ファジー編 26
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「なんか文句あるのか?」
「いや、別に……」
ありがとうコード。あたし、いい弟を持ったよ。
あれから何とか立ち直ったあたしは、夕食を作ることにした。そしてお父さんやコードに食べさせたのはいいけど、遅く部屋から出てきたミルダと顔を合わせるのがためらわれて、見かねたコードがかわりに出してくれたのだ。
「そんな怖い顔して見られると、非常に食べづらいんだけど……」
いまだに二人の間には、不穏な空気が流れている。それも、コードから一方的に。
台所にこっそり隠れていても、肌を刺すような空気はしっかりと伝わってきた。
「……コード、アネットさんと何話したんだ?」
「それは答えないといけないのか?」
「いや、べつに嫌だったらいいけどさ……」
ミルダは空気をやわらかくしようと口を開いたのだろう。けれどコードの反応が予想以上に冷たかったのか、ため息をついてスプーンを手に取った。
てっきり食事を渡したら戻ってくると思っていたコードは、そのままミルダの向かいの席に座った。これにはあたしよりもミルダが驚いていて、コードが彼の夕食をつまみ食いしても怒るどころか皿をすすめていた。
「母さんが不思議がってた。なんで自分にできなかったことを、ミルダは簡単にやってしまったんだろう、って」
話を始めたということは、嫌ではないということ。決して目を合わせまいとそっぽを向くコードの横顔を見て、ミルダは目を細めている。
「モディファニストと普通の魔術師とじゃ、理獣の持ってる魔力を使うのに差が出てくるからな」
無意識のうちに理獣の魔力を借りる魔術師に対し、モディファニストは理獣を知りつくし、魔力を効率よく引き出すことができる。ミルダの話を、コードはあきもせず黙って聞いていた。
「コードは、理獣が異常化したとき、どうして人間を襲うか知ってるか?」
「……理性が崩れて見境なくなってるからじゃないのか?」
答えを知らないコードは、自身なさそうに問いで返す。それにミルダは、ゆっくりと首をふった。
「理獣は俺たちが思ってるよりもずっと知能が高いんだ。だからそう簡単に理性が崩れることはない」
ちぎったパンを口に放り込み、彼はコードにひとつバターロールをすすめる。コードは夜ご飯をしっかり食べたはずなのに、断らず手に取った。
「異常化した魔獣は、攻撃しようとして襲ってるんじゃない。助けを求めてるんだ」
助けてほしくて必死にすがり付いて、その反動で傷をつけてしまう。水におぼれて苦しむ人と同じで、理獣も好きで人を傷つけたいわけではないのだ。
「理獣がとても大事だっていうのは、もうわかってるだろ? だから俺たちは理獣を守るし、助けるために習性を学ぶ。理獣たちも自分を助けてくれるのが俺たちだって知ってるから、なついてくれるし魔力だって提供してくれるんだ」
魔術師とモディファニストの大きな違いは、理獣との信頼関係が築けているか、らしい。かのモディファニスト、マテリオも、自分の家に五種の理獣を招き、いつも一緒に暮らしていたのだそうだ。
ポトフからじゃがいもばかりを選ぶミルダは、それきり何も話さなくなる。コードが何か言うのを待っているらしいが、黙々とパンを食べ続ける彼が口を開くまでに、時間がかかりそうだ。
そんな二人を見守り続けるあたしは、ずっと台所でしゃがみ続けているため、足がしびれて感覚がなくなってきている。ころあいを見て膝をつこうとは思っていたのだけど、今すこしでも動けば、この無言の中衣擦れの音だけが響いてしまうに違いない。おろした髪が肩をすべるだけでも、聞こえていないかヒヤヒヤした。