ファジー編 28
○○○
「……ありがとう」
朝ごはんのお弁当を受け取ったミルダは、残念そうだった。
なぜなら、あたしが見送るがわだったから。
「頑張ってね」
「うん」
それでも、最後には笑顔で返してくれた。
次の町に行くには朝早く発たないと間に合わないからと、名残惜しいそぶりも見せず、足早に去っていった。
突然あらわれ、ほんの少しの間滞在して、去るときはまた早い。せわしない人だと、内心嘆息してみる。
けれど、ミルダは嫌いではなかった。
あたしに、いろんな体験をさせてくれた。
そのほとんどが、もう二度とないであろう、素敵なことばかり。コードももう、一人でこそこそ魔術の練習をしたりしないだろう。
ミルダが残していったもののほとんどは、良いこと。水獣がなついてまだ家のそばにいることも、良いことだと思いたい。
それでも、いつもの生活に戻ったミュラミネ一家には、複雑な空気が渦巻いていた。
「ターニャ……本当に、いいのかい?」
「うん、いいの」
反対していいのか悩んでいたお父さんは、結局あたしの決断に一言も口を挟むことはなかった。そしてあたしの決意をもってしてでも、いまだにあーでもないこーでもないと悩み続けている。
あたしはミルダの笑顔を真似して、内に秘めた感情を悟られまいとした。
でも、朝ごはんがのどを通らなくて、ずっと部屋でぼんやりとしていた。
これで、いい。あたしには魔術を使いこなすことなんてできないし、一緒についていってもミルダの足を引くだけだ。魔術はコードに教えてもらうことだってできるし、あたしは家事やパッチワークをこなせるようになったほうが、魔術師になるよりも安全な生活をおくれるだろう。
あたしは、このままでいい。
「じゃあなんで、荷造りしてたんだよ」
ノックもなしにコードが入ってきたけど、あたしはとがめようと思わなかった。
「最後の最後まで、迷ってたんだろ?」
「……うん」
これが、あたしの出した結論。ミルダについていかない。一生を、このミュラミネ村ですごそうと決めた。
それなのにあたしは今、頭からキノコが生えそうなぐらい、ウジウジしている。
いつもの調子が出ないあたしにイラついたのか、コードは舌打ちをして、顔を覗き込んできた。
「迷ってるんなら……」
それから先は、何も言わなかった。
けれど、スミレ色の瞳が言っていた。
『行けばいい』
「――――」
気づけば、あたしの身体は、勝手に動いていた。
荷物をつかんで、部屋から飛び出す。手持ちの服の中で一番丈夫な靴とローブを着て、作りおきしていたビスケットをポケットにつめた。
「ターニャ」
玄関では、お父さんが笑顔で送り出してくれた。ずっと頭を抱え込んでいた、あの迷いはかけらも感じられなかった。
泣き出したくなるのをこらえて、あたしはかけだし、日常を捨てた。
ミルダと、一緒に行きたい。