向さんが座ったまま体を伸ばし、聞くタイミングを逃す。

「ま、この店儲からねーけどな!」

 気さくに笑いだす日向さん。まったく、危機感がないわね。

「それなら、儲かるように働いてください。私、常連になりますよ?」

 日向さんは「仕方ねーな」とぼやくと立ち上がり、私の前まで来る。

 やっと仕事をする気になったらしい。

「優々堂へようこそ。ソファまでエスコートさせて頂きますよ、お嬢様」

 お店の奥へと案内され、私もそれに従って歩く。

 

 ここは少し変わった店員とお客が集まる変わったお店。

 私はそんなお店が大好きだ。皆もおいでよ、優々堂。

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