ディナージャ編 43
リジオさんの痙攣が完全にとまったころ、ようやく、ジュリカが唇を離した。
ふたりの唇の間に、金の糸が引く。それを手の甲でぬぐって、ジュリカが彼の頬を叩くと、リジオさんの口からかすかに声が漏れた。
「ジュリカ……?」
「リジオ!」
ジュリカの声に、リジオさんがまぶたを開いた。驚いたという様子で、リジオさんはジュリカを見つめていた。唇に注がれる視線に、ジュリカは微笑んで、もう一度彼の名を呼んだ。
「リジオ」
「ジュリカ……声が?」
ジュリカの手を借りて、リジオさんが起き上がる。いまだに信じられないようで、あたしとミルダの顔を交互に見るので、あたしたちもそれが事実だとうなずいて見せた。
呆然と、ぱちくりさせるまぶたから最後の金の涙を流し、リジオさんはジュリカの手をとる。彼女はそれをしっかりと握り締め、ふふふと微笑み、そして言った。
「わたし、リジオのことが好きよ」
熱い抱擁を交わすふたりのために、あたしたちと地獣は、湖の点検と銘打ってその場から離れることにした。
○○○
「もう、金の苺を食べないでって約束して」
「わかった」
「魂移しも二度と使わないって約束して」
「……わかった」
ジュリカさんの言葉にしぶしぶうなずくリジオさんを、あたしたちはほほえましく見守っていた。
場所を変え、リジオさんのテントに戻り、あたしはまたずぶぬれの服を着替えることにした。幸いあたしのローブは乾いていた。
ジュリカもまた、リジオさんのローブを借りていた。いつもよりさらに人間に近づいた彼女が何も着ていないということに、リジオさんが戸惑ったからだ。こうして服をまとえば、本当にジュリカは人間のようで、よく似た面立ちのミルダと見比べるとまるで兄妹のようだった。
「今回はなにもできなかったなぁ……」
テントの外で焚き火をたき、みんなでそれをかこみながら甘い紅茶を飲む。もちろん、ジャムは使っていない。静けさを取り戻した森を仰いで、ミルダがぼんやりと呟いていた。
『なにもできなかった、って?』
焚き火で身体をあたためる地獣が、興味を示してたずねている。尾が切れたその姿はなんだか奇妙で、痛くないのかと訊いてみたら、全然気にならないと彼女は言っていた。
「やっぱり大地はすごいな、ってこと」
「そういえば、ミルダたちはどうしてあの亀裂から出てきたの?」
謎だらけの今回のことだけど、ミルダは訊かなかったら何も言わないのだ。それを思い出して、あたしは身を乗り出して訊いた。
「あの水って、山に吸い込まれた湖の水でしょう? どうして、亀裂からでてきたの?」
「それは……俺にもなんとも言いがたいんだよ。正直、水獣になってた間のことはよく覚えていないんだ」
ジュリカに訊いても、彼女は気を失っていたからわからないらしい。
「ジュリカを追いかけて背中に乗せたのはわかるんだけど、そのまま渦に巻き込まれて、ぐーっとながされてるうちに鉄砲水の中にいて、そうしたらターニャがいたんだ」
『山の中のことは覚えてないの?』
「真っ暗でよくわからない。けど他の獣たちが吸い込まれるのとは別のほうに、俺は流されたんだ。山は俺のこと気に食わなかったらしい」
まぁ、取り込まれてたらここにはいないけどな。そう皮肉るミルダの瞳には、どこか匂わせるものがある。それに触れていいのかわからず、あたしが言葉に迷っていると、ジュリカが紅茶のおかわりをくれた。
「ジュリカは、どうして自分が異常化したか覚えてる?」
「わたし……?」
言葉を話せる理獣から、なぜ異常化したかを教えてもらったら、あたしたちの旅にも変化があるかもしれない。期待をこめて訊ねると、ジュリカは首をかしげてしまった。
「よく……覚えてないの。わからない。突然身体が熱くなって……それからわからないの。ごめんなさい」
辛そうな彼女の表情に、あたしはあわててあやまった。
「ごめんね、辛いこと思い出させちゃって」
「ううん。わたしもなんか変だと思ったの。地震がくると思ったら、なんだか目が熱くなって……右目から涙が出たと思ったら、それが火で、熱くて……」