ディナージャ編 24
ミルダが来る。心配して探しにきたのだろうか、それとも迎えに来てくれたのだろうか。良い意味であってほしい。でも胸騒ぎは隠し切れない。
地獣から聞いたリジオさんのこと。ジュリカに恋をしているリジオさん。魂移しを練習しているリジオさん。
それほど騒ぐことではない。けれど、昼間のあの彼の姿を見ている身としては、この話を簡単に流すことはできない。
このままではリジオさんが危ない。
「……ターニャ?」
「ミルダ!」
暗い森の中でミルダの姿を見つけたことに、これほど安堵するとは思わなかった。
「お前どこ行ってたんだよ、探したんだぞ」
「ジュリカに会って、湖に行ってたの」
ローブをあたしに貸したままなので、薄着のミルダはそうとう寒そうだ。腕を組み、背中を丸めて熱をためようとしていた。
「どうせ軟膏を塗るのが嫌で逃げたんだろ?」
ばれてたか。
テントで見たものとは違う、携帯用の小瓶に入ったケイトの軟膏。それを手渡されて、あたしは口元を引きつらせてしまった。
「いいから、蓋開けてみろよ」
有無を言わせぬといった口調で、ミルダがコルクを抜く。あのにおいが来ると思って、あたしは反射的に息を止めた。
「においはもうしないから」
「……本当だ」
涙がにじむほどだったあの強烈なにおいが、嘘のように消えている。熟れた果物のような甘い香りが、小瓶の中から湧き上がっていた。
「あのにおいは発酵するときだけなんだ。少し時間をあければにおいもなくなる。塗ってやるから、とりあえず座れ」
きょろきょろとあたりを見回し、ミルダは手ごろな木の根元にあたしを座らせる。ちょうど月の光が差し込むところで、そこだけが薄ぼんやりと明るかった。
「リジオさんは……?」
「酒でつぶしといた」
かかる吐息が酒くさい。ろれつは回っているようだけど、ミルダもそうとう酔っているようだ。
問答無用といった感じであたしの脚を出し、彼は赤黒く変色した膝に軟膏を塗っていく。軟膏は冷たいけど、ミルダの手はあたたかく、丹念にすりこんでいくうちにこころなしか晴れも引いていくような気がした。
「……ターニャ」
「なに?」
「話せ」
「なにを?」
「お前が知ってること」
再び、なにを? と訊こうとして、あたしはミルダの瞳を見る。眠たげだった瞳が今は冷静に光っていて、わかるだろうと訴えてきた。
「さっきも何か言いかけてただろ。湖で何か見たんだな?」
あたしは、首をふる。湖で見たこと、地獣から聞いた話。ようやく彼に話すことができる。
「リジオ・マーチンは、このままじゃ死ぬ」
それにあたしは再びうなずく。そしてミルダが理解しやすいように、話の道筋を練りながら、ゆっくりと口を開いた。
○○○
高度な魔術というのは、魔術師に何かしらの影響を与えることが多い。
魔術師だけではなく周囲の環境にも変化をもたらしてしまうということを、あたしは故郷の村で学んでいた。
魔術は本当に幅が広くて、奥が深くて、すべてのことを理解している魔術師なんてそうそういない。ミルダだってまだ勉強中で、弟子のあたしなんて本当に何も知らない。
それでも術の効力や副反応など、良くない影響が起きる場合、というのは口うるさく言われていた。
魔術というものに、完璧はない。正しい答えというものもない。間違った方法で答えを出して、それが求めるものに近しいものであったなら、成功として効果が出たりする。
つまり、間違った方法でも、成功してしまうことがあるのだ。
そのかわり、魔術師に現れる影響も大きい。無茶をして死んでしまった魔術師の話をたくさん聞いた。
リジオさんも、このままでは危ないのだ。
「やっぱりそうか……」
あたしの話を聞き終えたミルダが、長い息を吐いた。