ディナージャ編 42
「これ……どうして?」
事態を飲み込めないあたしが訊くと、ミルダは息を整えるのに必死だった。やはりそうとうの魔力をつかったらしく、今にも倒れそうにふらついている。限界だといわんばかりに倒れこんできたので、あたしは何も言わずに肩を貸した。
「地術の影響を強く受けたから、中途半端になってるんだ。でも、身体は金獣のままだから、時間はかかるけど、すこしずつ金獣に戻っていくはず……だ」
火照った身体に、あたしのずぶぬれ具合が気持ちいいらしい。ミルダがべったりくっつきて、重い。
「あとは、ジュリカが自然に起きるのを待つだけだ。ターニャ、ちょっと、座らないか?」
もう足腰も立たない様子のミルダを座らせ、あたしはローブで額を冷やしてあげる。いったいどうしてこのローブに金の塊が入っていたのか謎だけど、とても訊ける気配でないし、なによりあたしだってジュリカに駆け寄りたいのだ。
「ジュリカ、起きてくれ!」
リジオさんが何度もジュリカを呼ぶ。その声に応えるように、彼女の指先が動く。地獣もまた、娘に呼びかけるように、赤い舌をその指先にのばしていた。
ジュリカがようやく目を開いたのは、亀裂の噴水もやみ、湖に水が戻り、地震が完全におさまったころだった。
「ジュリカ……?」
彼女はしばらくぼんやりと空を見上げ、やがて事態を飲み込んだらしく、ばっと身体を起き上がらせた。
「ああ、ジュリカ!」
喜びの声をあげるリジオさんを見て、彼女はようやく、安堵の表情を浮かべる。そして自分の身体の変化に気づき、姿かたちがまだ金獣であることを確認するうちに、リジオさんが倒れた。
「リジオさん……?」
『坊や?』
あたしと金獣が呼びかけても、彼は返事をしなかった。はじめは喜びのあまり大地に寝そべったのかと思ったけど、違う。ジュリカが手を伸ばすと、彼の体が大きく痙攣した。
「リジオさん――!」
「リジオ!」
あたしたちはようやく、ふたりにかけよった。ジュリカと三人で覗き込むように、リジオさんを囲む。彼の異変はすぐにわかった。
「ミルダ、これ……」
「金の苺の副作用だ」
ミルダが乱暴にリジオさんの服を脱がせると、彼の体は汗とともに吹き出た金で鈍く輝いていた。目と鼻と耳と、全身の穴という穴から金がだらだらと流れている。そして苦しげな息とともに、リジオさんの身体が痙攣する。意識はなかった。
「助けないと……!」
でも、どうやって。とっさに仰いだ師匠の顔も、対処法がわからずに戸惑っているのがわかった。
金の苺で副作用を起こした人を助ける方法。それはどの本にも、誰の口にも語られたことがない。こうなってしまえばその魔術師はおしまいなのだ。
「そんな、なんとかならないの!?」
「俺だってなんとかしたいさ!」
ひきつったような悲鳴をあげ、ミルダが頭をふった。こんな彼の姿、今まで見たことがない。混乱を隠しきれない魔術師の姿を、ジュリカは赤く充血した目で見ていた。
その唇が、震えている。今にも泣き出しそうに、歪んでゆく。そして唇が、そっと、彼の名前をつむいだ。
「……リジ、オ」
それは間違いなく、ジュリカの声だった。
金獣は言葉を持たないはずなのに。信じられないと、あたしもミルダも目を見開く。物知りであるはずの地獣も、これには驚いていた。
「リジオを、助けなきゃ」
ポツリとそう呟き、ジュリカはリジオさんに覆いかぶさる。そして彼の両肩に手を乗せ、息を吹き込むように唇を重ねた。
それは深い口付けで、彼女の舌がリジオさんの口内を動いているのがわかる。時折、彼女ののどが上下する。痙攣の続くリジオさんの身体が、すこしずつ落ちついてゆく。
彼の体から噴き出し続けていた金が、すこしずつおさまってゆく。ジュリカが、口から口へと金を吸い上げているようだった。
魔術師の副作用の金でも、それは金の苺であり、金獣が口にしてもなんら害のないものであるに違いない。