ガンジュ編 22
「ハンナ、魔術師さんが来てくれたよ」
そう声をかけられて、ふりむいたハンナさんの顔色はとてもよかった。お産という大仕事を終えて、しかも予定よりも一人増えたお産をなんとか終えて、けれどそれで終わりなわけではない。子どもたちのお世話が始まって、はじめてのことにかなり忙しくしているんだろうと思っていた。
「よかった。ターニャちゃん、目が覚めたのね」
けれど、ハンナさんの笑顔はとても明るかった。
「それ、私の服でしょう?」
「すいません、勝手に借りちゃって……」
「いいのよ。ミルダさんも私のお父さんの服着てるんだし」
いつもの旅の服装ではなく、村の人たちの普段着に身を包むあたしたち。それが見ていて面白いようで、ハンナさんはくすくすと笑いながらあたしたちを手招いた。
「いま、ちょうど起きてる時間なの。顔を見てあげてくれる?」
敷かれた布団の上にいる、二人の赤ん坊。会うのが楽しみだったはずなのに、それがとても小さくて、あたしはなんとなくためらってしまい近づけなかった。
「抱いてあげて。ターニャちゃんが頑張ってくれたから、この子たちも無事生まれてこれたんだから」
「ほんと、かわいいぞ」
ミルダに背中を押されて、あたしはおずおずと赤ん坊に近づく。そっと膝をついて見下ろした赤ん坊は、産まれてから日がたって、産まれたときのようなしわくちゃな顔ではなくなっていた。
ふたりとも、綺麗な金色の髪をしていた。
「ふたりとも、男の子なの」
ひとりめは、目元がハンナさんに似ているなと思った。でも鼻から下はキーゼルさんに似ている。まだうまく見えていないであろう瞳は、キーゼルさんから引き継いだらしい琥珀色をしていた。
まだうまく見えていないであろう目で、男の子があたしをぼんやりと見つめてくる。手足をしきりにばたばたと動かして、布団を叩いたり自分の顔に触れたりしていた。
「その子の名前は、アンバー。もうひとりの
子は、レイバン」
「レイバン……」
呟きながら、あたしはもう一人の子を見た。
良く動く男の子――アンバーの隣で、じっとあたしを見上げてくる、レイバン。その瞳はきっと、あたしの姿をしっかりととらえているに違いない。その小さな手に指を伸ばすと、しっかりと意志を持ってつかまれた。
きっと、それにハンナさんは気づいていない。わかっているのはきっとあたしとミルダだけ。言葉が出てこないあたしに、ミルダが肩に手を乗せてそっとささやいてくれた。
「抱いてやれよ」
「でも……」
「だいじょうぶ。頭を支えてくれればいいから」
うながされて、あたしはおずおずとレイバンを抱き上げる。赤ん坊を抱くのははじめてではない。でも、この赤ん坊を抱くのはとても緊張した。
アンバーと同じ、母親ゆずりの金色の髪。瞳も、父親ゆずりの琥珀色。そう思えば、二人の子供だと思うことができる。
でも、肌の色が異様に白かった。
顔だちも、どちらかに似ているというわけでもない。多少、ハンナさんを思わせるものはあるけど、でもまとう雰囲気が違う。首もすわっていない小さな小さな赤ん坊なのに、雰囲気が違うと感じるのはきっとあたしとミルダだけ。
この子は、あの地獣だ。
「レイバンのこと、ミルダさんから教えてもらいました」
「ミルダが?」
「人間にとてもよく似てる、金獣に姿を変えたって。アンバーの成長に合わせて、一緒に大きくなっていくって」
理獣の中で唯一、人間に近い姿をした獣。それが金獣だった。
あたしはあのお産の時、ハンナさんのおなかの中にいるという地獣を、魔術をもって金獣へと姿を変えさせたのだった。
理獣は姿を変える。木が燃えて火を生むように、燃え尽きた火が灰を残して土になるように、負傷や、寿命や、身体に何かあったとき。理獣はことわりにそってその姿を変えていく。
土は金を生む。地獣はやがて金獣へと姿を変える。
ハンナさんのおなかから生まれた子供を、騒ぎにならないよう鎮めるためには、人の姿に近い金獣に変えるのが一番よかった。
でもそれでは、あの山の主の子供が、山神とは違う姿になってしまうということだった。
ハンナさんを守るためとはいえ、本当にこんなことをしてよかったのか。あたしの腕に抱かれる小さな小さなその山の主の子供に、あたしはそう訊きたくてたまらなかった。
「レイバンは、ずっとしゃべれないだろうってミルダさんが言ってました」
そう。金獣は、人間そっくりな姿をしていても言葉をもっていない。たいして、蛇の姿をした地獣だけが、人の言葉を操ることができる。例外をあたしたちは一度だけ見たことがあるけれど、でもあれはあたしたちが関わったからこそ起きたことだった。
レイバンが産声をあげなかったのは、金獣が声をもたないからだった。
「ハンナさん、あたし……」
「ありがとう、ターニャちゃん」
お礼を言われて、あたしはどうしていいかわからなかった。
レイバンはいずれ、山に帰って父の跡を継がなければならない。山の主の力が弱まっているからこそ、選ばれた子供であったはずなのに、彼は地獣から金獣へと姿を変えてしまった。
あたしたちが魔術を使って、これから生まれ変わる姿へと導いてあげることはできる。金獣はやがて、水獣へと姿を変える。そうううやって無理やりにでもひとめぐりさせることはできても、それは彼の身体にとても負担をかけてしまう。
その姿を、もとの地獣に戻すことはあたしたちにできなかった。
レイバンが地獣に戻るまでに、きっととても時間がかかってしまう。それまでに山の主の命がもつのか、あの山を誰が守るのか。もし誰も守るものがいなくなってしまったらと考えると、あたしはこわくなってしまった。
そんなあたしの考えを見透かしたように、レイバンはまばたきもせず見上げてなにかをうったえてくる。でも何を言っているかわからなくて、あたしはただただ、彼を抱き続けることしかできなかった。
「大丈夫だ、ターニャ」
そんなあたしに、ミルダが声をかけてくれる。
「きっと、山の主もこうなることはわかっていたんだと思う。わかっていて、ハンナさんとお腹の子を助けたいと思って、俺たちに力を貸してほしいって頼んできたんだ。主には主なりの考えが、ちゃんとあるんだと思う」
「でも……」
「『息子にはいい修行になるだろう』って、一度、そう言っていたことがあるわ」
そして、ハンナさんもあたしにそう言ってくれる。
「人間の世界にとけこめるなんて体験、そうそうできるものじゃない。経験を積んで良い山の主になれるだろう、って。そう言ってたから、大丈夫」
「ハンナさん……」
「だからあたしたちは、この子をアンバーと同じように育てるわ。自分の子供として、ね。アジェイルさんもなにか気づいてるんだろうと思うけど、あえてなにも聞いてこないし言われてないわ」
そのアジェイルさんはどうやら、また新しいお産が始まって大忙しのようだ。部屋の向こうから聞こえる苦しげな声は、つい三日前ハンナさんがあげていた声とよく似ている。
命は毎日産まれているのだなと、あたしはしみじみ思った。
「きっと、この子を見て不思議がる人がこれからたくさんあらわれると思うけど、それは私たちがちゃんと守るから」
うとうととまどろみはじめたアンバーを抱き上げ、ハンナさんはその顔をいとおしそうにのぞきこむ。その隣に座ったキーゼルさんが、頬をつついてにこりと笑った。
あたしも、腕に抱いたレイバンをあやしてみる。はたして彼は、お腹の中で呼びかけてきた彼のままの彼なのだろうか。それとも、知能も赤ん坊のようになっているのか。わからないけど、あたしはその金色の瞳をただただ見つめ続けた。