ファジー編 7
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片づけが終わったあたしは、用もなく食卓にもどる。お父さんは起きる気配がなく、起こすつもりもなく、手持ちぶさたに本を開いた。
あたしは普段、本を読んだりしない。お母さんの残した魔術研究資料は、全部コードにとられて手元にない。村の子たちが貸し借りをしている恋愛小説には、たいして興味も持たなかった。
この本は、ミルダがなかば押し付けるように貸してきた魔術書。さっき魔術の説明をするときに使った、あの古びた本だった。
まだ印刷技術のなかったころのものなのだろうか。字はすべて、手書きになっている。そしてそれは魔術師が専門として使う特殊な表記ばかりで、あたしは基本的な言葉しか読み取ることができなかった。
それでも、星をかたどった術のサイクル図は、見ていて落ち着くものがある。お母さんが死んだばかりのころ、あたしとコードは研究資料を絵本がわりにしていた。何と書いてあるかはわからなかったし、お父さんだって魔術師表記は読めなかった。だからこの星型を、指でなぞっては魔術のことをあれこれと考えていた。
火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝つ。これが、相剋。
火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生み、木は火を生む。これは、相生。
終わることのない輪が、あたしは好きだった。
幼いころやったように、星をなぞってみる。指を動かすという単調な行動に心は落ち着き、いつしか口からは歌がこぼれていた。
楽しいときや、苦しいとき。忙しいときや暇なとき、あたしはいつも、お母さんが歌ってくれた子守唄をうたう。いまいち歌詞をおぼえていなくて、知りたくても村には他に知る人がいない。だからいつも、わかるところは歌詞をつけて、わからないところはハミングでごまかしていた。
指でなぞるのをやめ、ページをめくっていく。相変わらず何が書いてあるのかはわからないけど、数ページおきにあらわれる図には必ず手を止めた。でも、知っているものはなかった。
コードなら、教えてくれるかもしれない。あたしも魔術師表記を勉強して、この本を理解できるようになりたい。
そんなことを考え、あたしはすぐにそれをふりきった。ミルダはああいったけど、あたしに魔術なんて使えるわけがない。あたしは毎日家の仕事をして、木苺を摘んで、友達となかなか上達しないパッチワークの練習をすればいい。
この本だって、こんなに古いのに、ミルダはずっと持ち歩いている。欲しいだなんて思っちゃいけない。これは彼の大切なものだ。
考えを消そうと本に集中するのだけど、ただでさえわからない内容だ。目は字を追っているのに、頭はそれを理解しようとしてくれない。
ついにあたしは本を閉じ、不規則に揺れるランプに目をそらした。
ミルダはこの本を、村にいるまで貸すといった。けど、持っていたら読んでしまう。そして、あれこれと考えてしまう。明日も朝早くに動くというのに、このままじゃ読書で夜を明かしてしまうかもしれない。
返さなくては。
そう思えば思うほど、本に目がいく。そして、手にとってしまう。
「……ま、マテ、リ?」
表紙の文字だけでもなんとか読めないかと頑張るけど、やっぱりわからない。文字はほとんど普段使うものと変わらないけど、その文字自体に魔力があるのか、理解できなくなってしまうのだ。
「あ、でもこれなら……」
わかる文字があって、思わずひとりごちた。
表題には、ひとつの単語。インクがすっかり薄れ、顔を近づけて読んだ。
「モディ……あれ?」
てっきり、モディファニストと書かれているのだと思った。スペルも途中まではあっていたのだけど、後ろが違う。
「モディ、フィ? ファ?」
「モディフィスト」
突然ふってかかった訂正の声に、あたしは椅子の上でとびあがった。
「変更者、っていう意味。この場合、修正する人、って無理やり読ませるんだけど」
「コード……」
「弟にそこまで驚くなよ」