ファジー編 25
「ご飯は……食べないよね、これじゃあ」
飲まず食わずで、よくもまぁこんなに寝れたものだと、あたしはベッドの上のミルダにあきれてしまった。
あたしより三つも年上のクセに、彼は子供のようにやすらかな表情で眠っている。金の髪が寝乱れて枕の上に散らばり、夢を見ているのか長いまつげがピクリと動いている。
その幸せそうな寝顔に、あたしは囁きにも似た声で、訊いてみる。
「なんで、あたしなの? 別にあたしじゃなくてもいいじゃない。コードのほうが向いているはずだわ」
当たり前だけど、返事はない。あたしはため息をついて、ランプの横に水だけを置く。寝起きに冷めたお昼ご飯を食べさせるのも失礼だし、この調子じゃ彼は夜まで起きそうにない。
とりあえず、起こさないよう部屋から出よう。
「――ターニャの」
ドアノブに手をかけると、寝ぼけたような甘い声が耳に届いた。
振り向けば、ミルダはあたしに背を向け眠っている。だからそれが寝言なのかどうか、あたしは確かめることができない。
「ターニャの腕の中で、水獣の目が治っただろ? あれは俺がやったんじゃない。ターニャの力だ」
「でも……」
「ターニャはずっと言霊の練習歌を口にして、自然と魔術を覚えていったんだ。自覚していなくても、歌えば歌うほど魔術が身についていく。これから俺が教えれば、きっといろんな術が使えるようになる」
寝起きのわりに、よく口が回る。もしかしたら、あたしが部屋に入ってきたときには、もう起きていたのかもしれない。
寝返りをうって、ミルダはこっちを向いた。
「一緒に、行こう?」
「――――!」
気がついたら、あたしは蝶番が外れそうになるくらい、力をこめてドアを閉めていた。
そのまま背をあずけて、うずくまる。今コードが隣の部屋から出てきたら間違いなくおどろくだろうから、はやく下の階に降りようと思う。思うのだけど、なかなか身体が動いてくれない。
ミルダの瞳を振り切るのが、あれほど大変だとは思わなかった。
目をこすったばかりのようにとろりとした表情は笑顔に似ていて、甘えるような声は子供そのもの。それだけでも動きが止まるというのに、彼はまっすぐにあたしを見ていた。
初めて人の瞳を美しいと思った、空色の瞳は、あたし以外の誰も見ていなかった。