ファジー編 19
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息をすると、喉から水が出てくる。苦しくなくても、やっぱりおぼれていたらしい。
あたしは草の上に大の字になり、すっかり明けた空を見た。抜けるように青い空はミルダの瞳を連想させて、本物の彼が視界にはいると、本当に同じ色をしているのだと妙に感心した。
「生きてるか? ターニャ」
「たぶんね」
ひねた回答に肩をすくめたミルダは、膝を折って顔をのぞきこんでくる。あたしの隣にはコードがいるけど、今までの疲れなのか、水中でのショックなのか、目は閉じたままだった。
あたしたちは地下水脈をとおり、村の中央にある井戸にたどり着いたらしい。引き上げてくれたのは今まさに腰から離れた木のつるで、ミルダが井戸の木を樹術により変化させたものだ。
「ごめんな、ターニャ」
あやまりながら、彼はあたしの顔にはりつく髪をとってくれる。そして親指の腹で頬をなでると、再びごめんつぶやいた。
「アネットさんと、ちょっとしか話させてやれなかった」
離れていく手が、真っ黒に変色している。泥を塗ったわけではなく、それはコードの手にある、魔術の痣と同じものだった。
「水獣の魔力借りても、やっぱり死者戻しは難しかった。本当はもっと長くいさせてやりたかったんだけど……」
ミルダはきっと今、あたしにお母さんの影を重ねているのだろう。手首から肘へと痣が広がっていることなど気にもとめず、ただあたしに謝罪を繰り返していた。
「あやまらなくていいの」
身体を起こすと、彼は手を差し伸べてくれる。その優しさに頬を緩ませて、あたしはミルダの痣に触れた。
「ミルダは、あやまらなくていい。あやまるのはあたしのほう」
でも、ごめんなさいよりも言いたいことがあった。
「ありがとう」
お母さんに会わせてくれてありがとう。
水獣の異常を正してくれてありがとう。
コードを助けてくれてありがとう。
「ありがとう……」
素敵な体験をさせてくれて、ありがとう。
これから先、今日みたいな経験ができることは二度とないと思う。あれほど水獣の近くにいたのも、魔術を体感するのも、かの有名な緑の香をかぐことも、一生忘れられないことだと思う。
「楽しかった」
「ターニャ……」
「ごめんね、せっかくの綺麗な手、真っ黒にさせちゃって。これ、もう消えないの?」
変色の止まった腕は、肘の上まで隙間なく真っ黒になっている。これほど術が付着するということは、死者戻しはやはり高度な魔術らしい。
「これは今できた痣じゃない。修行を重ねるうちにできて、格好悪いから隠してただけだ」
心配するな、とミルダは白い歯を見せて笑う。濡れた頭を乱暴に撫でてくる手を、あたしはもう一度つかんだ。
「今回は魔術を使いすぎてさ、腕にまわすぶんがなくなっただけ。休めば元に戻るから」
ミルダが言うけど、あたしは無視して黒い手をさする。少しでも痣が薄くなればと、自分の肌の色をすりこむつもりで撫で続けた。
「いいっての」
乱暴に手を振りほどいたミルダが、上気させた頬を隠すように、あたしに一匹の水獣を押し付ける。それはあの牙に模様がある水獣で、村の中には水脈を通ったたくさんの水獣が群れをなしていた。
「お礼なら、こいつにも言ってくれ。自分の魔力を提供してくれたんだから」
「うん」
ありがとう、と、あたしはその水獣を抱きしめる。耳に触れる毛皮は、毛というより、絹に近い肌触りを持つ。水をそのまままとったように、尾や耳の先は後ろの風景を透かしていた。
人間に慣れていないはずの理獣だけど、この水獣は素直にあたしの腕に甘えてくれる。それが嬉しくて腕の力を増すと、後ろのほうから、重そうな身体を揺らす足音が近づいてきた。
「――ターニャ! コード!」
お父さんだった。
昨日寝たときの姿のまま、血相を変えたお父さんがあたしたちを見て声を大きくする。水獣たちには目もくれず、あたしと今気がついたらしいコードをまとめて抱きしめた。