今日で全てが終わるなら
恋人が記憶を失ってしまったらあなたならたどう思いますか?
自分を思い出してほしい、きっと皆そう思うと思います。
でももし、忘れさせてあげたい記憶があったとしたらどうでしょうか。
そんなことを考えながら、読んで頂きたいです。
愛する楓が記憶を無くした。
十五で両親を無くし、空っぽになった僕を傍で支えてくれた楓。
事故で頭を強く打ち、意識不明の一ヶ月を経てようやく目を覚ました彼女は、全てを忘れてしまっていた。
二十年以上、いつも一緒に過ごしてきた日々も無くし、僕の名前も分からない。
「僕らは恋人だったんだ。愛し合っていたんだよ」
いくらそう言っても、彼女は不安げな表情を浮かべるだけ。
楓がパニックにならないよう、僕は長く二人で暮らした家を離れ田舎に部屋を借りた。
二人で過ごす生活の中、徐々に楓は心を開き僕を信頼してくれるようになった。
楓は細身で美しく、誰もが彼女に恋い焦がれる。
僕もその一人だった。
彼女の一番近くに居て、彼女を見守り愛することが出来る僕を、周囲はどれだけ羨んでいるだろう。
記憶なんて無理に戻らなくてもいい。
楓がまた僕を愛してくれるよう頑張るんだ。
田舎の暮らしが始まって一年が経った春の日、その願いは叶った。
楓が小さな声で言った。
「優也のこと、好きだよ」
僕らは結ばれ、それからの生活は幸せに満ち溢れていた。
でもそんな日々を崩そうとする人達がいた。
夏も盛りを過ぎたある日、僕が買い物から帰ると見慣れない車がアパートの前に止まっていた。
楓に何かあったんじゃ、そんな不安が頭を過り僕は急いで部屋に入る。
見覚えのある顔が三つ。
楓を挟むように座っているのは親戚の叔母たちだった。
両親が無くなった際遺産を相続出来ないことに腹を立て、葬式の場で僕を罵倒した叔母。
そしてそんな叔母たちの手足となっている叔父が、楓の前に座っている。
葬式の日、罵倒される僕を庇い傍に居てくれた楓を、彼らは目の敵にしていた。
記憶が無いのをいいことに仕返しに来たのだろう。
楓は体を震わせじっと下を向いたままだ。
「何のご用ですか?」
僕が近付くと彼らはニヤリと笑って無言のまま部屋を出た。
楓はまだ震えている。
「もう大丈夫だよ」
抱き締めるとその震えは小さくなった。
耳元で楓が呟く。
「あの人達が言ってたの。私達は兄妹だって」
「そうだよ」
その日僕らの心に空いた穴。
燻っては涙を生む大きなそれは、やがて秋を越え冬を越えても消えることはなかった。
桜が散り始めた頃、僕は書類を用意した。
新田家の戸籍。
両親は除籍されていて、長男・優也とある。
楓の名前は、そこには無い。
書類を見せ、ただの幼馴染みであることを説明し、嘘を詫びた。
楓は涙を見せず、ただ僕にしがみついた。
「あの人たちが言ってたのは嘘なのね」
「うん。僕を嫌ってあんな嫌がらせをしたんだよ」
「どうして嘘ついたの」
「気が動転してた。訂正には証明が要ったしね」
「優也と結婚できる?」
「うん。絶対に離さない」
ここには兄妹の戒めなんて存在しない。
だって楓が苦しみ諸とも捨ててしまったから。
僕の誕生日を祝ったグラスが目に映る。
数滴の雫が内面を這うばかりの楓のグラスには、特別な日にと塗ってやった口紅がうっすらと影を残す。
甘い酒を含んだはずの口内が苦い。
始めての酒に彼女は何の疑いも持たなかった。
楓が僕の首に手を回し、赤い唇で僕を誘う。
こっそり用意したパソコンが見えないよう楓を床に押し付けた。
そっと交わした口づけが熱を帯び、それが安息と共に消える頃、僕らの今日は終わるだろう。
法律の壁も、軽蔑の眼差しも、もう僕らには届かない。
エイプリルフール。
今日で全てが終わるなら、嘘は僕らの本当になる。
文で上手く伝わっていれば嬉しいのですが…
優也は偽物の戸籍を作り、楓に嘘をつきました。
忘れさせてあげたい記憶とは、兄妹で愛し合ってしまった為に味わった苦しみなんです。
親戚に居場所がばれ、いつ楓の記憶が戻るか分からないことから、優也は嘘をついたまま心中する道を選んだのですが…
思いついてしまって書きましたが、個人的にはこんな悲しい恋の結末は嫌いです。
例え禁忌を犯した恋であっても、前を向いて生きてほしいと願っています。