ガンジュ編 18
お産のための部屋に通され、ミルダが中を覗けないようすぐにドアを閉められる。部屋の中にいるのは、ハンナさんと奥さんだけ。お産に立ち会うことがはじめてのあたしは、その神聖な空気に背筋が粟立つのを感じた。
「ハンナ、魔術師さんを連れてきたよ」
うながされるままに、あたしはハンナさんのもとへと歩み寄る。ベッドはなく、床に直接布団を敷いたその上で、彼女は大きなクッションを抱きしめながら荒い息を繰り返していた。
お産に立ち会ったことはなくても、知識くらいならある。陣痛はずっと続くわけではなく、痛いときと痛くないときがある。お産が進めば進むほどに陣痛の間隔は早くなるはずだ。扉の外でミルダと話していたときの、ハンナさんの痛みに耐える声の間隔はとても短かったように思う。
「……ありがとう、アジェイルさん」
額に汗を浮かべながら、疲労した表情でありながらも、ハンナさんは微笑んでみせた。
いままさに母になるための、一番の大仕事をしているその姿はとても力強くて。あたしはふるえそうになる手を懸命にこらえた。
ひとつ、深呼吸をして。よし、と心の中で呟く。胸に手をあて、早くなっていた鼓動の数を数えていると、自然と心が落ち着いてくる。
「アジェイルさん、奥さん、一旦席を外してもらえますか? なにかあったらすぐ呼びますので、ハンナさんとふたりだけで話をさせてください」
あたしの突然の申し出に、二人がためらうのも無理はない。お産の介助なんてとてもじゃないけどできないあたしに、ハンナさんを預けるなんて心配でしかたないと思う。
「私からも、お願い。魔術師さんと話がしたいの」
戸惑いの表情を浮かべていた二人は、ハンナさんのうったえもありしぶしぶながらもうなずいてくれた。そして「なにかあったらすぐ呼ぶように」と念を押して、部屋から出て行ってくれた。
二人きりになった、熱気のこもった部屋で。あたしはようやく、ハンナさんと向き合うことができた。ろくに顔をあわせたことも話したこともないはずなのに、瞳が合えばすんなりとお互いの扉を開くことができた。
豊かなブロンドの髪を、汗の浮いた顔に貼りつかせながらも、ハンナさんは気丈にあたしに笑いかけてくれる。少しきつめのまなじりが勝気な印象を与えるけど、ふっくらとした唇からつむぎだす柔らかな声色がそれを打ち消していた。
あたしと、さほど歳が違うわけでもない。けれどいままさしく母になろうとしている彼女は、落ち着いた話しかたをする。見た目は歳相応なのに、話せば年齢よりも年上に感じた。
「……来てくれてありがとう、魔術師さん。あなたが、ターニャさん?」
「はい」
「森の中では、ごめんなさい。山神様たちも私を守ってくれるためとはいえ、あなたを巻き込んじゃって」
頭を下げようとしたハンナさんが、眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべる。クッションに顔をうずめて声を抑えようとするのだけど、こらえきれずにもれている。陣痛が来たのだと気づいたあたしは、彼女の痛みがすこしでも和らげばと腰に手をあてた。
どうさすればいいのかわからない。でも、触れた身体はとても熱く、汗でしめっていた。もうすぐ産まれるのだと、抑えきれない声が物語っている。
「……あたしを呼んだのは、あなたですね?」
ハンナさんの大きなお腹に向かって、あたしは手を止めずに話しかけた。
「お手伝いをします。あたしは何をすればいいですか?」
ハンナさんが魔術師を呼んでいると、奥さんは言っていた。けれどそれは違う。魔術師を呼ぶように言ったのは、お腹の中にいる地獣に違いない。
お腹にまだ自分がいる状態で、お産がすすんでいくことに、危険があるのだろう。魔術師の力を必要としている。もしかしたら、お産のことまで考えて、あの山の主はあたしたちを選んだのだろうか。
“――あなたの力を貸してください”
声が、お腹から聞こえてくる。山のふもとで聞いたときと同じ、子供のように高く、そしてか細い声だった。
“このままでは、僕はお腹から出ることができません。魔力を分けてほしいんです”
「わかったわ」
“……でも、僕もどうやってお腹から出ていいか、わかんないんです”
「……え?」
てっきり地獣の指示に従えばいいと思っていたのに。まさかの発言に、あたしは腰をさする手を止めてしまう。ハンナさんの陣痛も収まってきたのか、懸命にこらえていた悲鳴も徐々にやわらいできていた。
“だから、力を貸してほしいんです”
「そんな、あたしには……」