ガンジュ編 15
「娘を連れてきていただき、ありがとうございました!」
入ってきたのは、あの女性の父親と名乗る男性だった。
「娘が、話してくれました。あなたたちが、自分を村まで連れてきてくれたと」
土下座せんばかりの勢いで、彼はあたしたちに頭を下げる。畑仕事で鍛え上げられたのか、その長身の身体は白髪の混じる髪とは違い筋肉のたくましさを感じる広い肩幅をしていた。
「娘が帰ってくるのを、毎日毎日待っていました。きっと山神様が守ってくださると思って、いつか必ず戻ってくると思っていました。そうしたらこんなにも早くに、大きなお腹を抱えながらも無事に戻ってくることができて……あなたたちがいなかったら、ハンナはいったいどうなっていたことか」
ハンナ。それが女性の名前なのだと、あたしたちはようやく知ることができた。
「実は、僕たちも山神様に導かれるままハンナさんと一緒に山を降りてきたんです。だから、事態がうまく飲み込めていなくて。ハンナさんが妊娠していたこと、お父様は知っていたんですか?」
ソファーの上でだらけていた姿勢を正し、ミルダがよそ行き用の口調で話す。表情も穏やかな微笑を浮かべ、落ち着いた雰囲気を出して実年齢よりも上に見せる。長く旅をしているミルダが身につけた処世術を見て、あたしもそれにならい背筋を正した。
いくら名の知れた『常緑のジョナ』であれ、若いからといぶかしがる人も多い。だから彼は、目上の人と話すときは猫をかぶる。そのほうが、依頼があったときに滞りなく仕事をすすめることができるからだった。
「あと、できればお父様のお名前も教えていただきたいです」
「これは失礼しました。私はゼルマルといいます。この村で、麦の畑を作っています」
ゼルマルさんその自己紹介で落ち着くことができたのか、ようやくあたしたちの向かいの席に座った。けれど貧乏ゆすりがとまらないところを見ると、今まさに娘がお産に臨んでいることが落ち着かないのだろう。
「娘が姿を消したのは、半年ほど前のことになります。山の向こうに娘の好い人がいるのは、私どもも知っていました。ハンナは幼いころから山を遊び場としていたので、月に一度あちらに行くことに対して、何も心配せずに送り出していました」
女性陣はすべて出払ってしまっているので、ゼルマルさんのぶんの飲み物がくることはない。けれど彼はそれを気にする風もなく、膝の上に手を組んで、祈るようにそのこぶしを見つめていた。
「いつもなら、遅くても一週間もすれば戻ってくるはずなのに。ハンナは帰ってきませんでした。向こうの村に行った村人たちに聞いても、ハンナはいないと言われて、私たちは急いで山の中を探しました。けれど娘の姿はどこにもなく、そして私の妻は、ハンナが妊娠していたのではないかと気づいたのです」
女性は自分の身体のことを、まず母親に相談する。だから、父親であるゼルマルさんが知らなくてもしかたない。あたしだって、自分に初潮があったとき、はじめに相談したのは父ではなく、母代わりをしてくれていた近所のおばさんだったのだから。
「ハンナの身になにかあったに違いないと、毎日山を探してもどこにもいなくて。便りを出して娘の恋人に知らせると、彼も探すと言ったのですが、結局どちらのふもとから探しても見つかることはありませんでした」
「それで、僕たちが娘さんを連れて帰ってきた、と?」
「そうです。そして娘が、山神様が守ってくださったと話してくれました。いま、娘の恋人――アルノにも便りを出したので、すぐにこちらに来ると思います」
本当に、ありがとうございました。深々と頭を下げられて、ミルダはあわてたように顔をあげさせる。ミルダ自身も、よくわからないまま山を降りてきたのだ、感謝されても申し訳なく思うばかりなのだろう。
「今回の件は、僕の弟子から山神様の言伝があります。山神様は、娘さんが大きなお腹を抱えて山を降りることを、とても心配されていましたから」
ミルダはあえて、主のことを山神様と言った。きっとこの村の人たちには、地獣や山の主と言うよりも、山神様と言うほうがいいのだろうとあたしも思う。
その山神様は、文字通り神様のようにあがめられている。彼らの信仰を崩すようなことをしてはいけなかった。
ミルダにうながされ、あたしは地獣からの言葉をゼルマルさんに伝える。山の中で何があったかを話す必要はない。ただ、どうして山神様がハンナさんを保護することになったのか、どうしてすぐに山から出してあげることができなかったのか。それを、話す。