ディナージャ編 32
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ミルダ、ターニャとあたしたちの名前を呼んで、あわてたように駆け寄ってきたリジオさんは、真っ先にあたしをミルダの背中からおろしてくれた。
「大丈夫か? どこも怪我してないか?」
「うん、大丈夫……」
熱心に身体を調べてくれるリジオさんには悪いけど、あたしの目はジュリカを探していた。
湖には、ミルダの言うとおり、ほとんどの獣たちが集まっていた。けれどみんな、湖の近くには行かず、茂みの奥に隠れてしまっている。気配でわかる。みんな、おびえているのだ。
ごうごうと、なにやら地響きのようなものが遠く聞こえている。地面はまだ、かすかに揺れている。ばらばらと葉が落ちて、それが降り積もるからよけいに姿がわからない。
ジュリカが見当たらない。
湖にいればきっと、真っ先にリジオさんのところに来たはずだ。けれど、湖にもその近くにも、ジュリカがいる様子はない。他の金獣たちはいるけど、とても人目を引くはずのジュリカが、どこにもいない。
「リジオさん、ジュリカは……?」
あたしが尋ねると、リジオさんはミルダのを治療している最中だった。無理やりシャツを脱がされたらしく、ミルダはいかにも不機嫌そうに治療されている。その肩はやはり、あたしがぶつけた膝のような赤黒い痣ができていた。
術に集中しているリジオさんは、あたしの声が聞こえなかったらしい。こめかみからたくさんの汗を流し、ミルダの肩に手をそえてなにやら言霊をつむいでいる。手のひらと肩のわずかにあいた空間は白く光り、逆に手のひらはどす黒い魔術師の痣ができていた。
魔術師は魔術を使うにつれ、その影響で手のひらが黒くなっていく。ミルダなど、ある程度経験をつんだ魔術師は意図的にそれを消しているけれど、おさえがきかないときはあざが戻ってしまう。つまりリジオさんも、魔力をそうとう消費しているということ。
ミルダはそれに気づき、すぐに術をやめさせた。
「リジオ、お前……」
「緊急時だ、仕方ない」
とがめるようなミルダの視線に、彼はただ首を振るだけだった。襟元のはだけたミルダが、治療された肩を見る。まだ痣は残っているものの、それは治りかけのような、青みがかった痣だった。
「ねぇ、リジオさん。ジュリカは?」
本来なら、彼が一番ジュリカのことを心配しているはずなのに。リジオさんは落ち着き払った表情で、大丈夫だと逆にあたしをなだめていた。
「じきにジュリカも湖に来る。約束してたんだ、なにかあったら湖で会おうって」
額に浮いた玉のような汗をぬぐいながら、リジオさんはおまけに笑ってみせた。それを見て、ミルダがよけい険しい顔をする。
「だから、もうすぐ来る」
「……たしかに、もうすぐ来るな」
ミルダが、不意に笑った。けれどその笑みは冷笑といったもので、なにかを見切ったような、不吉な笑みだった。
それに、あたしは胸騒ぎを覚える。
なにがあったの。そう訊こうとしたら、またしてもミルダの腕が向かってきて、あたしはいとも簡単に地面に押さえつけられていた。
「もうちょっと、やさしくできないの!?」
「別に痛くはないだろ」
そう、痛くはない。けれどこれではまるで、あたしが悪いことをして地面にねじ伏せられているみたいだ。
突然の行動に戸惑うリジオさんに、ミルダは足払いをかけてみせた。彼の長い脚がきれいに膝にはいって、リジオさんがすてんと転がる。
それと同時に、余震が来た。
さっきよりは強くない。けど、揺れ方が妙だ。最初激しく上下に揺さぶられたかと思うと、今度は地面が左右に動きだす。地響きとともに、木々が悲鳴を上げ、幼い獣たちが恐怖に泣き叫んでいる。
不思議と今度は、それほど恐怖を感じなかった。ミルダの行動で、本能的に気づいたのかもしれない。
「余震が来るなら、そう言えばいいのに……」
「言われてから体が反応するのと、無理やり動かすのなら、どっちが早いかわかるだろ?」
でも、心臓に悪い。
「いってぇ……」
リジオさんの被害はまともだったようだ。頭を打ちはしなかったけれど、腰をおさえている。いくら童顔でも、彼はいい年齢だ。