ディナージャ編 25
ふたりで木の根元に座り、ローブをお互いの膝にかける。冷える森の中で話をするのは、やはりリジオさんの前でできる話ではないからだ。
「リジオ・マーチンは、心底金獣のお嬢様に惚れ込んでしまったわけだな」
「でも、無理もないよね……」
二人のあの姿を見ていたら、うなずくしかない。これが人間同士・理獣同士であったなら実にほほえましいことだけど、人と理獣であれば話は別だ。
話の途中、ミルダが膝を気にして触ってくることがある。ローブの下のことなので身構えることができず、あたしはそのたびに驚いてしまった。
「リジオさんは、金獣になろうとしてるのかな?」
「金獣かどうかはわからないけど、魂移しをやるっていうことは、人間以外のものになりたいときがあるんだろうな」
魂移し。それは、あたしには遠い話のとても難しい魔術だった。
読んで字のとおり、自分の魂を他のものに移す魔術だ。鳥に移せば鳥となって空を飛べるし、その間は鳥の言葉もわかる。鳥になる。
けれどその術は、非常に多くの魔力を使うもので、魂を移していられる時間もそれほど長くない。無理をすれば魔術師か、あるいは移された側の器に影響が出る。
イェピーネの町で見た、仮死状態のリジオさんは、術の最中で魂が抜けていた。そしてミルダが見上げたあの鳥は――あたしが湖の底で見たあの鳥は、術でリジオさんの魂が乗り移り、力尽きて死んでしまったということになる。
死んでしまうほど、ということは、そうとう長い時間負担をかけていたのだ。術を使いすぎて、リジオさんの身体も危なかった。身体に戻れずに死んでしまった魔術師の話をよく聞くし、術を使っている間の、抜け殻になった身体に異変が起きて、そのまま死んでしまった魔術師もいる。
魂移しは会得すると便利な反面、危険の多い術なのだ。
今までの話を考えれば、リジオさんも目的がすぐにわかってしまう。そして金の苺もまた、リジオさんの身体に影響をもたらし始めている。
きっとリジオさんは、魂移しに必要な魔力が足りないのだ。少なくて、すぐに術が切れてしまう。だから金の苺で魔力を増やして、術をもっと長く続けようとしているに違いない。
そんなことを続けていたら、いつか苺の影響が出て、リジオさんの身体がボロボロになってしまう。
「……どうしたらいいんだろう」
「俺たちにはどうすることもできない」
冷たいけれど、それが事実だ。
これはリジオさんが選んだ道で、リジオさんの意思で行われていること。あたしたちが説得しても、きっと彼は首を縦にふらないだろう。もし正しい魂移しを教えたとしても、魔力の足りなさはそう簡単に補えるものではない。
「それでもまあ、獣たちの命を奪ってしまうんだから、多少の説得はできるけど……なんていうか、難しいな」
「難しいね」
これでもし、術のせいでイェピーネに大きな影響が出ているとしたら、力ずくにでもとめることができるけど。
「でも、このまま放っていくのも嫌だ」
「嫌だね……」
身震いをして、ミルダがさらに身体を寄せてくる。ぴったりとくっついた肩があたたかい。
「もしこれで、リジオさんが魔術師じゃなかったら、って考えちゃうよね」
もし彼が魔術師ではなかったら。もしそうであったなら、金獣に恋をしてしまった娘たちのように、あきらめられるものを。悲恋には変わりないけれど、魔術師でなかったら、まだ気持ちの整理もつけられるだろうに。
魔術師だったら。魔術師だったら、自分の力で何かを変えられると思うだろう。そのために自分の身を犠牲にして、想いを遂げたいと全力を尽くす。
「切ないよね……」
呟くあたしの肩に、ミルダの頭が乗った。
重いと抗議しそうになって、あたしは彼が目を閉じていることに気づく。眠っているのか、それとも何か思案しているのか。緑の香が、とても近い。
静かな森の中で、風の音が聞こえる。木々がざわめき、鳥の声がする。
こうして話をやめれば、お互いの吐息がやけに大きく感じる。規則正しいミルダの吐息は、寝息なのか。その整った顔立ちに、声をかける勇気はない。
膝の下で冷えた手を組んで、あたしは彼が動き出すのを待つしかない。お酒のにおいにこちらまで眠くなりそうで、手の甲に爪を立ててこらえることにする。
「……ターニャ」
「起きてたの?」
「明日は足元に気をつけろよ」
なぜ地獣と同じことを言うのだろう。あたしを見つめる青い瞳は、なにかを感じ取っているようだった。