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ガンジュ編 13

 あたりは完全に、鮮やかな色彩を取り戻していた。風に揺れる葉の音も、梢からさしこむ太陽のあたたかさも、わかるようになっていた。

 踏みしめるたびに鼻に届く、湿った腐葉土のにおい。ざわめく木々から、葉っぱや、木の実や、花のにおいが鼻腔をくすぐる。

 そしてその中に、山のものとは違う、かぎなれた緑の香がまじっていた。

 ミルダの香りだった。

 私はそれを胸いっぱいに吸い込み、ひとつ深呼吸をする。そしてこれから自分たちのすべきことを思い、頬を叩いて気合を入れた。

『私はここから先には行けない。後は頼んだぞ、ターニャ』

 あと少しで、ミルダたちと合流できる。あと一息というところで、地獣は進むのをやめた。息子はいったいどこにいるのか、それを言わないままなのかと思っていたら、地獣は最後にようやく教えてくれた

『息子は娘の腹の中にいる』



「ミルダ!」

 走って追いかけて、名前を呼んだ何度目かで、ようやくミルダはあたしに気がついた。

「ミルダ、待って!」

 声が届いたことで、あたしは自分が完全に山から抜けたんだとわかった。自分の背よりもうんと高い木々はもうない。あるのは歩きやすいようならされた道と、その先に見える、小さな集落の屋根だった。

 あたしに気づいたミルダの顔は、怒りも驚きもなく、呆然と青ざめていた。

「ターニャ……」

 こんなミルダ、はじめて見た。駆け寄ってあたしはようやく、彼が女性を抱きかかえていることに気づいた。

「どうしたの!?」

 あたしはとっさに、ミルダが背負っていた荷物を持った。女性を抱えてなお、大きな鞄まで背負っていてはそうとう辛いに違いない。山を出るまでは一緒に歩いていたはずだけど、やはり山を出てミルダたちにも変化があったようだった。

 ミルダに抱えられた女性は、山の中で見ていた姿とはまったくの別人だった。一瞬だけ顔を見ていたけど、そのときのことはあまり覚えていなかった。後ろ姿はあたしによく似た長い黒髪をしていたはずなのに、女性の髪は見事なブロンドに変わっていた。やはり地獣が魔術をかけていたんだと悟った。

 山の中ではたしかに平らだったお腹は、地獣の話どおり、まるく大きくふくらんでいた。ミルダの腕の中で荒い呼吸を繰り返す彼女は、気を失っているのか目を閉じたままだ。

「山から出たら、この姿になったんだ。そうしたら急に苦しそうになって……」

 ミルダはいったいどこまで事態を把握していたのだろう。女性をしっかりと抱えてはいるものの、やけに顔色が悪い。

「とにかく、急いで村に行こう?」

 ほら、とあたしがせかすと、ミルダはようやく歩き始めた。お腹の大きな女性を抱えるなんて、そうとう重いに違いない。けれどその歩調は急ぎ足で、脚の長い彼に追いつくのにあたしはすこし小走りだった。

「よかった、ターニャが戻ってきて」

 ミルダの呟きを、あたしは聞き逃さなかった。

 そしてあたしは理解する。あたしを見たときの、ミルダの変な表情。あれは安堵の顔だったのだと。

 ミルダのあんな顔、はじめて見た。

“――急いで、村に戻って“

 どこからともなく聞こえた声に、あたしとミルダははっと、女性のお腹を見た。

“陣痛が始まったんだよ。子供が産まれるよ”

 それは女性のお腹の中にいる、地獣からの声だった。



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