ディナージャ編 1
旅をはじめて一年がたち、もうすぐ二年目となると、あたしも少しずつだけど理獣と土地の関係というものがおのずとわかるようになってきた。
あたしの故郷であるミュラミネ村は、水が豊富なため、水獣の数がとても多かった。だから水獣はいて当たり前だと思っていたのだけど、水不足に苦しむ町には水獣の姿がほとんど見えず、逆にひび割れた土の下で生きる地獣の数が、標準よりもはるかに多いことに驚いた。もちろんそれはあたしとミルダで解決の方向へと導いてはいったのだけど、一度くせのついた土地はなかなか良い状態に戻ることはないらしい。作物を豊かにする地獣も、数が増えすぎれば大地を枯らしてしまう。理獣とは、難しいものだと、あたしは強く思うようになった。
一種類の理獣が多く存在して、そこに住まう生き物に危害を与えないというのは、なかなか珍しいことらしい。その珍しい環境に生まれ育ったあたしは、理獣の均整が取れた土地というものを、いまだに見たことがなかった。
だから、次の町に着くまでの道のりがとても豊かな環境をしていたから、今回こそはと思って楽しみにしていたのだけど、人生そう甘くはない。
「すごい、ね……」
思わず言葉を失うあたしを見て、ミルダが肩をすくめる。これからの道のりに足がすくんで動けないでいると、乱暴に背を叩かれて前へと進まされた。
「金の町だからな、イェピーネは」
イェピーネ。彼はあたしが、その聞きなれない町の名前にしり込みしているとでも思っているのだろうか。あたしの顔から血の気が引いていくのもお構いなしに、先に階段を下っていってしまう。
深い木々に覆われた山を越え、視界が開けたかと思うと、目の前には待ってましたかといわんばかりに舗装された下り階段が続いていた。今まで傾斜があれど平坦だった道を歩いていたあたしは、人工的に作られた階段に違和感を感じたけど、彼はそうでもないらしい。手すりの上に黒い爪をした指をすべらせて、鼻歌まじりにテンポよく脚をすすめていく。
対してあたしは、急な階段に怖気づいて進むことができない。手すりを両手でしっかり掴んで、一歩一歩へっぴり腰になりながら、慎重に下っていく。
イェピーネが金の町と言われても、今のあたしが気をとられているのは、間違いなく、この階段である。
「ターニャ、はやく降りてこいよ!」
いったいこれは何段あるのか。山頂付近から一直線にふもとまで続いているから、道に迷うことはないけど、うっかり足を滑らせようものなら、止まるすべもなく転がり落ちてしまうだろう。あたしをせかすミルダが立つ位置だって、この階段の半分にも達していない。下まで転がり落ちたら、きっと、腕の一本二本折るぐらいでは済まされない。
「下向くから怖いんだって! 前見て降りてこい前!」
「そしたら足元見えないじゃない!」
「幅はそんなに狭くないんだ、そう簡単に踏み外したりしないから!」
はたしてそうだろうか。なれない道で転んでは擦り傷をつくるあたしに、ミルダの運動神経は通用しない。
「この階段怖い! 普通の道下ろうよ!」
「それじゃあ時間がかかりすぎるんだ!」
しばらく、そうやって押し問答を繰り返していた。遮るものがなく、太陽の光が直接照り付けてきて、頭が熱い。髪が伸びたぶん、熱を吸う面積も広がって、あたしは頬に汗をかく。でもその汗は暑さからだけではなく、今自分が進もうとしている道に対する冷や汗も混じっていた。
「さっさと降りれば怖くないっての……!」
業を煮やしたのか、ミルダが階段を上ってきた。
ここ一年とすこしでさらに背が伸びた彼は、長くなった脚で段とばしに駆け上がってくる。目にかかる金の前髪を邪魔そうにかきあげ、深緑のローブは小脇に抱え、端正な顔立ちは不機嫌そうに、説教するぞと態度で示しながらどんどん近づいてくる。
「お、降りればいいんでしょ降りれば」
彼の説教の長さを知っているあたしは、回避すべく階段を降りる。説教が始まれば、たとえ再び歩き出したとしても、ふもとに着くまでの時間は階段を迂回したときと同じぐらいになるだろう。
もうすぐ宿がとれる。久しぶりにベッドで眠れる。そう自分に言い聞かせて、あたしは脚をおろすのだけど、一度怖いと思ったものはやはり怖い。高所恐怖症ではないのだけど、これは別。階段というより、崖を下っているような気分だ。
「そのかわり、今日はいい部屋……」
とってよね、と、会話に気をそらしてはいけなかった。