第1話 雨宮華麗 前編
雨が降る中、私の教室にて帰りのホームルームが続く。
鬱陶しいくらいに降る雨を睨もうと、窓を見ると窓に反射した私の姿が私自身を睨み返してくる。
背中まで伸びた黒髪を一つに束ね、肩の前に束ねた髪を垂らしている。
今着ている学校の制服を何度見ても、赤を強調したデザインというのがどうも慣れない。
おっと、雨を睨んだせいで顔が少し強張っている。冷静になりなさい、私。
気を取り直して私はいつものように窓際の席から先生がホームルームを進行させていくのをぼうっと眺める。
私の席は教室の窓際の列からだいたい真ん中あたり。顔を少し横に向けるだけで教室の前部分全体を見渡すことができる。
先生のホームルームを真面目に聞いている生徒は少ない。隣の友達と雑談する生徒や携帯をいじる生徒、それと手紙らしき物を書いている生徒もいる。
そんな中、私は誰に話かけることもなくただ先生が口を動かす様を眺める。
この学校に最近転校してきた私だが、未だにクラスに溶け込めていない。
今に始まったことではないのだけれど、私がクラスから浮いている理由の一つは……
「あ、あの。雨宮さん」
物思いに耽っていると、私の前に座っていた女子生徒が私の名字を呼んで配られたプリントを渡してきた。
このクラスの生徒会長、蛍さんだ。
眼鏡をかけて髪型がおかっぱの彼女はいかにも真面目そうな外見なのだが、プリントを渡そうとしている彼女はどこかオドオドしている。
「あぁ、ごめんなさい。少しぼうっとしていたわ」
淡々と答えてプリントを受け取ると、蛍さんはビクビクとした態度で「だ、大丈夫」と答える。
蛍さんは元々気弱な性格で誰に対しても少し挙動不審だけれど、私に接する他の生徒達の態度は大体蛍さんと同じ対応だ。
現に後ろの男子生徒に残りのプリントを渡した時も蛍さんと同じように、おっかない物を見るかのような表情でプリントを受け取った。
私がクラスから浮いている理由、それは自分で言うのも癪だけれど、私が雨宮カンパニーという会社の社長の娘、雨宮華麗だから、ということだ。
一般的にはお嬢様と呼ばれるような存在だ。
私としては、そのお嬢様である事を鼻にかける気はまったくない。むしろ他の人と話す時はなるべく良心的な態度で接しているつもり。
それでも未だに誰も私に近寄ってこないのは、これもまた自分で言うのは嫌なのだが、自分自身の雰囲気だろうか。
幼い頃から雨宮カンパニーの名に恥じない態度と行為を取るようにと教育を受け続け、社会的マナー、言葉づかい、全てを叩き込まれてきた。
そんな家に生まれた私が最初に教わったのは、汝つねに気品を持て、という家訓だ。別にこの家訓に対しては嫌悪も好意もない。
だけれど家族には誇りを持っているし、幼い頃からずっと学んだ、一般でいう、上品な態度をこれから崩すつもりは全くない。
そのせいもあって、私の態度や口調はどうもこのクラスから浮いている。
ふう、とため息をついて、また窓の外を見る。雨季でもないのにここ三日は雨が降り続いている。
「最近雨多いよねぇ」
隣の席の女子が前に座っている友達に囁く。
「うんうん、ニュースでもこの街だけ異常に降水確率が高いって言ってた」
「こんなに雨降るようになったのってさ、ちょうど……」
そう言い終える前にその女子生徒は私をちらっと向いて会話を終わらせた。
その通り、皆が私から距離をとる理由の極めつけはこの雨、というより私の体質といったところか。
私は雨女であると断言できる。私の居る場所は週に一度は雨が降り、多くて三回は降る。
公休日は確実に降るようになるし、私の誕生日なんて土砂降りだ。
私が行く先々でこんなにも雨が降るのだから、誰だって気味悪がる。
まぁ、こんな体質と態度、育ちもあって、私は今、見事にクラスから浮いた存在になっている。
昔から続いていることだから、そこまで落ち込みはしないけれど。
そうこうしているうちに、帰りのホームルームが終わり、号令と共に生徒達は席を立つ。
すぐに教室を飛び出ていく人や、友達の席の前に向かう生徒達が放課後の雰囲気を作り出す。
帰りを待ちわびていたといわんばかりの生徒達の会話が私にも届いてくる。
「おい吉田! 部活一緒に行こうぜ」
「ねぇねぇクミちゃん、帰りに例のアイス屋寄って行かない?」
「次の休日どっか行こうよ! ねぇ、どこがいい?」
和気あいあいとするクラスメイト達の会話をずっと聞いていると、いつの間にかクラスに残ったのは私だけになっていた。
「きゃぴきゃぴした態度なんて、私には似合わないでしょうね」
というかそんなことをしたら自分自身に引いてしまうような気がする。
部活に入っていない私は早々に帰ることにした。
確かお父様が今日の晩御飯は家族で外食すると言っていたから少し早く帰る必要がある。
学校の裏口から出た私は傘を差して家路を歩く。裏口からの家路は狭い道が多く、車が通るには不便な作りでできている。
私が毎日裏口から帰るのは、この面倒な道が目当てだからだ。
学校の正門から帰ろうとすると、大抵迎えの車が来てしまう。断っても来るのでこうして無理やり裏口から帰ることで家のほうも諦めて、迎えをよこさなくなった。
裏口に迎えの人を送ってきたら撒いてやろうと思ったけど、そんな心配はなくてよかった。
安心して歩いていると、道の先に同じ学校の制服を着た女子生徒が数名、ゆっくりと歩いていた。
このままだとすぐに追いついてしまう。
「……」
しばらくの間その女子生徒達を見ていた私は、すぐそこにあった曲がり角を曲がる。
帰り道から外れたけど、少し遠回りをすれば帰ることができる。
「どうせ避けられるものね」
気落ちせずにここは新しい帰り道を楽しもう。
そう思いつつキビキビと歩き続けること数分、また道の先で何かが見えてきた。
今度は人ではなく、二階建ての木造の建物。三角屋根が特徴的だ。
私が歩いている道の周りは空き地や空き家で溢れ返っている中、この建物には入り口のすぐ隣に看板が立て掛けられていた。
『優々堂』
聞いたこともない。開けられた扉から中の様子を見ると、お菓子等が並べられているのが見える。駄菓子屋なのだろうか?
明らかにこのお店が位置している道には人通りは限りなく少ない。
営業できるのかという疑問はあるけれど、扉には、絶賛営業中! と元気な字で書かれている。
「必死なのでしょうね」
そう独り言を呟いて立ち去ろうとした私だけれど、そこでふと足が止まる。
なぜだろう、こういうお店にはあまり興味はないのだけれど、このお店は立ち寄ってみたいような気がしてきた。
早く家に帰る必要があるにも関わらず、このお店から目を離せない。
誰も来なさそうな立地条件で、どうやってお店を経営し続けるのかは確かに気になる。もしかしてこのお店には魅力的な何かがあるのかしら?
興味を示す理由を無理やり作った私はお店に入ってみることにする。
扉を通るとインターホンに似た音が自動的になる。確かに営業しているようだ。
誰か出てくるのかな? と入口でしばらく待っていたが誰も出てくる気配がない。
仕方なく店の奥へと向かうけれど、普段の私ならすぐ立ち去るはずなのに、どうしてだろう?
お店の中は思ったよりも広く、入ってすぐ右にはレジが置かれたカウンター、そしてその向かえには、さきほどお店の外から見えたお菓子がたくさん並べられている。
そこから少しだけお店の奥に進むと、壁際にテーブルが置かれていて、それを囲むかのように三人は座れそうなソファが三つ並べられている。
そしてお店の端っこには本棚がいくつか設置されていて、漫画が大量に収納されていた。
テーブルとソファが置かれている反対の壁際には、たしかアーケードゲームとかいうゲーム台が三台並んで置かれている。
ゲームには疎い私だけど、多分古いんだろうなということは、ゲーム台の端々にある錆を見たら分かる。
そうして両側の壁に設置された物を眺めてお店の奥を見ると、またカウンターが設置されているのが分かった。そこからさらに奥に部屋があるのは一目で見て分かる。
それを見て私が思い浮かんだのは学校の食堂。
このお店の奥の部屋はキッチンのようで、コンロの上にフライパンや鍋が置かれている。
おそらく注文すると奥の部屋で料理を作ってカウンターに出すのだろうけど……
「結局ここは一体なんなの?」
お店の全体を見た私の第一声はそれだ。
もしかして巷で聞く、漫画喫茶と言うお店なのだろうか? でも何となくこのお店の雰囲気からして少し違うような気がした。
店員らしき店員も出てきそうにないので、そろそろ立ち去ろうかと思った時、ゲーム台の隣にある扉が突然開いた。
「お、見ない顔だな」
扉から出てきたのはボサボサの茶髪にメガネを掛けた二十代くらいの男性だった。
私のこの男性の第一印象はというと、だらしない。
髭が所々生えていて、服も適当に繕ったらしく、緑色のTシャツの上から白衣のような上着を着て、ボロボロのジーンズを穿いている。
その男性は頭をポリポリ掻きながら、カランコロンと履いている下駄を鳴らして入口のレジの前に座って、あろうことかお客の私を放って新聞を読み始めた。
「……あの、失礼ですが、お客がお店に来店した場合、店員がお客の対応をするのが常識ではないですか?」
正直、放置されて動揺していた私だけど、冷静を取り戻して静かにツッコミを入れてみた。
すると店員は新聞から顔を上げて私の方を向いた。
「ん? あぁ、これは失礼。てっきり噂でこの店を聞きつけてきただろうから店のことを知っているのかと思っていた」
店員は新聞を置いて私の前まで来て軽く会釈する。
「いらっしゃい。『優々堂』へようこそ。この店は基本的に自由にしてて良い。以上だ」
それだけ言うと店員はまたレジに戻ろうとする。
「はい? どういう意味ですか?」
説明があまりにも短絡的過ぎる。全く意味がわからない私は店員に聞き返そうとすると、お店の入口から別の男性が入ってきた。
「日向、ソノ説明じゃお客サンに通じてナイデスヨ」
お店に入ってきたのはアロハシャツに短パンを着た男性だった。この人が日本人でないことはその人の黒い肌に独特ななまりのある日本語を聞けばわかる。
ドレッドヘアーのその外国の人は買い物袋と傘を持ち、店内へと入ってくる。
「おうボブ、帰ったか。俺の説明は十分に店について紹介できてると思うぞ」
気さくな雰囲気を出す日向と呼ばれた店員は、ボブという外国人に言う。
というかボブって教科書に出てきそうな名前ね。
「ノー。むしろ説明が足リテナイデス。お客さん困っテマス」
濡れた傘を日向さんに渡すと、ボブさんは私にお辞儀をした。
「イラッシャイマセお客さん。このお店デハお客さんに優々と時間を過ゴシテもらうために、ナルベクお客さんの自由を与えるのをモットーにシテイマス」
片言の日本語でさきほどの店員より随分と丁寧な説明をしてくるボブさんに私は感心してボブさんの説明を聞き続ける。
「漫画と雑誌は無料で何時間でもソコのソファで読めマス。アーケードゲームは有料デース。お菓子と料理の注文も料金を頂くコトニナリマス」
「入店料はあるのかしら?」
日本語での会話は完璧なのだろうと見越し、質問をした私にボブさんは笑顔で答える。
「アリマセン。ユックリとお店を楽シンデ頂けるとウレシイデス」
良い笑顔を振りまくボブさんの後ろで、日向さんは外から入ってきた三毛猫を撫でていた。
「店員も自由主義、だったりするんですか?」
ボブさんは仕事熱心である印象はあるのだけれど、日向さんからは仕事への関心が全く感じなかった。
「あぁ、日向はイツモこんなデスケド、ちゃんと仕事シマス。サボリそうに見えマスけどネ」
苦笑いを浮かべるボブさんだけど、当の本人は未だ三毛猫を撫でている。
「ご紹介遅れマシタ。ボクはボブ・ピアソン。コッチが來家日向デス」
どこまでも礼儀正しいボブさんは笑顔を絶やさず、店員として完璧な対応を私に向ける。
「雨宮華麗です」
相手が名乗るならば、こちらもお客だろうが名乗るのが礼儀。家の事の紹介までする必要はないし、するつもりもないので私の名前の紹介までで留まる。
「独特なお店ですね。今日は少し時間がありませんのでまた今度来ます」
來家さんの態度はともかく、このお店の雰囲気には何か私を惹きつけるものがあった。
「分かりマシタ。是非マタ来てクダサイ。今日は珍シク他のお客さんが来てナイですが、他のお客さんとのコミュニケーションもコノお店の魅力デス。またのご来店をお待ちシテおりマス」
『優々堂』に初めて訪れてから二日後、私はまた雨の中あのお店へと足を運んでいた。
私があのお店にまた行く一番の理由は、時間が潰せそうだからだ。
学校は特に楽しいわけでもなく、だからといって家に帰ったとしても勉強をすること以外やることがないからだ。
今回は望んでお店に向かっていたからか、この前よりも早くお店の前まで着いた。
「……っ!」
お店の前に着いた私を襲ったのは、二日前このお店に来た時にも感じた奇妙な感覚。何かが私をお店へと足を運ばせるような錯覚に陥る。
私がお店の中に足を踏み入れると同時、インターホンの様な入店音が鳴り、今回は初めからレジの前に座っていた來家さんが顔を上げる。
「お、らっしゃーい」
なんて適当な接客なんだ。挨拶した後來家さんは持っていた爪切りで爪の処理を始める。
まぁ、この人がまともな接客をするなんて期待していないから驚きはしないけど。
そうしてお店の奥へ入ろうとした私は、ふと足を止める。その様子に気づいた來家さんは爪を切る手を止めて再度顔を上げる。
「あぁ、今日はお客さん結構来てるからな。適当に話しかけるもよし、一人で過ごすのも良しだ」
來家さんなりの気の遣い方なのか、店内にお客が二人いることに気付いた私にそう言ってくれた。
店内には先客が二人、一人はソファで雑誌を読んでいる、私と同い年くらいの女性と、奥の本棚で立ち読みをしている小学校低学年の女の子が声を上げて笑っていた。
たった二人でお客さんが結構来ていると言えるとは、このお店の売上はどうなっているんだろう、と疑問に思って歩いていると、突然何かにぶつかった感触があった。
「……っと。え?」
私がぶつかったのは、近所の中学校の制服を着た男の子だった。
学ランを着たその男の子は、少しだけ長い黒い前髪で目をほとんど隠している、
アーケードゲームで遊んでいたらしく、私とぶつかった瞬間にゲームに負けてしまったのか、画面にゲームオーバーと表示されている。
その男の子は何も言わず、ただぶつかってきた私を見上げてくる。
「ご、ごめんなさい、気付かなかったわ」
謝る私に男の子は「べつに」と短く答えると視線をゲームへと戻す。
私は空いているソファに座り、少し考え込む。お店に入った際、私は店内を見渡したはずなのだけれど、アーケードゲームの前にあの男の子はいなかったような気がする。
もう一度アーケードゲームの前を見ると、さきほどの男の子は変わらずゲームで遊んでいた。
この違和感はお店の前に立った時の感覚と少しだけ似ているような……
「ん? おやおや新しい人だね」
考え事をしている私に気付いたのか、さきほどから雑誌を読んでいた女子生徒が私に話しかけてきた。
その女子生徒の制服から判断するに、私の高校の近くの学校の生徒であるとすぐにわかった。
女子生徒はおそらく校則違反であろう、染められた金髪の短い髪に、方耳に銀色のピアスをつけていた。
パッと見だと、俗に言う不良にも見えなくもないのだが、彼女からは暴力や悪事を働くような雰囲気は感じない。
どちらかというとおしゃれが好きそうな感じがする。
私の第一印象は当たっていたのか、物珍しそうに私を上から下まで見る。
「ほうほうほう、久しぶりの新しい人だねぇ。私は軽沢言子。新しくここに来たあなたはだぁーれ?」
楽しそうにそう言うと、丸めた雑誌をマイク変わりに私に向けてくる。
というかすごく早口だ。
「雨宮華麗です。雨宮カンパニーという会社の社長の娘で、近くの高校に通っているわ。家族は父と母、あと妹が今留学中よ」
……あれ? 私はなぜこんなにもベラベラと自分の事をしゃべっているの?
しかも、お店の前に立った時と、さっきの男の子とぶつかった時と同じ違和感が私を襲う。
私が雨宮カンパニーの事を自分から進んで言うはずがない。
「はー、こりゃびっくりしたね。社長さんの娘さんなんて私初めて見たよ。私の家は全然普通の家庭だからもはや別次元だねぇ」
ふむふむと声に出して頷き、彼女は自らを指差す。
「私の事は言子って呼んでね。あなたのことは何て呼んだらいい? 雨宮? それとも華麗?」
「華麗で構わないわ」
冷静を装っているけど私は内心、さきほどの違和感と私の言葉に動揺していた。
「じゃ華麗ちゃんね。しっかし華麗ちゃんしゃべり方堅ったいねぇ。最近の女子高生にしては放つ雰囲気が全然違う。やっぱりお嬢様育ちだと皆とは違ってくるのかな? 肩凝らない?」
かなりのおしゃべりだ。
「いつもこんな感じよ」
言子さんの言葉に私は平然としていたつもりだけれど、言子さんは肩をすくめる。
「あ、ごめんねぇ。私ったら思ったことすーぐ口に出しちゃうからさぁ。気にしてた?」
遠慮がちに聞いてくる言子さんに私は「大丈夫」とだけ答えるつもりが……
「大丈夫……と言っても気にしてるわ。言子さんもよくそんな事ずけずけと聞けますね」
そう言って私は慌てて口を手で塞ぐ。
一体何がどうなっているのか、またしてもあの違和感と共に私は必要以上のことを言子さんに答えていた。
「本当にごめんね。今度から気をつけるから」
笑いながらウィンクを一つすると、言子さんは他の雑誌を探すためかソファから立ち去る。
どうやら距離を取られたらしい。
今日の私は一体どうしたのだというのだろう。体の調子でも悪いのか、どうもさっきからおかしなことが起こっている。
思考を巡らせていると、さきほど言子さんが座っていたソファに誰かが座る音がして私はそこに顔を向ける。
そこには、私がこのお店に入った時、本棚の前で本を読んで笑っていた小学生の女の子がニコニコと笑顔を私に向けていた。
茶色の髪を二つに分けた見事なツインテールはその子に似合っていて、ピンクのワンピースが印象的だった。
「お姉ちゃんお姉ちゃん! お姉ちゃんって社長さんの子供なの? 言子ちゃんがさっき言ってた!」
無邪気な女の子はニコニコと私に問いかける。
「……うん、そうだね」
今回は勝手に発言したのではなく私の意志で社長の娘であると認めた。
それを聞くと女の子は何が面白いのか笑いだす。
「アハハ! 社長の子供だ! アハハ!」
無邪気、ではある。けれど、またしても言い知れぬ違和感を私は察知した。
この違和感にもそろそろ慣れてきた私はその女の子に笑顔を向ける。
「私は雨宮華麗。あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
握手を求めるとその子も満面の笑みで握手を返す。
「絶無笑美だよ! アハハ!」
またしても笑いだす笑美ちゃんにつられて私も軽く笑ってしまう。
もう、本当に何なのかしら。
「日向! 日向! こっち来て!」
すると笑美ちゃんが入口近くにいる來家さんを呼ぶ。來家さんは爪の処理を終えたのか、爪切りを置いてのそのそと笑美ちゃんの隣まで来るとソファに座る。
「ん? どした笑いっ子」
仮にもお客に対してあだ名で呼ぶとは流石というか、まぁ相手が小学生だからだろうか。
「えっとね、華麗ちゃんは社長さんの子供なんだって! アハハ!」
なぜわざわざ來家さんに報告するのかは分からないけれど、子供のすることは大抵謎なのだから別に怒ることではない。
「ほう、それはすごいな。もしかして雨宮ってあの雨宮カンパニーのか?」
來家さんはそこまで驚いている様子でもなく私に聞く。
「えぇ、そうです」
別に隠すことでもないのだけれど、こうして勝手に自分の事が他人に知られるのを見続けるのはなんだか恥ずかしい。
「ほう、それだったらこの店はお嬢様の満足のいくような物はないんじゃないか?」
からかっているのか、來家さんは意地の悪い表情を私に向け言い放つ。
この人はこのお店への忠義というものはないのだろうか。
「そんなことはありませんよ、面白そうな物は幾つかありますし」
平然と受け答えをする私だけれど、私のような家系に生まれた他の娘達ならすでに怒っているところだろう。
私が平然としていられるのは家訓の賜物でしょう。汝つねに気品を持て。私の中の常識だ。
だが來家さんは未だにニヤニヤとしている。
「そうか? 漫画は……まぁお嬢様だって読むだろうけど、さすがにゲームはしないだろう?」
さきほどからお嬢様お嬢様と、何度も言われると段々嫌味に聞こえてくる。
「ありますよ。私だってゲームくらいしたことあります」
いや、本当はないけれど。
なんとなくお嬢様と言われ続けるのが嫌になって嘘をついてしまう。
「へー、それじゃあお嬢様のゲームさばきを見てみたいものだな」
そう言う來家さんは顔をアーケードゲームに向ける。
さきほどゲームをしていた男の子はいつの間にかいなくなり、アーケードゲームは三台とも空いていた。
「い、いいですよ」
やばい、逃げるに逃げられない。
私があせっているのを察したのか、來家さんの表情はますます悪くなっていく。
ソファから立ち、アーケードゲームの前へと向かう一瞬、店内を見渡す。
私と來家さんの会話を聞いていたのか、言子さんは雑誌を読むふりをして視線は私に移していて、明らかに楽しんでいる。
奥のキッチンカウンターにいるボブさんはカウンターに身を乗せて笑顔を向けている。
いつの間にか皆が私を見ている。そんなに私がゲームをするというのは物珍しいの?
「言っておくがゲームは現金払いだぞー。カードは使えないからな」
またしても挑発してくる來家さんに私は睨み返す。
「それくらい知ってます! 今時そこまで世間知らずな娘なんていませんよ!」
いかんいかん、落ち着きなさい華麗。気品を持て。
私はアーケードゲームの前に立つと財布を取り出し振り向く。
「それで? お札はどこから入れるんですか?」
冷静な態度で聞いた私だったが、店内は爆笑の渦に包まれた。
それから二日ほど晴れが続いてまた雨になり、その日の放課後私は優々堂へと足を運ぶ。
店の前に立つと、予想通りまたあの違和感が私を迎える。
もはやお馴染となっているこの感じには、違和感だけではなく親近感も同時に感じる。
「ここまで来るとどうでもよくなってくるわね」
考えても答えが出ないのならスッパリ考えるのを諦める。間違った考えではないと思う。
お店の中に入るとこの前と変わらない面子が揃っていた。
「はい、らっしゃい」
來家さんがまたしても気の抜けた歓迎をしつつ、レジの前で何やらラジオの周波数を合わせていた。
私はまたしても誤ってアーケードゲームの前であの中学生の男の子とぶつかりそうになり、その子をかわしつつソファに腰掛ける。
ちなみにこの前挑戦したゲームは格闘ゲームで、よく分からない内にゲームオーバーとなってしまった。
あれはきっと私が選んだキャラクターが悪いのよ。今度はもっと強そうなキャラクターを選ぶべきね。
そう思っていると私はふと、ある事に気づく。
ソファのすぐ隣にある壁。そこには様々な落書きがされている。
二日前、私は初めそれが誰かの悪戯なのかと思ったけど、テーブルの上にマーカーが置かれているのでおそらくこの落書きは招致の上なのだろうと判断する。
私が気付いたのはその落書きの一つに書かれた『うまくいかない』という一文字。
これは私がこの前ゲームをした後に書いたものだ。
あの後、少し拗ねてしまった私から皆が遠ざかり、私はさらにイジけてしまった末にこの壁に落書きをしたのだ。
我ながら幼稚だと思ったけれど、その落書きにまさか返事が書かれるとは思ってもみなかった。
『うまくいかない』と書いた落書きの下には『何かあった?』と短く書かれている。
こういうふうにコミュニケーションを取れるのか、と少し驚いたけれど、これはどう答えたら良いのだろう。
他の落書きを見ると、所々に似たような走り書きを見つけた。どれもお悩み相談のような形で話が展開されていた。
この壁の落書きなら、誰がどれを書いているのかバレないのではないかと、私の頭の中でよぎる。
そうでもなければ見ず知らずの人に悩みを打ち明けることなどできるはずもない。
……言ってしまおうか、私の悩み。
高校二年にもなって、私はこれまで友達らしい友達は本当に一人もできなかった。
私は自然に振舞っているつもりでも、他の人からしてみればまったく別の世界の人間らしい。
似たような家庭環境に育った子にも合ったことはある。
それでも結局は行く先々で雨を降らす私を気味悪がってその子達は全員遠ざかってしまう。
友達がいなくても私は慣れているから大丈夫だと思っていた。
……でも、それは全くの嘘だ。
私だって友達が欲しい。
帰りの放課後、いつも楽しそうに下校していく生徒達を見て、私は何度羨ましいと思ったことか。
どこかへ遊びに行く誘いなら何度かあった。でも私はそのたびに断ってきた。
遊びに行けば確実に雨が降って皆の迷惑になるのは目に見えている。
誘われる度に断って、遠ざかってしまって、また落ち込んで……
もしも、この落書きがきっかけで悩みが少しでも解決できるのなら、良いのかもしれない。
そう思って私は店内の様子を伺う。
言子さんは笑美ちゃんに絵本を読んであげている。
いつもゲームで遊んでいる男の子は相変わらずゲームに集中している。
來家さんはやっとラジオの周波数を捉えたのか、熱心に何かを聞いているし、ボブさんは厨房で何かを作っている。
今ならバレずに書ける。
私は誰かに気付かれる前にすばやく返事を書きなぐる。
「ん? 華麗ちゃん何してるの? アハハ!」
特に面白いわけでもないのに笑いながら笑美ちゃんが話しかけてくる。
「え!? あ、えと、ペン回しだよ?」
そう言ってマジックペンを回そうとしたけどすぐにペンが落ちる。
私ペン回しなんてしたことないのよね。
ともかく、書きたいことはかけた。
「アハハ! 落とした! それより華麗ちゃんも言子ちゃんと絵本読もう!」
特に断る理由もないので、私は頷いて笑美ちゃんの隣に座ると、言子さんが気まずそうに私に笑む。
初めて言子さんと会話して以来、言子さんは私と話す時は遠慮がちになっている。
他の人と話す時はかなりのおしゃべりなのに。
いつか距離を縮められたらいいのだけれど。
また雨の日が来て、私は優々堂に訪れていた。
目当てはもちろん書き込みの返信を見るため。
今日お店に訪れているお客さんは私と言子さん以外いなかった。
あぁ、でもお店に初めて来た時に來家さんが遊んでいた雌の三毛猫がもう一匹の雄猫と遊んでいる。
言子さんはまた何かの雑誌に目を落としていて、未だに私に話しかけたりしていない。
いつものようにソファに座った私は迎え側に座っている言子さんに気付かれないように壁際の落書きを見る。
『学校でうまく友達ができない』
これは私の書き込みだ。
正直こんなにストレートに悩みを書きこむのはためらいがあった。
けれど、これを書き込む時、言子さんと笑美ちゃんが向かえに座っていたから、あせったおかげで書けた。
その甲斐もあって返事は来ていた。今回は割と長めの文章で。
『自分から話しかけたりしたら? 意外と相手は待っているだけかも』
自分から話しかける、そんなこと考えたこともなかった。
思えば私から誰かにアプローチしたことなんて、ない。
私から話しかけてうまく話せなかったらどうしようという不安もある。
少しだけ迷い、もう一度書き込みを読みなおす。
うん、確かに自分から突っ込む価値はある。
現にこの落書きを書いたのは私からだ。結果、こうして見ず知らずの人からアドバイスをもらうことができた。
私は言子さんに視線を移す。
雑誌に集中しているのか、私の視線に全く気付いていない。
怯えるな、話しかけるだけだ。
「……言子さん」
名前を呼んでみると、言子さんは驚いた顔をした。
「え? あ、あぁ。なーに?」
雑誌を置いた言子さんは私に体を向ける。
「その……何を読んでいるのかと思って」
自分から話しかけるなんていつぶりだろう。
何を話したらいいのかわからなくて適当に雑誌のことなんて聞いてしまった。
「あぁ、これ? ファッション雑誌だよん。女の子は身だしなみが大事だからねぇ。このお店なにげに本が揃ってるからねぇ。ここ最近はファッション雑誌たくさん入れてくれるから私もここに来る回数増えたよ。いやはや、見かけによらないね」
初めて話した時のように言子さんは早口でおしゃべりだ。楽しそうに話す言子さんを見て私も嬉しくなる。チャンスだ。
すると言子さんは置いたファッション雑誌を私に見せる。
「華麗ちゃんはこういう雑誌読む? やっぱりお嬢様的にはこういう雑誌は興味ないかなぁ?」
正直、読まない。でもここは合わせて少しは興味あると言う方が良い……
「読まないわね。興味もほとんどないわ」
まただ。妙な違和感を感じたと思ったら、頭の中で思ったことが口から自然と出てしまった。
こんなこと、言子さんと話す時以外なかったはず。理由はよくわからないけれど、言子さんと話す時、本音が口から勝手に出てしまう。
「えと、その……」
戸惑う私を見て言子さんは優しく頷く。
なんとなく、わかっていると言われたような気がした。
「女の子なんだからこういう雑誌も読んだほうがいーって。ほらほら、この服とか華麗ちゃんに似合ってると思うんだぁ。華麗ちゃんスタイルいいしぃ、こういうスラっとした服がいいに決まってるって!」
私の言葉を気にした様子もなく、言子さんはマシンガントークを披露する。
驚いた。ただちょっと話しかけただけでここまでも話してくれる。
その日私は帰るまで言子さんとおしゃべりをした。
それから数日後の雨、もちろん私は優々堂へと向かう。足取りは軽い。
雨の日は優々堂に行くという習慣が少しずつ体に馴染んできた。
なんとなくだけれど、あのお店に行けば外が雨であることを忘れられる。
それに、あの落書きでのやり取り以来、あのお店に少しだけ溶け込めたような気がする。
学校の方は相変わらず馴染めないけれど、このお店で少しずつ人と馴染んでいけば学校でも活かせるはずだ。
こうしてうまく人と話せてきたのも嬉しいけれど、私の関心はだんだん落書きでアドバイスをくれる人に興味が移ってきた。
きっと優々堂に通っているお客さんなのだろうとは思うけれど、あのお店に行く人物は今のところ三人しか私は見た事がない。
言子さん、笑美ちゃん、それといつもアーケードゲームで遊んでいるあの中学生の男の子だ。
私はアドバイスをくれた人に素直に感謝したいと思っていて、まずは知っているこの三人の中から探して行こうと、探偵気分で調べてみることにした。
お店に入ると、いつもの定位置に皆いた。日向さんはレジ前、ボブさんは厨房、言子さんはソファ、そして笑美ちゃんは本棚の前だ。
このお店によく来る猫もいるけれど、この前とは別の雄猫と遊んでいる。
そしてもう一人、あの中学生の男の子はやっぱりアーケードゲームで遊んでいる。
今回はぶつかりそうになることもなく男の子に気付くことができた。
まぁ、注意深く探せば見つかるものね。
私はその男の子の後ろからゲームを遊んでいる様を眺めていた。
この前私が挑戦した格闘ゲームで遊んでいるけど、やっぱりいつもゲームで遊んでいるだけのことはあるのか、上手そうに見える。
しかし格闘ゲームは次の敵と戦えば戦うほど強くなるらしく、男の子が操るキャラクターは最後の敵で負けてしまった。
「ゲームうまいのね。今のは惜しかったのかしら?」
きりの良いところで、私自ら男の子に話しかける。
「べつに。普通」
男の子の反応は言子さんと違ってかなり口数が少ない。
「私は雨宮華麗よ。君は?」
男の子の隣にある椅子に座り、私はいつも通りの態度で話す。
私の態度を崩す必要はない。言子さんに自分から話しかけた時に学んだことだ。
「影嶋靜」
必要最低限のことしか言わない静君は、まったくの無表情で話すけれど、体は私に向けて話してくれているし、別にお喋りが嫌いには見えない。
黒い前髪で目を隠されると少しだけ喋りづらいというのはあるけれど。
「いつもこれで遊んでいるの?」
そう言って私はアーケードゲームを指差す。もしこれで静君がアーケードゲーム以外でも遊んだりするのなら、落書きに書き込みをした本人という可能性も出て来なくもない。
「うん。遊んだらすぐ帰る」
頷く静君に、私はこの子が書き込みをした可能性は薄いと判断する。
確かにいつもここに来る度に静君はゲームをしているし、いつの間にか帰っている。
ソファに座って漫画や雑誌を読むなり、食事を取るなんてことは見たことない。
「ゲームの難易度高くなったから最近よく来る」
どこか楽しそうな空気を醸し出して静君は言う。
なるほど、前からゲームは好きだけれど最近はさらにゲームに付きっきりということなのね。
だとしたら静君が落書きの返事の主だとはさらに考えにくい。
他の可能性を模索し始める私だが、静君はすっと厨房を指差す。
「でも、今日はジュースを頼んだ」
厨房を見るとボブさんがちょうど冷蔵庫を開けていた。
「あぁ。取ってきてあげるわ。待ってて」
黙って頷く静君を置いて、私は厨房のカウンターへと向かう。
厨房まで近づくと、キッチンで卵のパックを開けていたボブさんが私に気付いて手を振る。
「オー、雨宮さん。コンニチハ」
「こんにちは、ボブさん」
私も軽くあいさつを返すと私はカウンターに手を置く。
「静君が注文したジュース届けてあげたいのですけど。いいですか?」
そう言うとボブさんは笑顔で親指を上げる。
「オフコース! もちろんデス。卵を混ぜ終えたらスグに作りマス」
そう言ってボブさんは卵を一つ取り出す。仕事熱心だなぁ。
「お店にはモウ慣れマシタか?」
卵を割ってボウルに入れつつボブさんが聞いてくる。
あ、黄身が二つ出た。双子だ。
「えぇ、皆さんが快くお話に付き合ってくれるので私も気兼ねなくお喋りができます」
ボブさんがもう一つの卵を手に取ろうとしているのを見ながら私は答える。
さきほどからまたあの妙な違和感を覚えている。
すると、慣れた手つきでボブさんが卵を割ると、殻の隙間から黄身が出てきた。
また双子だ。
私の視線に気づかないボブさんは話しを続ける。
「それは良かったデス。雨宮さんはコノお店にヨク来てクレテますし、気に入ってクレテボクも嬉しいデス」
ボブさんは軽快に卵を混ぜて言う。
「ボブさんはいつも厨房で働いてるんですか?」
店員が落書きの返事をする可能性も考慮に入れている私はボブさんが厨房以外に足を運ぶか確かめる。
そこまでする店員なんているのかは分からないけれど、可能性はゼロではない。
「ハイ、ボクはコックですからイツモこのキッチンにイマス。日向がいない時はタマニ入口のレジもシマスネ」
なるほど、ボブさんの可能性も薄そうだ。私がこのお店で知っている人の中でボブさんが性格的に有力ではあったんだけど……
「デハ雨宮さん、影島君にジュースを届けてもらってイイデスカ?」
卵を混ぜ終え、一旦ボウルを置いたボブさんは冷蔵庫から何かを取り出してジュースの隣に置くと同時に私に頼む。
「これは?」
ジュースの隣に置かれたプリンを見ながら私は聞く。
「サービスデス。プリンのパックを買ったら一つオマケを貰いマシタ。差しアゲマス」
本当にこの人でないなら、一体誰があのアドバイスをくれたというのだろう。
ジュースを静君に届けて、私もプリンを隣で食べる。
「……ありがとう」
静かに静君が感謝の言葉を述べる。
「どういたしまして。それ飲んだらまたゲームするの?」
「うん」
静君は淡々とジュースを飲んでいく。
「私もこの前やってみたけど難しかったなぁ」
日向さんに笑われた事を思い出すと腹が立ってきたわ。
「……ジュースのお礼に、今度教えてあげる」
悔しがっている私に、静君は無表情ながらも優しくそう言ってくれた。
静君は感情の起伏がほとんどない子だけれど、話している間は何だか嬉しそうだった。
プリンを食べ終えた後、私は次に本棚の前で小さな椅子に座る笑美ちゃんの隣へと行く。
もしこれで笑美ちゃんが書き込みの返事を書いた本人だとしたら、私は小学生に友達の作り方を教わったことになる。
うぅん、もし本当にそうなら複雑な気分ね。
「こんにちは笑美ちゃん」
膝を折って目線を笑美ちゃんに合わせる。小さいなぁ。
「あ、華麗お姉ちゃんだ! アッハハ!」
相変わらず笑美ちゃんは笑って答える。
「絵本を読んでいたのかしら?」
本を閉じた笑美ちゃんは元気よく頷く。
「うん! 全然面白くない! アハハ!」
面白くないのになぜ笑うんだろうこの子は。
「笑美ちゃんはよく絵本を読むわね」
笑顔を崩さず笑美ちゃんは何度も頷く。
「楽しい絵本見つけたら楽しい! それに最近新しい絵本がたくさんあるから楽しい! アハハ!」
確かに、言われてみれば本棚に置かれている本の種類が一変したように思える。
絵本だけでなく新しい雑誌も多い。
「そっか。笑美ちゃんはこのお店ではいつも絵本を読んでいるのかしら?」
さりげなく本題に入る。
「ハハ! よく読むけどいつもじゃないよ。たまにソファの隣の壁で落書きしてる」
私は笑美ちゃんにバレない程度に眉を潜める。
まさか当たり?
そう思って笑美ちゃんが指差す落書きの方を見る。
「あの絵が、笑美ちゃんの落書きなの?」
亀、なのかしら?
ただの緑色の物体が亀だとわかったのはその隣に書かれた「すーぱーかめくん」という字のおかげだ。
まぁ、笑美ちゃんの字を見ればこの子ではない事はすぐにわかるわね。
漢字どころかカタカナも書けていないし、字の書き方も私にアドバイスをくれた人の字と似ても似つかない。
笑美ちゃんも白ね。……て、別に犯罪者を探しているわけではないのだけれど。
お店にいるお客で残っているのは言子さんのみ。
でも、言子さんでもないはず。
理由は笑美ちゃんと同じで、字の書き方が違う。
この前言子さんと話した際に、話題を作るために言子さんが高校で使っているノートを見せてもらったけれど、まったく字が似ていなかった。
となると、もう残っているのは店員しかいない。
結論を出した私は最後の一人に話すべく入口のレジに向かう。
私がこのお店に初めて来た時に最初に話したあの人の元へ。