ガンジュ編 9
翌朝。いつもより長い準備時間をとってから、ミルダたちは出発した。
あたしと地獣ももちろんそれに続いた。あたしの視界ではあいかわらず森がモノクロで、地獣だけがやけに色づいている。その視界と道の悪さにだいぶ慣れてくると、やっぱり気になってしまうのはミルダと女性の話している内容だった。
会話をしているであろうことは、口の動きを見ればわかる。でも、声までは届かない。あいかわらずあたしが見るのは後ろ姿ばっかりで、ミルダの表情ですら満足にうかがえなかった。
ミルダは女性をあたしだと思いこんで接しているんだろうけど、あたしは彼があんなにこまめに自分のことを気にかけてくれていた覚えはなかった。たしかに山に入って体調を崩しはしたけど、小さな段差にも手をかすほど彼は紳士じゃないはずだった。
『……なぁ、ターニャ』
そっと二人を見守っていた地獣が、ふいに顔をあげてあたしを見上げた。
『ミルダとはどれぐらいの付き合いになるんだ?』
「ミルダとですか?」
地獣はずいぶんと、ミルダのことが気になるらしい。口を開けばやたら彼のことを訊かれた。年はいくつなんだとか、故郷はどこなんだとか、魔術師としての腕はどうなんだとか、評判はいいのか悪いのかとか。
あたしに答えられることは答えた。わからないことは正直にわからないと言った。あたしが知らないと言っても地獣は怒ることはなく、たまに気が向いたようにあたしのことも質問してくる。
「一年、くらいですかね?」
『案外短いんだな。ずいぶん仲がいいようだから、もっと長いと思っていた』
地獣は最初、あたしたちのことを兄妹ではないかと思ったそうだ。遠巻きに観察するにつれ、髪の色や目の色は違うとして、顔立ちの違いや雰囲気や、とにかくお互いの似たところがないことに気づいて、二人の関係がわからずひとりいろいろ考えていたらしい。
「一緒に旅をしていたら、距離も縮まりますよ。旅を始めたばかりのころはお互い気を使ってましたけど、すこしずつ遠慮もなくなっていきましたね」
あたしもはじめはミルダのことを、あんなに口うるさい人だなんて思ってもいなかった。自信家で俺様で、やたらプライドも高い人なんだと気づいたときは、彼のことを嫌だなと思ったこともあった。いくら師匠と弟子の関係であるにしろ、あまりにあたしに対する扱いがぞんざいなことがあったからだ。
それでも一緒に旅をしている以上離れることなんてできなくて。一緒にいるうちに、彼の冷たいとも思える態度が実はあたしの身を案じていることの裏返しであることに気づいたあたりから、遠慮がちなお互いの関係がぐんと近くなったのだった。
『兄妹でなければ恋人かとも思ったが、お互いにそういった様子も見られなかった……年頃の男と女が一緒に行動をともにして、何もないというのも不思議なものだな』
地獣の考え方に、なにか故郷のお父さんに似たものを感じる。あたしをミルダとの旅に出していいのか悩んでいたお父さんのことを思い出して、思わずくすりと笑ってしまった。
地獣に問われるままに、あたしはミルダとの関係を話した。なぜ一緒に旅をすることになったのか。今あちこちでおきている理獣たちの異常化の話。ひとりでも多くモディファニストが必要であること。そのためにあたしがミルダに魔術のあれこれを教えてもらいながら旅をしていること。
地獣はこのハクーの山を統べる使命があるため、山を離れることができない。外の情報を仕入れるにはたまに山にはいってくる魔術師の会話を盗み聞きしたり旅の鳥たちに聞いてみたりしているらしいけど、割と名前を知られているはずの『常緑のジョナ』のこともあまり知らないようだった。
「今は常緑のジョナ――ミルダの噂が流れるときに、弟子の話もあがるようになったらしいです。あたしが優れているっていうわけじゃなくて、若い娘をつれて歩いているっていうことが好奇の対象になるみたいで」
かといってミルダの評判が下がったわけではない。相次ぐ異常化の解決に一役かっているミルダの評判はさらに良くなっている。ミルダ本人は、あたしの存在が加わったことであることないこと足がついて歩き回る風の噂をまったく気にしていないけれど。
『私は……まだ若くて動きが軽かったころは、たまには山から抜け出していろいろ人々の話を聞いたりしたものだが。今は山のことを気にかけることに精一杯で、動き回ろうという気にあまりなれないのだ。だから今の情報がそれほど豊富ではない』