ファジー編 4
「大地の理が東の国の五行説をモデルにしてるのは、有名な話です。水は火に勝ち、火は金に勝つ。逆に、水は樹を生み、樹は火を生みます」
広げられたページは、クセがついて大人しくテーブルにのびた。そこには二つの図があり、ひとつは星の形、もうひとつは五角形。それぞれ角に理術の名前が書かれていて、術の勝ちと生みは指で辿ればずっと止まらない輪となっていた。
「それぞれの名を持つ理獣たちは、この世界と密接に関係しています。水の豊かな土地には水獣が多く住み、逆に砂漠のような土地には住む水獣はとても少ない。理獣の数が均一な土地は、僕もあまり見たことがありません」
ミュラミネ村は、たくさんの川や池に囲まれている。だから水に困ったことはないけど、急斜面が多くて作物を作る場所が少なかった。そして彼のいうとおり、水獣が多く、地獣の数が少ない。
「理獣が異常化するのは、保たれていたバランスが崩れている証です。異常を正せば、バランスは元に戻る。そのバランスを戻すのが、僕たちモディファニストなんです」
お父さんがウトウトまどろみ始めたのに対し、あたしの目はどんどん冴えていった。
「正さなければ、世界が崩れてしまう。何の役にも立たないように見えるけど、モディファニストはこの世界にとても必要な魔術師なんですよ」
すらすらとよどみなく話すミルダの瞳は、雨雲の間の空みたいにいきいきと輝いている。長めの前髪を払うしぐさに気品があって、あたしも真似をしてみたけど彼のようにうまくはいかなかった。
毎日を家事と木苺摘みと惰眠で終わらせているあたしは、そんなにキラキラ輝いたことがない。それはたぶんこれからもないことだと思うと、なんだか、無性に彼がうらやましくなった。
「――モディファニストなんて、ただの魔術師のできそこないだろ」
突然降りかかった冷めた声に、ミルダの三日月眉がピンとはねあがった。
「何が天才、常緑のジョナ、だよ」
「……コード」
せっかくのいい雰囲気をぶち壊したな。
階段からおりてきた姿をみとめ、そう深々とため息をついたあたしに、ミルダが小声で訊いてきた。
「誰?」
侮辱されたのにもかかわらず、好奇心旺盛な表情。さっきの穏やかなものもあればこういう子供っぽい一面もある。彼の表情筋はたくましくできているのだろう。
「……あたしの、弟。コード。次期村長で魔術師なの――端くれだけど」
コードはいつも自室にこもっていて、お腹が空けばこうして食料を求めておりてくる。彼とあたしは二卵性双生児で、当たり前だけど同い年で、同じ黒い髪をして、あたしよりも背が高かった。
若いころのお父さんも、コードのように痩せていたらしい。十五年間一緒に育ったあたしには、彼がミルダを見てなんと思っているのかがいやでもわかってしまった。
「うわさよりも全然ダメな奴だ、ってか?」
そのとおり。
心をぴたりと見透かされたのに、コードは無表情のままミルダを見すえ続けている。しかも、握手を求めて差し出された手を払いのける始末だ。
そのところどころ痣のできた手を見るミルダは、ひとかけらも怒っていない。ニコニコと笑ってとても楽しそうで、それがコードの神経を逆なでしているのをわかってやっていた。
「さっさと村から出て行け。僕には君を追い出す権利があるんだからな!」
夕食を持たずに、これみよがしと足音をたてて二階の自分の部屋に戻っていくコードへ「おやすみ」と声をかけ、ミルダは手で隠しもせずに大きなあくびをした。
「可愛い弟だな」
「どこが」
「お母さんにそっくりだ」
どうしてそれを……と、訊く前にわかった。暖炉の上に、古びたお母さんの写真があったからだ。
「あぁでも、ターニャのほうがよく似てるかな。たぶんコードは、若いころのお父さんに似てるんだよ。目が同じなだけだ」
腰まである長い黒髪。スミレ色の瞳の入る、完璧なアーモンド形。華奢な身体、薔薇色の頬。
太陽みたいに豪快だったお父さんに対して、お母さんは月のようなたおやかな人だった。
らしい。
「お母さんは身体の弱い人だったから、あたしたちを産んだときに体調をくずしたらしいの。それでも三歳になるまで育ててくれたし……あまり、覚えてないんだけど」